10 ゆれる思い
駅ビルは三階建てだった。入り口のフロアガイドを前に、瀧島君がこちらをふりかえる。
「どこから見ようか?」
「えっと……あっ、こことかどう?」
私は、三階にある雑貨屋さんの名を告げた。月夜見市にはない、大きくて有名な雑貨屋さんだ。
「いいね。行こう」
エスカレーターで三階までのぼった私たちは、まずは文房具コーナーをながめた。
(すごい! いつも行く文房具屋さんの、倍……いや、それ以上あるかも……!)
広い売り場にならべられた色とりどりのペンやノート、たくさんの付せんやマスキングテープに圧倒される。
「テレビで紹介されました」の文字とともに陳列されている最新式のカッターの前に来ると、瀧島君と私は「すごいね」「便利だね」と笑顔を見合わせた。
その後も、おしゃれだったりちょっと変わったりしているアイテムを見つけるたびに、瀧島君と盛り上がる。
「瀧島君、この砂時計、砂が下から上にのぼってるよ!」
「ほんとだ、おもしろい。不思議だね」
「勉強用のタイマーなんていうのもあるんだ。形がサイコロみたいでかわいい」
「音じゃなく、光でも時間を教えてくれるのか。これ、いいな」
どうしてだろう。特に欲しいものはなくて見ているだけなのに、瀧島君といっしょっていうだけで、すごく楽しい。
同じものを見て、おもしろがって。同じ時間をともに過ごして、思い出を共有して。
今までだって、同じようなことは何度もあったはずなのに。
今日はなんだか、すごく特別なことに思えるよ。
それって、やっぱり……私が、瀧島君のことを好きだから……なのかな。
あとは、「もしかしたら瀧島君が転校しちゃうかも」っていう不安のせいなのかもしれない。
(ああ、だめだめ。ひとまずは、今のこの貴重な時間を、できるかぎり味わおう)
その後私たちは、同じフロアの本屋さん、二階の服屋さんを見て回った。
服屋さんは、瀧島君が好きでよく買っているブランドのお店らしい。
聞いたことがないお店だったし、大人っぽくておしゃれなふんいきだったから、私は感心してしまった。
(瀧島君って、同い年とは思えないくらい洗練されてるなあ……)
服屋さんを出ると、瀧島君はふと足を止めた。
「如月さん。よかったら、ウサギを見に行かない?」
その言葉に、私はえっと目を丸くした。
「ウサギ? この近くにも、ウサギカフェがあるの?」
「いや、残念だけど、ウサギカフェじゃないんだ」
瀧島君が、通路の先を指さす。
そこには、ガラス壁で仕切られた大きなお店があった。
「ペットショップなんだよ。買えないからのぞくだけになっちゃうけど、少しくらいなら許してもらえると思って」
どうかな、と首をかしげた瀧島君に、私は大きくうなずいた。
「うん。ウサギ、見てみたい!」
通路を進み、ペットショップに入る。
ガラスのむこうに、たくさんの子犬や子猫の姿があった。
元気に遊んでいる子もいれば、ぐっすりと眠っている子もいる。
見ているだけで、心がほわほわといやされるようだった。
「ウサギは、奥のほうみたいだね」
瀧島君が、お店の通路の先を指さして言った。
ついていくと、ケージの中にウサギの姿を見つけた。
「ネザーランドドワーフ……すごい、小さいね!」
グレーやきつね色のウサギたちは、両手に収まってしまいそうなほど小さかった。耳が短めで丸っこくて、幼稚園にいたウサギとは種類が違うみたいだ。
「カイウサギの中では、最小のウサギだって聞いたことがある。ふわふわでかわいいね」
瀧島君が目を細めてウサギをながめた。ケージの前に貼ってある説明書きを見ると、寿命は五年から七年と書かれていた。
「みゅーちゃんは、何歳だったのかな」
思わずこぼれた私のつぶやきに、瀧島君が「うん」とうなずく。
「みゅーちゃんは、いわゆる雑種のミニウサギだと思う。何歳だったかはわからないけど、毛もツヤツヤだったし、たぶん若かったんじゃないかな」
「ミニウサギも、寿命は五年くらいなの?」
「いや。長生きする子は、十年以上生きるって聞いたことがあるよ」
(十年……)
みゅーちゃんがいなくなってしまったのは、四歳のとき。
もしみゅーちゃんがいなくならずに、十年生きられていたとしても……どっちみち、もう会えなかったんだろうな。
「……みゅーちゃんのこと、気に病まないでほしいな」
瀧島君の言葉で、え、と顔を上げる。
「たしかに、とても悲しいできごとだったと思う。でも、そのことでいつまでも如月さんに苦しんでほしくないんだ」
「でも……」
「扉を閉めなかったのが如月さんかどうかだって、本当のところはわからないんだよ。たとえそうだったとしても、過ぎ去ったことで思いなやんでほしくない。過去に戻ることはできないし、変えることもできない。僕たちは、過去と折り合いをつけながら生きていくしかないんだ」
それに、と瀧島君は続ける。
「如月さん、前に言ってくれただろう。『過去の意味は変えられる』って。どんなできごとも、今につながる大切な経験なんだって」
言われて、思い出す。そうだ。たしかに私は、そう言ったことがある。
スペースシティで、ミミふわになったときのことだ。
小学校時代のコウキくんとのことで、瀧島君は後悔していた。そして、悲しそうな表情で「過去は変えられない」って言ったんだ。
そんな彼に、私は「自分が変わっていくことで、過去の意味は変えていける」って伝えたの。
つらい過去を、大事な思い出に変えてほしかったから……。
「そう言ってもらえて、僕はとても救われたんだ。そのおかげで、コウキと仲直りできた。だから、如月さんにも同じことをしてほしい。みゅーちゃんの思い出の意味を、変えてほしいんだ。つらい記憶ではなく、僕らを結ぶ、せつないけれども大事な思い出に」
(私たちを、結ぶ……)
幼稚園のウサギ小屋。そこで過ごした、ユキちゃん──瀧島君との、大切な時間。
もう一度、ケージの中のウサギを見る。みゅーちゃんのふわふわの手触りを思い出し、胸がきゅっとしめつけられた。
私、自分で思っていた以上に、みゅーちゃんのことで深く傷ついていたみたい。
でも……そうだよ。きっと、変えられる。
みゅーちゃんのことを思い出しても、こんなふうに胸が痛まなくなるように。
大事な思い出にすることだって、できるはずだ。
「僕は……父にも、同じことをしてほしいと思ってる」
はっと、瀧島君を見る。ウサギを見る瀧島君のまつげが、震えていた。
「父は、過去にとらわれている。僕を守れなかったことを悔やみ、また同じことが起こるんじゃないかという不安の中で生きている。そこから、ぬけ出してほしいんだ。そして、優しかった昔の父に戻ってほしい」
そう言うと、ぎゅっと唇を引き結んだ。私は、そっと瀧島君の顔をのぞきこむ。
「瀧島君も、お父さんも……おたがいのこと、大好きなんだね」
「そう、なのかな。正直もう、それもよくわからないんだ。そう思いたいし、父が僕のことを大事に思ってくれていることには、感謝してる。でも、僕はもう、父が思うような子どもじゃない。父に守られなくても大丈夫だし、如月さん──心強い仲間だって、そばにいる」
瀧島君はそこで言葉を止めて、まっすぐに私の顔を見つめた。
「いっしょにいたい人は、自分で選ぶ。それを否定するくらいなら、そんな家族はいらない」
「瀧島君……」
ぎゅっと、胸がしぼられるように痛んだ。
家族には、代わりがいない。父親も母親も、兄弟だって、替えはきかない。
だからこそ、大事にしなきゃいけない。そう思ってた。
(でも……)
瀧島君の言っていることも、よくわかる。
「家族だから」、何をしても許されるなんてことはない。
むしろ逆に、「家族だからこそ」、甘えずにお互いを理解しあう努力をするべきなのかもしれない。
家族だからわかってくれるよね、とか。家族だから頼って当然だよね、とか。
そういう態度でいたら、バランスが崩れて、きっとそのうち崩壊してしまう。
すると瀧島君は、ふっと小さく息をついた。
「実は……転校の話が出る前は、父に理解してもらうことをあきらめかけていたんだ。どれだけ言葉を尽くしても、伝わらないだろうからって」
「えっ、そんな……!」
びっくりして、声がかすれる。
「でも、今はもう違う。僕は、如月さんにもらった言葉で父を説得したいんだ。そうすれば、きっとわかってもらえる。そんな気がするんだよ」
瀧島君は、そう言って静かにほほえんだ。
それを見た私の心にも、光が差したように感じた。
「うん。なんだか、うまくいくって気がする。お父さんだってきっと、瀧島君を困らせたいわけじゃないはず。だから、大丈夫。瀧島君の思い、きっと伝わるよ」
両手で拳を作って言うと、瀧島君は「ありがとう」とうれしそうな表情になった。
かと思うと、はっと目を見開き、顔をこわばらせた。
「……なんで……」
「──それはこっちの台詞だ、幸都」
背後から聞こえた低い声に、まさかと思いながらふりかえる。
そこには、肩を怒らせた瀧島君のお父さんが立っていた。