8 バスの中で
──キキーッと、急ブレーキの音。
「うわっ!」
バスが急停車したらしい。つりかわを持って立っていたコウキ君の体が、大きくゆれる。
次いで、ドーンという大きな衝突音。他のお客さんとともに、くずれるように床に倒れこむ。
「……ハル? おい、大丈夫か!」
コウキ君が手をついた床のすぐ先に、ハルちゃんがうずくまっていた。その頭からは血が流れ出て、髪の毛を赤く染めている。──
はっと、まばたきをする。
今のサキヨミ、五秒もなかったけれど。コウキ君とハルちゃんの服装は、ばっちり見えた。
遠ざかっていく二人が着ているものと、まったく同じだ……!
「如月さん?」
瀧島君が、真剣な表情で私の顔をのぞきこんでいた。
「もしかして……見た?」
ごくっとつばを飲みこんで、うなずく。
「見えたよ。ハルちゃん、バスに乗ったら怪我しちゃう!」
言いながら、再び二人のほうを見る。
角を曲がってしまったのか、もう姿は見えなくなってしまっていた。
「落ち着いて。何が見えたのか、教えてくれ」
瀧島君に言われ、私はドキドキする胸を押さえながらサキヨミの内容を告げた。
「それじゃあ、今日、この後のできごとなんだね」
「そうだと思う。ハルちゃん、バスに乗るって言ってたよね」
「ひとまず、追いかけよう。こっちだ」
そう言って駆け出す瀧島君についていく。
二人を見失ってから、まだそれほど時間は経っていない。
追いついて、バスに乗らないように伝えなきゃ……!
角を曲がり、広い通りに出る。少し先に、小さな屋根つきのバス停があるのが見えた。
「あれ、なんで? コウキ君たち、いない……!」
「ここを走るバスの路線は複数あるんだ。あそこじゃないとすると……」
言うなり、瀧島君が再び走り出す。
横断歩道を渡って交差点まで進むと、別の通りに入った。
すると、二十メートルほど先に、ハルちゃんのふわふわ髪が見えた。
「ハル、コウキ! 待ってくれ!」
瀧島君が叫ぶ。けれど、車や雑踏の音のせいか、その声は二人には届かない。
「ハルちゃん、待って!」
歩道を走りながら、私も大声で叫んだ。
すると、一台の路線バスが、低い走行音を立てて私を追いぬくように通り過ぎていった。
ちょうどハルちゃんとコウキ君は、バス停に到着したところだった。ほとんど同時にやって来たバスを見て、安心したように乗りこんでいく。
「だめだ、乗るな!」
瀧島君の声もむなしく、バスのドアは閉まってしまった。
私たちは息を切らしながら、発車するバスを見送るほかなかった。
「どうしよう……! これじゃあ、あのサキヨミが現実になっちゃう」
「いや、まだだ。まだできることはある」
瀧島君が、バス停の路線図を見ながら言う。かと思うとすぐにスマホを取り出し、何やら入力を始めた。
「限定グッズ発売……これか。場所は……そうか、なるほど」
スマホから顔を上げると、瀧島君がきらりと目を光らせる。
「グッズの販売場所からすると、あの二人はバスで終点の駅まで行くつもりらしい。ここから終点までは、三十分かかる。その間に、バスが急ブレーキをかける場所を特定してそれを阻止するんだ」
「場所を特定……って、そんな、どうやって!?」
「幸い、バスが走る道は決まっている」
瀧島君が、スマホで地図アプリを開く。
「なんでもいいんだ。サキヨミで見たり聞いたりした情報を教えてくれないか。バスの窓から見えたものとか、聞こえた音とか」
「えっと……」
言われて、必死に記憶をたどる。
「そういえば……何か、チカチカ音がしていたかも」
「なるほど。ウインカーの音かな?」
「そうだと思う。ウインカーってことは、バスは左右どっちかに曲がろうとしてたってことだよね。そこで何かが起こって、急ブレーキを踏んだのかも……!」
「左折か右折か、どっちだったかわかるかな。路線図を見ると、どちらも二回ずつあるんだ」
言われて、今度は見えていたものを思い出す。
コウキ君がつかまっていたつりかわは、運転席の近くだった。サキヨミで見えたのは、フロントガラスの一部と、進行方向に向かって右側にある窓の一部だ。
「どっちに曲がったかは、ちょっとわからないんだけど……右の窓には、緑と白っぽい何かが……看板、かな。建物にかけられている看板みたいなものが見えた気がする。思い出せるのは、それだけかな」
「いいぞ。それだけわかれば、特定できるかもしれない」
瀧島君が、スマホの画面をこちらに向ける。
「緑と白の看板といったら、コンビニとスーパー。あとはホームセンターと、コーヒーショップくらいかな。この中に、近そうなものはある?」
画面に映し出されていたのは、「緑と白」「看板」で画像検索をした結果だった。私はいくつかあるロゴの中から、ひとつのお店のものに注目した。
「これ、近いかもしれない! 白よりも緑の面積が大きくて、形もこんなふうに丸かった気がする」
私が指さしたのは、コーヒーショップのロゴだった。
「バスが通る道沿いには……二か所あるな。どっちも、交差点のすぐそばだ」
瀧島君が、路線図をとんとんと指さした。ちょうどバスが曲がる場所──右折と左折、一か所ずつの交差点。コーヒーショップは、そのすぐ近くにあるらしい。
「一か所がここ、右折の『上橋交差点』のそばで……もう一か所は、左折の『坂下交差点』近くだね。どっちもバスから見ると、右側にあるな」
スマホの地図アプリで、瀧島君がくわしい地図を見せてくれる。
「ちょっと待って。これ、バスはどっちからどっちに曲がるの?」
「上橋交差点は、こう右折で。坂下交差点は、こっちから左折、だね」
瀧島君が、地図の上で指を動かしてくれた。
(あれ? っていうことは……そうか!)
「瀧島君、わかったよ! 左折──こっちの、坂下交差点のほうだよ!」
地図を指さして言う。
どっちの交差点にも、たしかにすぐ近くにコーヒーショップがあった。
でもそれは、バスが曲がる前の進行方向の右奥側──つまり、交差点を越えた先にあったんだ。
「もし上橋交差点でバスが右折していたんなら、右側の窓から交差点の奥にあるコーヒーショップの看板が見えるわけないんだよ。左折だったら、ちょうど右の窓から見える位置にあるはず!」
「そうか、たしかにそうだ!」
瀧島君が、うれしそうにうなずく。
「いいぞ。この坂下交差点は、終点の近くだ。まだ時間はある。先回りしよう」
「えっ、先回りって、どうやって? むこうは、バスなんだよ?」
「大丈夫。バスには、バスで対抗できる」
瀧島君は、元来た道を戻り始めた。
「さっき大通りにあったバス停、これとは別会社のものなんだ。降りてから少し歩くようだけど、坂下交差点の近くを通る路線だったはずだ」
「ほんと? じゃあ、それに乗れば……」
「時間はぎりぎりだけど、バスが通る前にあの交差点に行けるかもしれない。急ごう」
「うん!」
私たちは、大通りまで戻ってバスを待った。
幸い、五分と待たずにバスがやってきて、無事に乗りこむことができた。
「でも……あのバスに、いったい何が起こるんだろう。急ブレーキってことは、飛び出しとかかな」
「交差点だし、その可能性は高いね。急ブレーキの後に、大きな衝突音がしたって言ってたよね」
「うん。どーんって、何か大きいものがぶつかるような、すごい音がしたの」
サキヨミを思い出しながら言うと、瀧島君が少し考えこむような顔になった。
「ブレーキをかけたけど、間に合わずに接触してしまった……ってところかな。でも、飛び出しだったら、人か自転車だよね。ぶつかったとき、そんなに大きな音が出るものかな」
「たしかに、そうだよね。なんだろう。何か、重い荷物を運ぶ台車を押している人……とか?」
「それはあるかもしれないな。とにかく、行って調べてみないことにはわからないね」
「そうだね。わからない、よね」
言いながら、ふと瀧島君のお父さんのことが頭に浮かんだ。
お父さんに会いにきたのに、会えなくて。思いがけなくコウキ君とハルちゃんに会って、サキヨミを見て。
そうして今、瀧島君と二人で、未来を変えるために力を尽くしてる。
なんだか、少し不思議な感じがする。
どんな状況にあっても、結局瀧島君と私は、サキヨミで見た未来を変えることを一番に考えて行動しちゃうんだな。
まるでそれが、ごく当たり前のことであるかのように。
でも、それはすごく自然で、心地いい。
こうやって瀧島君と二人でがんばってると、そのときは意識できないけれど。
あとから、「生きてる」って実感できるんだ。
(やっぱり……私の人生には、瀧島君もサキヨミの力も、欠かせないものなんだ……)
そう思ったとき、瀧島君がブザーを押した。
「次だよ。よかった、ぎりぎり間に合いそうだ」
スマホの時計を見て、にっと笑みを浮かべる。
「少し走るけど、あわてず落ち着いて。もしかしたら、危険な目にあってしまうかもしれない。けど、何があっても、如月さんには自分の身を一番に考えてほしい」
とつぜんの真剣なまなざしに、ドキッと胸が波打つ。
「う、うん。わかった。瀧島君こそ、気をつけてね」
「ああ。ありがとう」
バスが、停留所に到着する。
ICカードをかざして下車し、「こっちだ」と言う瀧島君についていった。
広い通りから路地に入り、早足で交差点まで向かう。
最後の角を曲がったとき、三十メートルほど先に「坂下」という表示のある交差点が見えた。右奥に、コーヒーショップの看板も見える。
「よし。まだバスは来ないはず……」
瀧島君が、そう言って後ろを見たとき。
その表情が変わったのに気づいて、私も後方をふりかえった。
見ると、コウキ君とハルちゃんが乗ったバスと同じバスが、こちらに向かって走ってきていた。
「……まずい!」
言うなり、瀧島君は交差点に向かって駆け出した。
その先に、青信号の横断歩道を渡ろうとしているお年寄りが見えた。
歩行器を押す背中が曲がっていて、ガードレールの陰に隠れてしまいそうなほど小さい。
動きもとてもゆっくりだ。あれじゃあ、バスの運転手さんが気づけないかもしれない。
サキヨミの中で聞いた急ブレーキの音が、不意に頭の中によみがえった。
「瀧島君、待って! 危ない!」
そう叫んだ私の横を、バスが追いぬいていった。
必死で走っているのに、瀧島君に追いつくことができない。
(どうしよう。このままじゃ、間に合わない……! それどころか、瀧島君まで!)
「──瀧島君っ!!」
『サキヨミ!⑪ 思いは届く?運命のわかれ道』
第3回につづく(6月2日公開予定)
書籍情報
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