第1章 家がなくなるって、ホントですか!?
どうしてわたしがこんな目にあってるのかって?
その理由は、さかのぼること一週間前にある。
「え、この家がなくなっちゃうって、どういうこと――!?」
この春、中学生になったばかりのわたしは、『まんげつ園(えん)』の庭にある古ぼけたベンチの上で、寝転んだままため息をついた。
というのも、さっき園長先生から、「ここ、閉園になるかも」って言われたばかりなのだ。
『まんげつ園』は、わたしの今の家。児童養護施設(じどうふくししせつ)っていうところで、いろんな事情(じじょう)で親と暮らせない子が一緒に生活してる。
わたしもそのひとり。
小学一年生のときにお父さんが家を出ていき、体をこわしていたお母さんも、小学三年生のときに亡くなった。
それからずっと、やさしい先生たちと兄弟姉妹たちに支えられて生きてきた。だから、このささやかだけどしあわせな日々を守りたいと願っていた。
──いたのに!
それが、お金がないって理由でなくなっちゃうなんて、そんなのって……!
「ああ……お金がないってほんとつらい……」
ぽつりとつぶやいたとき、ふいに頭の上に影が落ちた。
「そうよねえ」
聞きなれない声にびくっとして起きあがると、目の前にいたのは――。
「……だ、だれ!?」
スーツを着た、上品なおばあさん。
しわひとつないジャケットに、胸もとのブローチがキラリと光る。細いけれどピンと伸びた背すじ。
髪(かみ)は白く、まとめられているのに、どこかふわりと風になびいているみたいだった。目もとは優しいけれど、じっと見つめられると、こっちの心を見すかされそうな気がする。
なんというか、近づいちゃいけないような、でも目が離せないような、ただ者じゃない空気をまとっていた。
わたしが身がまえると、おばあさんはニッコリ笑った。
「だいじょうぶ。不審者(ふしんしゃ)じゃありませんよ」
いや、じゅうぶんアヤシイから!
わたしが警戒(けいかい)していると、おばあさんはさらっととんでもないことを言いだした。
「わたしが、お金をあげましょうか」
はあ!?
……やっぱりあやしい!
この人、ぜったいヤバい人!
園長先生呼ばなきゃ! とあわてて立ちあがろうとしたら、
「この園を続けていくためのお金よ」
その一言で、わたしはぴたっと動きを止める。
え、それって、ほんとに?
「でも、どうして……わたしに?」
つい、口から出た。
おばあさんは、ふふっと小さく笑った。
「わたしと、取り引きしない?」
「取り引き……?」
でも、わたし、とりえも、何もない、どこにでもいるような中学一年生だ。
そんなわたしに、どうして?
え、人身売買とか? ゾウキ売買とか? やっぱりそういうヤバいやつ?
こわくなって後ずさると、おばあさんは言った。
「あなたが、とある学校に転校してくれるなら、園にそれなりのお金を寄付(きふ)するわ」
「……どこの学校?」
「東京栄正学園。知らない? 全寮制(ぜんりょうせい)で、次の時代を担(にな)うリーダーを育てている名門中の名門の学校よ」
全寮制? ってめっちゃお金かかりそう!
「そんなすごいところに、なんでわたしなんかが?」
しかもそれを条件に大金を出すって言ってるんだよね?
どー考えてもうさんくさい!
ぜったいだまされてるし、相手にするだけ時間のムダ!
おばあさんは、じっとわたしを見つめた。
「わたしなんか?」
ちょっと困ったように笑って、それから小さな声でつぶやいた。
「わたしはね……ずっとあなたを──あなたみたいな子を、探していたのよ?」
え?
今、なんて言った? わたしみたいな子を?
って言われても、ぜんぜんピンとこない。
「あなたには、可能性(かのうせい)があるの。だから、これはお願いじゃなくて、期待なのよ」
期待。それは、あたたかくて、でもちょっとだけ重たい言葉だった。
おばあさんは、やわらかくほほえんだまま続けた。
「わたしはもう、動けないから。だから、バトンをわたしたいの。夢の続きを、あなたにたくしたい」
夢の続き……?
「そんな、こと、言われても」
わけがわからなくて、とまどっていると、おばあさんは顔を近づけてきた。
「わかりにくかったわね。じゃあ、もう少し、わかりやすく話しましょうか」
そして少し意地悪な口調で言った。
「あなたがこの話を断るなら、この園は閉園になる。つまり、園の子たちの未来は、あなたの決断にかかっているってこと」
有無を言わせない重みを感じて、わたしは小さく息をのんだ。
園の弟たち妹たちの顔が、つぎつぎに思いうかぶ。
転々としたあと、やっとたどり着いた場所。
古い園舎を、みんなでペンキを塗り直して、机も直して、少しずつ、自分たちの家にしていった。
わたしと同じように、いろんなことがあって、ここにたどり着いた子たち。
最初は、だれも笑わなかったし、目も合わせてくれなかった。
小太郎(こたろう)の泣き顔が思い浮かぶ。
声も小さくて、何かを怖がるみたいに、いつもわたしの背中にかくれていた。
それが今では、「ことはねえねー!」って、笑顔でかけよってくる。
このあいだだって、「大きくなっても、ずっとここで一緒にくらしたい」なんて、はにかみながら言ってくれた。
結菜(ゆいな)も、最初は、だれにも頼らないって決めているみたいだった。
でも今は、「ことは姉ちゃん、しょうがないなあ」って言いながら、さりげなく手を貸してくれる。
しっかり者の結菜がいてくれるおかげで、園のみんなも、前よりずっと明るくなった。
――もし、ここがなくなったら。
みんな、バラバラになって、また一からやり直し。
やっと手に入れた笑顔が、消えてしまうかもしれない。
そんなの、耐えられない。
わたしは、きゅっと胸を押さえながら、園舎を見やった。
ギイと音をたてて、がたついた古い窓が開く。
その向こうで、小太郎と結菜が、こっちに向かって手を振っていた。
「ことは姉ちゃーん!」
小さな声が、風に乗って届く。
わたしも、手を振りかえしながら思った。
わたしに、みんなの笑顔が守れる?
守れるのなら。条件がなんであれ、受け入れるしかないんじゃない?
「……つまり、わたしには他に道はないってことですよね?」
わたしがそう言うと、おばあさんは、
「道は、作るものよ?」
と、ニヤリと笑った。
どうやら、今、わたしの前には、一本の道しかないみたいだった。
第2回へつづく(9月4日公開予定)
書籍情報
10月8日発売予定!
- 【定価】
- 858円(本体780円+税)
- 【発売日】
- 【サイズ】
- 新書判
- 【ISBN】
- 9784046323521
つばさ文庫の連載はこちらからチェック!▼