【2】
ぼくはびっくりしながら周りを見た。
公園はどこにも見当たらなかった。それどころか、ここはどうやら大きな建物の中のようだ。天井も床も壁も、つやつやした灰色と白の石でできていて、立派な柱が何本も立っている。まるで外国の神殿みたいだ。
神殿の中央には、大きな緑の石の祭壇(さいだん)があって、ぼくはその上に立っていた。
目をぱちくりさせていると、オレンジ色の妙ちきりんな服を着た人達が「成功だ!」
とか「やったぞ!」とか叫びながら、ぼくのことをわらわらと取り囲んできた。
そして……。
その人達はぼくの手の中から、フライドチキンの箱を奪いとったんだ。
「これか!」
「なんとかぐわしい! それに、つばがわいてくるぞ!」
「なんとも不思議な現象だ。じっくり調べてみたいところだが」
「いや、そんな時間はない。一刻も早く、女王様のもとへ!」
「そ、そうだ! ごふっ! 我々の犠牲(ぎせい)を無駄にしてはならん!」
「じょ、女王様! さあ、こちらをどうぞ!」
なにやら血を吐きながら、その人達はフライドチキンを奥へと持っていった。奥には、頭から銀色の布をすっぽりかぶった人がいた。とても小柄だから、きっと子供だ。
その子は箱を受けとるなり、フライドチキンをつまみあげ、頭の布を少しだけずらした。形のいい小さな口が現れ、ぱかりと大きく開いた。そして……。
がぶり!
その子はフライドチキンにかぶりついたんだ。
ここに来て、ぼくはようやく我に返った。
「ま、待て! ぼくのチキン返せ!」
ぼくは大声をあげて、祭壇から飛びおりて、奥に突進していこうとした。でも、たちまち大人達に前をふさがれた。
「なんだ、この子は?」
「これも女王様への贈り物か?」
「子供が贈り物になどなるわけないわ。たぶん、勝手についてきてしまったのよ」
「おまけってことか?」
「どいてよ!」
ぼくは大人達を押しのけようとした。こうしている間も、ぼくのフライドチキンはどんどん食べられてしまっていたからだ。
と、若い女の人がぼくに青く光る杖を向けてきた。
「無礼者! おまけの分際で、女王様のお食事の邪魔をするな!」
女の人はわめきながら、杖を振るった。すると、杖から青い稲妻が飛びだしてきて、ぼくにぶちあたった。
バリバリバリ!
雷に撃たれたようなショックが、ぼくの全身にかみついてきた。
一瞬で気が遠くなりながら、ぼくは理解した。
ここがどこか知らないし、この人達の目的もわからない。でも、これだけははっきりとわかった。ぼくはフライドチキンのおまけなんだ、と。
……なんだそりゃ!
そう思ったところで、ぼくは完全に気を失った。
はっと気づけば、ぼくは知らない部屋の中にいた。
部屋の中は、外国のような雰囲気があった。彫刻がほどこされた木製の大きなベッド、凝った刺繍がしてある壁掛け、きれいな模様が浮かびあがっているタイルの床。ドアも一つあったけれど、こちらにも彫刻がびっしり彫りこまれている。
しばらくの間、ぼくはベッドの上でじっとしていた。頭の中がわちゃわちゃして、なにがなんだかわからなかったからだ。
光が現れ、ぜんぜん知らない場所に運ばれ、変なやつらにチキンを奪われて……。
ああ、チキン!
かっと、ぼくが目を見開いた時だ。
ふいにノックがして、ドアが開いた。
「失礼します。あ、よかった。目が覚めたのですね」
優しく呼びかけながら部屋に入ってきたのは、背の低い女の人だった。浅黒い顔には少ししわがあり、ふしぎな形に結いあげた黒い髪にも白いものがまじっている。でも、すっきりと腰がのびていて、動きもきびきびしていた。
白いゆったりしたスカートの上に、丈が長めの紫色の服を着て、帯をしめている。服にも帯にも、宝石みたいにきらきら光る刺繍がびっしり縫いつけられていた。すごく大きな緑と黄色の宝石の耳飾りをしているので、お金持ちそうだなと、ぼくは思った。
固まっているぼくに、女の人は上品にほほえみかけてきた。
「私はギータ。シャルディーン国の宰相です。いきなりの召喚に、さぞかし驚いたことでしょう。体はどうですか? 痛みは残ってはいませんか?」
とてもていねいに呼びかけられて、ぼくはびっくりしながらも、なんとか答えた。
「だ、大丈夫です」
「ああ、それはよかった。……何を言っても言い訳になってしまいますが、こんな目にあわせるつもりはなかったのです。シュナもあやまっていました。興奮していたとは言え、いきなり稲妻魔法を向けたのは本当に申し訳なかったと」
「魔法? ……あの、ビリビリした青い光のことですか?」
「はい。魔法を見るのは初めてですか?」
「…………」
この人、ふざけてるのかなと、ぼくはじっとギータさんを見た。でも、ギータさんはすごくまじめな顔をしている。
この人は冗談なんか言っていない。ということは……。
ふいに、ぼくはぞわっと背筋が寒くなった。
ギータさんの着ている見たこともない服。シャルディーンという、聞いたこともない国の名前。そして、魔法。
普通じゃありえないことが起きている。ぼくはいったい、どうしちゃったんだろう? いったい、ここはどこなんだ? これは夢? ああ、そうか。夢の中なんだ。うん、そうに決まってる。
心の中でつぶやいているぼくに、ギータさんが名前を尋ねてきた。
「あ、ぼくは尾巻啓介です」
「オマ、スケ? ああ、オマケ殿とおっしゃるのですね」
「いや、違います! 名字が尾巻で、名前が啓介です」
とたん、ギータさんの顔がひきつった。
「……ご冗談でしょう?」
「え?」
「我が国の古い言葉で、オマキは弱虫、ケイスケはお尻という意味なのです」
「うそ!」
「本当です。その……このような言葉であなたを呼ぶのは気が進まないのですが……」
ギータさんに申し訳なさそうに見つめられ、ぼくはがっくりしながらうなずいた。
「……オマケでいいです。オマケって呼んでください」
「ありがとう。では、そうしましょう。……ある意味、あなたにこれほどふさわしい呼び名はないですね。あなたはまさに、その、おまけですので」
言いにくそうに口をゆがめながら、ギータさんは色々とぼくに教えてくれた。
ここがアーグルマールという世界だということ。
シャルディーンは、この世界に存在しているただ一つの国だということ。
シャルディーン国を治めているのは、シイラディ・マハラーガ女王だということ。
そして、その女王に呪いがかけられていること。
「呪いを解く方法は、まだ見つかっていません。ですが、このままだと女王様の体がもたない。だから、一年に一度、魔法使い達が城に集まり、召喚術を使うのです」
「召喚、術?」
「はい。女王の苦しみを和らげるものを、他の世界から取りよせる術です。非常に高度でむずかしい魔法で、四十人の高位魔法使いが全ての魔力をふりしぼって、ようやくやりとげられるものです。……彼らのがんばりによって、今回も無事にすばらしいものが手に入り、女王もそれはそれはお喜びでした。……唯一の誤算は、異世界の子供がついてきてしまったことです」
「つまり……ぼく?」
「はい、あなたです、オマケ殿」
やっぱり、この人達の狙いは最初からフライドチキンで、ぼくはおまけだったんだ。気づいてはいたけれど、こうはっきり言われてしまうと、かなりショックだった。
なにより、ぼくにはもうわかっていたんだ。
これは現実なんだって。
ここは、ぼくがいた町でも日本でも、地球ですらない別の世界なんだって。
泣きそうになりながら、ぼくはギータさんにすがりつくように言った。
「あの、ぼく、帰れるんですよね? 元の世界に帰してくれるんですよね? ま、まさか、一生帰れない、とか……」
「落ちついて。大丈夫です。必ず元の世界に戻してさしあげます。ただ……さっきも言いましたが、召喚術はとても大変な魔法なのです。召喚術に参加した魔法使いは、一年間は魔法そのものが使えなくなります」
「それって……」
「はっきりと言いましょう。少なくとも一年は待ってもらわなければなりません」
「い、一年!」
今度こそ、目の前が真っ暗になるような心地になった。
一年も家に帰れない。
つまり、一年も家族に会えない。
ああ、みんな、ぼくのことをどんなに心配するだろう。誘拐されたのか、事故にあってしまったのかと、母さんとばあちゃんはきっと大泣きだ。父さんとじいちゃんは、警察だけじゃなく、探偵とかにも捜索依頼をするはずだ。そういうのはお金がかかるって、ぼくだって知ってる。でも、父さんたちは絶対にそうする。ああ、ぼくを捜している間は、「どうでも堂」だってお休みになるだろう。
せっかく冬休みの限定メニューをまかされたのに。
楽しみにしていたクリスマスも、お正月のお年玉も、全部パーだ。
そんなことがつぎつぎ頭に浮かび、ぼくは苦しくて息ができなくなった。
真っ青になってよろめくぼくを、ギータさんは慌てて支えてきた。
「オマケ殿? だ、大丈夫ですか?」
「き、気分が、急に悪くなっちゃって」
「それはいけません。さ、そこにバルコニーがあります。少し外の空気を吸いましょう」
ギータさんはぼくを支えながら、奥にあった壁掛けをさっとはらった。その向こうには、かなり大きなバルコニーがあった。
ぼくはバルコニーに出てみた。
「ひゃあっ!」
思わず声をあげてしまった。
ぼくは、大きくて高い城にいたんだ。
まるで小高い山のてっぺんにいるように、遠くまで見渡すことができた。
城の周りには、町があった。色とりどりのとんがり屋根の家々が密集していて、まるで蜘蛛の巣のように水路がはりめぐらされている。広い道のあるところには、大きな市場があるみたいだ。人でにぎわっているのが、ここからでも見えた。
かなり先には城壁があり、この城を中心として、ぐるりと町を取り囲んでいるのだとわかった。そして城壁の向こうは、墨汁で塗りつぶしたみたいに真っ黒だった。
目を丸くするぼくに、ギータさんが説明してくれた。
「あの黒いところは黒鉄麦の畑です。黒鉄麦は、茎も葉も穂も、みんな黒いのです。ここからは見えませんが、畑の先にはさらにもう一つ、外壁があります。その壁の向こうには、大密林ナズラームが広がっています」
「大密林……」
「ええ。危険な生き物達の住み処で、まさに魔境です。経験豊富な狩人が、町の人に頼まれて薬草や貴重な鉱石などを採集しに行くことはありますけど、一般人はまず足を踏み入れません」
「……ぼくも行かないようにします」
「それがいいですね。ああ、少し顔色がよくなってきたようですね。お腹も空いてきたのではありませんか? 今、食事を持ってきましょう。少し待っていてください」
そう言って、ギータさんは部屋から出ていった。
ぼくはそのままバルコニーに立って、見知らぬ世界を見回していた。
「ぼく……ほんとに、異世界に来ちゃったのか」
心細くて、また気分が悪くなりかけた時だ。
ふいに、空を何かが横切っていくのが見えた。
「えっ、魚?」
それは魚だった。鯛に似た金色の魚が、群れで飛んでいたんだ。
不思議なことに、その空飛ぶ魚を見たとたん、お腹が大きく鳴った。つづいて、「うまそう!」と、胃袋が叫ぶのを感じた。
こんな時でもお腹が空くんだと、ぼくは驚いた。そして、ふいに気分がしゃっきりした。
「そうだ。こういう時こそ、食べなくちゃ!」
じいちゃんも父さんも、いつも言っている。食べれば元気が出るんだと。落ちこんだ時ほど、何か食べたほうがいいんだと。
「そうだよ。一年、がまんすれば、帰れるんだ。そのためにも、しっかり食事をとって、元気でいなくちゃ。そうだ。せっかくだから、異世界の料理をうんと楽しんでやろう。ここでしか食べられないものとか、いっぱいあるはずだし」
気持ちが前向きになったところで、まるでタイミングを見計らったみたいに、ギータさんが食事を運んできてくれた。
「さあ、いっぱい召しあがれ」
渡されたのは、金の装飾がほどこされた大きな美しいお皿だった。そして、そのお皿に山盛りにされていたのは、真っ黒な玉だった。野球ボールほどの大きさで、手に持つと、鉄みたいに重い。
大砲の弾としか思えない代物に、ぼくは目をぱちくりさせた。
「あの……これ、なんですか?」
「黒鉄麦(くろがねむぎ)でこしらえたパンです」
「パン……。どうやって食べるんですか?」
「どうって、もちろん、そのままかじればいいんです。さ、どうぞ」
ぼくはじっと黒いパンを見つめた。どうにも食べたいという気持ちがわいてこない。というより、食べ物って感じがまるでしない。
いやいや、こんな見た目だけど、じつはおいしいかもしれない。そうだよ。だって、ここはお城で、ぼくはお客様なんだ。お城で出る食べ物が、まずいわけがない。
そう思い、ぼくはパンを食べてみることにした。
がんっ!
かじったとたん、すごい衝撃が歯に走った。パンは鉄みたいに固かったんだ。
「固っ!」
ぼくは慌てて口からパンを離した。
「ごめんなさい。これ、ぼくにはちょっと……」
「そうですか。歯が弱いのですね。では、おかゆにしましょう」
「まだ若いのにかわいそうに」という目をしながら、ギータさんは深皿にパンをうつした。そして、部屋の中に置いてあった水差しを手に取り、深皿に水をそそいだんだ。
あれよあれよという間に、あれほど固かったパンが崩れていき、灰色のどろりとしたものに変わった。
「はい、どうぞ。おかゆです。これなら柔らかいから、食べられるでしょう」
「……ありがとうございます」
食べたくないと、心底思いながら、ぼくは深皿を手に持ち、口に運んだ。
ずろ、ずぞぞぞっ!
確かに、柔らかかった。でも、ひどい粘り気だ。それに、味も香りもまったくしない。まるで泥を飲みこんでいるような気分だ。
せめて、もう少し味さえあれば。
ぼくはギータさんに言った。
「あの、お塩をもらえませんか?」
「塩? それはどんなものですか?」
「しょっぱいものです。ほら、海の水みたいな」
「しょっぱい? 海の水? ごめんなさい。そういうものは聞いたことがありません」
「それじゃ、お酢は? 醤油(しょうゆ)とかオリーブオイルとか? とにかく、味を足すものとか、ないですか?」
「味を足すもの……。言っている意味がわかりません。魔法の道具か何かですか?」
「……いえ、もういいです」
心の中でひいひい泣きながら、ぼくは一気におかゆを飲み干しにかかった。
重たくて冷たいおかゆが、胃袋の中にもったりと落ちていくのがよくわかった。
やっとのことで全部たいらげたあと、ぼくは弱々しくお願いした。
「すみません。できれば、次の食事はべつの料理でお願いします。この世界のものを色々と食べてみたいなと思っているんで」
「でも、ここにある食べ物は、パンとおかゆだけですよ?」
「えっ?」
冗談かと、ぼくは思った。でも、ギータさんはまじめそのものの顔をしていた。
「私達の食べ物は、黒鉄麦のパンとおかゆだけです。それ以外のものは食べません」
「じゃ、じゃあ、毎日、同じものしか食べないんですか? 一生?」
「はい」
ぼくはもう言葉も出なかった。歯が折れそうなほど固いパンか、どろっとした味のしないおかゆしか食べられないなんて、この世界の人達はなんて気の毒なんだろう。
と、ギータさんが手のひらにのるような小さな壺を差し出してきた。
「どうぞ。軟膏です。オマケ殿はおかゆを食べたので、きっとこれが必要になりますよ」
「……?」
きょとんとするぼくを、ギータさんはまた気の毒そうな目で見つめてきた。
「黒鉄麦のおかゆは、食べたあとに胃袋の中でかたく固まってしまうのです。ですので、その、出す時がとても大変でして。とにかく持っていてください」
ぼくに壺を押しつけたあと、ギータさんはとってつけたように笑った。
「もうすぐ日も暮れます。今日は色々あって疲れたでしょう? この部屋でゆっくり休んでください。明日は我が国を案内します。きっと気も晴れることでしょう」
そうして、ギータさんは部屋から出ていった。
一人残されたぼくは、しばらく呆然としていた。これからのことを考えただけで、めまいがしそうだった。一年もこんな場所にいて、砲丸みたいなパンか、生コンクリートみたいなおかゆを食べつづけるしかないだなんて……。
「うわああああ、父さん! 母さん! じいちゃん、ばあちゃん! 助けてえええ!」
その夜、ぼくは泣きながら眠った。
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異世界に召喚された! といっても、召喚されたのはチキンのほうで、啓介はただのオマケ。
しかも、おいしい食べ物がな~んにもない世界だなんて、ひどすぎる!!!!
でも、おいしいものがないのなら……おいしいものを、見つければいいんじゃない?
啓介の挑戦がはじまります!! 次回もおたのしみに♪(12月15日公開予定)
- 【定価】
- 1,430円(本体1,300円+税)
- 【発売日】
- 【サイズ】
- 四六判
- 【ISBN】
- 9784041154052