14 仲間の声
唇を引き結んだままのお父さんを前に、私はぎゅっと身を固くした。
リビングを満たす静寂の空気が、緊張でぴんとはりつめている。
その中で、自分の心臓のドキドキという音だけが耳に強くひびいていた。
(お願い。私たちの気持ち、お父さんに届いて……!)
心の中で、そう祈ったとき。
ブブブと、スマホのバイブ音がひびいた。瀧島君と私のスマホが、同時に震えている。
「……見たらどうだ」
お父さんが、重たい口を開く。
瀧島君はゆっくりと頭を上げると、ポケットからスマホを取り出した。
「……如月さん。これ」
瀧島君が、画面を傾けて私に見せてくれる。
そこには、「お父さんに見せてね!」というレイラ先輩のメッセージとともに、ひとつの動画が貼りつけられていた。
「これ……美術部のみんなで作った動画?」
サムネイルには、レイラ先輩をはじめ、美術部員が全員集合していた。背景は、どうやら川北公園の原っぱみたいだ。
「今日、撮影したみたいだ。おどろいたな」
「夕実ちゃんたち、今日のことレイラ先輩に伝えたのかな」
「そうだろうね。けど、動画か。レイラ先輩には、本当に敵わないな」
瀧島君が、さっきまで緊張していた表情をやわらげてほほえむ。
「父さん。テレビに映すから、見てくれないか。部活の仲間からのメッセージ動画だよ」
「動画?」
お父さんが眉をひそめる。
「とにかく、見てみてください!」
レイラ先輩たちがそばについてくれているような気がして、声が少しはずむ。
しばらくすると、テレビにレイラ先輩の顔が映し出された。
『タッキ……じゃないや、瀧島君のお父さん、はじめまして! 月夜見中学三年、瀬戸レイラです! 美術部の部長やってました!』
『現部長のチバです! 二年です』
『副部長の叶井と申します。とつぜんのことでおどろかせてしまい、申し訳ありません。ですがぜひわれわれの話を聞いていただきた……『一年の沢辺夕実です! みう……如月さんの親友で、瀧島君とも仲良くさせてもらってます!』
川北公園の原っぱを背景に、かわるがわる登場する美術部メンバーたち。
見ていると、思わず顔がほころぶ。
ちらりとお父さんを見ると、静かな表情でテレビ画面を見つめていた。
その顔から感情を読み取ることができなくて、胸がまたドキドキし始める。
画面は、再びレイラ先輩のアップになった。
『お父さんは普段、瀧島君と離れて暮らしていると聞きました! 息子さんの学校での様子をぜひ見たいのではと思い、これまでの思い出の写真で動画を作ってみました!』
『われわれ月夜見中美術部の雰囲気や歴史を知っていただけたら幸いです』
そう言った叶井先輩を押し出すように、チバ先輩が登場する。
『えー、合宿や文化祭のほか、親睦会やハロウィンの写真もあります』
『瀧島君の描いた作品にもぜひ注目してくださいね! 瀧島君の絵、すごいんですから!』
夕実ちゃんが言うと、レイラ先輩が『それでは、どーぞー!』と元気な声で告げた。
その後始まったのは、写真のスライドショーだった。
それは、レイラ先輩が撮ったなにげない光景から始まった。
それぞれが制作に励む姿や、美術室でボードゲームを楽しむ風景。
レイラ先輩の家でマンガ作業をがんばったときの写真に、スペースシティでの記念写真。
演劇部のパネルに真剣に取り組む、瀧島君の横顔。
その次は、瀧島君の描いた海と滝の絵。
お客さんでいっぱいの文化祭の美術室に、みんなで描いた選挙ポスター。
そしてハロウィンパーティで仮装したときのものなど、見ているだけで今までの楽しい時間がよみがえってくるものばかりだった。
(レイラ先輩、こんなにたくさん、写真撮ってたんだ……)
瀧島君も、なつかしそうな笑顔でテレビ画面に見入っている。
行事の写真が終わると、今度は瀧島君を写したものが中心に出てくるようになった。
合宿先の、湖の森で散歩をしたときの写真。
キャンバスに向かって筆を動かしている写真。
笑顔だったり、真剣な表情だったり。何かを考えているようだったり、おどろいていたり。
どれも一度は見たことのある顔で、瀧島君のいきいきとした様子が伝わってくる。
そのうち、写真に私が加わるようになった。
(えっ、これ、いつ撮ったの……!?)
瀧島君と私が、美術室の窓際で見つめ合って何かを話している写真。
どちらも笑顔だから、部活のときになにげない会話をかわしているときの一コマだろう。
他にも、描いているイラストから顔を上げた私が、瀧島君と見つめ合っている写真とか。
選挙運動のときに、二人でならんで廊下を歩いている写真とか。
瀧島君と私の二人だけを写した写真が、いくつも画面に登場しては消えていった。
おどろいたのか、瀧島君も画面を見る目を丸くしている。
お父さんはというと、微動だにせず画面を見つめたままだ。
するとスライドショーが終わり、再び川北公園の原っぱに映像が戻った。
『どうでしたか? なかなかいい写真がたくさんあったと思います! 中には、お父さんの知らない表情もあったんじゃないでしょうか。……ほら、チバっち』
『えー、瀧島君は大事な後輩であり、美術部の大事な一員です。選挙運動の際も、大きな力になってくれました。冷静さを崩さず、決してあきらめない彼の姿に、とても励まされたんです』
『年下ですが、瀧島君はとても頼りになる後輩です。瀧島君のおかげで気づかされたことや、学んだことがたくさんあります。照れるので口に出したことはありませんでしたが、私は瀧島君にとても感謝しているのです』
『如月さんの親友として言います。如月さんには瀧島君が必要だし、瀧島君には如月さんが必要です。こんなにすてきな二人、私は見たことがありません。二人ともすごく優しくて、どうしたら人の役に立てるのかいつも考えていて……私は、こんな二人を見ているだけで、自分もしっかりしなきゃなって思うんです。がんばらなきゃって思うんです。がんばろうと思える勇気をくれる、本当に天使みたいな、神様みたいな……そんな二人なんです!』
(夕実ちゃん……!)
思わず、鼻の奥が熱くなる。
『だから、お願いします』
すると、全員が小さく『せーの』とつぶやいた。
『瀧島君を、転校させないでください!』
そう言うと、みんなそろって深く頭を下げた。
動画は、その場面で終わった。
「……父さん」
瀧島君が、静かに声をかける。
お父さんはうなだれると、ふーっと息をついた。
そうして無言で立ち上がり、廊下のドアに向かって歩いていく。
「待ってくれ! まだ話は終わってない!」
あわてて立ち上がった瀧島君の声にも、お父さんは答えなかった。
返事の代わりに、廊下のドアがぱたりと閉められる。
(……だめ、だった……?)
「瀧島君……」
ドアを見つめたまま立ち尽くす瀧島君を、小さな声で呼ぶ。
力がぬけたようにソファに座ると、瀧島君は額に手を当てた。
「やっぱり……むずかしいか」
「でも、まだわからないよ! あんなにすてきな動画だったんだもん。すぐにはムリでも、後からじわじわ効いてくるかもしれないよ」
「そう思いたいけど……あの様子だと、自分の部屋に戻ってしまったみたいだ。いつも、ああなんだよ。僕が思いどおりにならないとわかると、無言で部屋にこもって口をきかなくなる。子どもみたいな人だ」
ため息をつくと、瀧島君は私を見て静かにほほえんだ。
「如月さん、ありがとう。如月さんが父に言ってくれたこと、本当にありがたくてうれしかった」
「そんな……。私、とにかく自分の思っていることを伝えなきゃって思って、必死で……」
言いながら、不安になる。
私、それを聞いたお父さんがどう思うかってことまで、あんまり考えられていなかった。
咲田先輩のときみたいに、言葉を間違えて不快にさせちゃったのかもしれない。
「如月さん」
瀧島君に呼ばれ、顔を上げる。
「たとえ、離ればなれになっても……僕たちの絆は、決してなくならない。電車で二時間なんて、あっという間だよ。週末のたびに会いにくることだってできる」
「瀧島君……」
──待って。そんな。いやだよ。
心の中で、いくつもの言葉が生まれる。
けれど、悲しそうな表情を無理やり笑顔にしている瀧島君を前にすると、そんな言葉は感情の渦の中にかき消えてしまう。
「ここまでいっしょに来てくれてありがとう。今までいっしょにいてくれて、本当にありがとう。僕といっしょにいたいと言ってくれて、すごくうれしかった。実は少し……迷っていたんだ」
「迷う……?」
「僕といっしょにいることは、果たして如月さんにとっていいことなのかどうか。それがわからなくて、自分の気持ちを押し通すことが正しいのかどうか、自信が持てなくなっていたんだ」
はっと目を見開く。
それ、この間までの私と同じだ。
「でも、如月さんの言葉のおかげでわかったんだ。『気持ちを大事にする』。自分が言ったことなのに、僕自身はそれを実践できていなかった。父とのことでいらだってしまっていたし、父に言われたことで心がゆらいでしまったせいだと思う」
そうだ。『気持ちを大事にする』。
この言葉が、私のモヤモヤをふりはらってくれた。
それまでは、瀧島君にとって何が一番いいのかわからなくて。
お父さんの言うように、私は瀧島君にとってよくない存在なんじゃないかって、なやんでた。
だけど、今朝瀧島君から転校の話を聞いた後、私は自分の気持ちにしたがった。
うまくいくかどうか、わからない。そもそも、どうやってお父さんを説得したらいいのかすら、わからない。
そんな状況でも、とにかく動かなきゃって。瀧島君のために動きたいって。
そんな気持ちが、ただただ私を突き動かしていたんだ。
瀧島君が、少し遠い目をして続ける。
「思い返してみたんだ。これまで僕がしてきた行動──それも、気持ちで動いたときのことを。だれかを助けたい。笑ってほしい。みんなで、楽しい時間を過ごしたい。いつだって僕は、自分の思う『幸せ』に向かって生きてきたんだ。その『幸せ』の真ん中には、いつも……」
瀧島君は、そこで言葉を止めた。そうして私を見て、優しい笑顔になる。
「──今日は、父に自分の気持ちを伝えられてよかった。如月さんが来てくれなければ、またケンカになるだけだったと思う。本当に、ありがとう」
そう言うと、瀧島君はゆっくりとうつむいた。
瀧島君の最後のお礼は、まるで終わりを告げる言葉のようで。
私の両目から、熱い雫がぽたりとこぼれた。