千花を札に置いたまま、わたしは凍りついちゃった。
そして樹ちゃんの顔面が、怒りの色に塗り変わる。
「きみ、どういうつもり?」
「入江。おまえ、わざわざそんな事を言いに来たのかよ」
八上くんまで一歩足を踏み出した。
アキは二人を無視して、ずんずんわたしに向かってくる。
彼女の迫力に、わたしは筆と札を手に持ったまま後ろに下がって、背中を机にぶつけた。
「ア、アキ?」
「今、樹センパイが『命を削る』って言ってたよね。それ、りんねが死んじゃうって事?」
「ち、ちがう。すぐにじゃないよ。あんまりやりすぎると、……寿命が短くなるっていうだけで」
「だけじゃないでしょ! 大変な事じゃん!」
肩をつかんで、怒鳴られた。
樹ちゃんが割って入ろうとした格好のまま、途中でストップする。
「でも、玲連がまだひとりぼっちで、」
「わかってる! こっそり聞いてたっ。でもなんなのっ? なんでりんねがやんなきゃいけないの!? どうしてりんね、いつも人のことばっかりで、自分ばっかり損して、マジでムカつく! 今度は命を削るとか……っ。いいコぶるのも、いいかげんにしろよ!」
アキの瞳に、みるみる涙がたまっていく。アキが泣くのなんて初めて見る。ひどい言葉を叩きつけられてるのに、わたしも、……目の奥が、ツンと熱くなる。
アキはわたしのために、泣いてくれてるの?
「……アキ」
「りんねはもっと自分を大事にしろ! やりたくない事は、ちゃんと嫌だって言え! 今だって、……いつももだよっ。どうして、みんながうまくいくようにって、ぜんぶりんねが帳尻を合わせようとすんのっ? あんたって、そんなに、みんなの感情の全責任を取れるほど、すごくてエラいわけ!?」
「そ、そんな風に思ってない! わたしはただ……っ、」
アキは、わたしの事、そんな風に思ってたの?
みんなが笑顔でいられるように、わたしがなんとかしてあげるからね、みたいに? わたしそんな傲慢な事、考えてないよ。むしろ……。
唇を噛んでうつむいたわたしの肩を、アキが両手で揺さぶる。
「ただ、なに。言いなよ。言わないから、りんねはズルいんだよ」
「わたしは! 役に立てたら、みんなの中に、自分の居場所をもらえるかなって! わたし、こんな術なんて使うし、みんなが見えないものが見えちゃうしっ。ちーちゃんも、カラスさんも、ほんとにいたんだもんっ! わたしだけ、全然、みんなのふつうとはちがくって……! だから、だからっ」
涙がこみ上げてくるせいで、声がひしゃげる。
真向かいのアキも、顔をしかめる。でもわたしから視線をはずさない。まっすぐ見つめ続けてくれてる。
だからわたしは、まだ言葉を続けられる。
「アキたちのせいじゃん! アキたちが、〝フシギちゃん〟って、からかうから……っ。だけどわたし、全然ふつうになれないからっ。だから、〝フシギちゃん〟が、みんなと仲良くしてもらうにはっ、なにか、いい事しないとって……!」
目も鼻もずびずびで、わたしは思い切りしゃくりあげる。
アキも、樹ちゃんも八上くんも、みんな黙った。教室の窓から、外の騒ぎの声が聞こえてくる。
「ごめん」
アキはわたしの肩をつかんだ手に、痛いくらいの力をこめた。
「ごめん。ごめん。ごめん」
涙でいっぱいの真っ赤な目で、わたしを見つめて言う。
「初等部の時の事、りんねがずっと忘れてないの、わかってた」
「アキ」
「うち、あの時ね。りんねがいいコすぎて、まぶしくて。うらやましくてイジワルしたんだよ。そんな自分が、ますます大嫌いで。なのに、りんねのそばにいさせてもらいたいから、なんにも気にしないフリしてた。りんねより、ずっとずっと、うちが偽善者だ。りんねがいいコでいようとして、無理してんの見ると、うちらがトラウマ作ったせいだよねって、ずっと、毎日、ごめんなさいって思ってた……」
アキの瞳のふちから、大粒の涙がぼたぼたこぼれ落ちていく。
わたしは……、アキの心の中が、自分が想像してたのとは全然ちがくて。呆然と彼女を見つめる。
アキは、わたしのそばにいたいって、思ってくれてたの?
わたしをそばにいさせてくれてるんじゃなくて。
彼女はいつも、「言いたいコトはちゃんと言いな」って言ってくれてたけど。
「偽善者」っていう悪口に、アキも加わってたとしたら、それは悪口っていうより、むしろわたしのために、無理するなっていう意味で、怒ってくれてたのかなぁ……っ。
「さっきも玲連を消したって疑って、怖がってごめん。りんねがわざとそんな事するわけないの、当たり前なのに、ビックリしちゃったんだ。りんねが一番怖かったよね。
りんねはうちにとって、ほんとに天使だ。でも天使じゃなくても大好き。うちが友達だと思うのを許してくれるんなら、ずっと、一生、友達でいてほしいっ。だから、だからぁっ。りんねが死んじゃうなんて、イヤなんだってばぁ……!」
アキは涙をぼたぼたこぼす。しわくちゃになった真っ赤な顔に、わたしも喉が涙でつまって、なんにも言えない。両拳を握りしめて、ぶるぶる首を横に振るだけ。
わたしのほうだって、アキたちみんなに、謝らなきゃなんだ。
アキたちはふつうだから、ふつうになれないわたしの事なんか、心から好きになってくれるはずないって思い込んでた。「わたしたち仲良しだね。一緒にいてくれてありがとう」ってニコニコしながら、心の底では、ずっとアキたちからの気持ちを疑い続けてた。
……それが透けて見えてたなら、めちゃくちゃ、気持ち悪かったと思う。
「わっ、わたしもっ。ご、ごめっ、ごめんねっ」
喉を細くする涙を押し分けて、やっとそう言えたとたん。
アキに、ガバッと抱きしめられた。
落っことしそうになった千花を、樹ちゃんがいったん預かってくれた。彼は文房師っていうより、「お兄ちゃん」の顔でほほ笑んでる。
八上くんはそっぽを向いて、居心地悪そうにソワソワしてるのが、なんだか申し訳なくて、ちょっとかわいい。
わたしも両腕でぎゅうっとアキを抱きしめ返した。
あったかい。トットットッて、心臓の鼓動の音が、押しつけた耳に響く。ガサガサに荒れてトゲだらけになってた心のひだが、優しい手でなでられてるみたいに、少しずつ落ち着いていく。
そういえばわたし、雨に降られたままで、髪も濡れてるんだ。
アキはそれも構わず、わたしのつむじにほっぺたを押しつけて、いつもみたいにぐりぐりしてくる。
わたしは彼女がよくやるその仕草に、泣き笑いだ。
「……アキ。わたし死にたくない。だけど今回だけは、ちょっとだけ無理する。わたし、ふつうじゃないのがずっと悲しかったけど。でも、そのおかげで玲連を助けられるなら、自分のふつうじゃないとこを、ちょっと、好きになれるかもしれない」
「りんね……」
「それにあと一回だけなら、そんな大変な事にはならないよ。わたしは、玲連とアキと桜と、毎日四人で一緒がいい。だから、やる」
言い切ったわたしに、アキは何度も瞬きする。初めて会った人を見るような目だ。
そしてゆっくり、両腕をほどいて後ろに下がっていく。
心配してくれる瞳がうれしいなんて、わたし、ひどい?
「樹ちゃん」
名前を呼ぶと、彼はごくりと喉を鳴らし、黙って千花と札を渡してくれた。
わたしは改めて穂先を札に置く。
今ならアキの前だって、胸を張って術を使える!
千花、いっしょにやろっ。
胸いっぱいの熱いものに、気持ちは昂ってる。絶対に、玲連を助けられるっていう確信がある。
……なのにっ。あれ……っ、体だけが、思いどおりについてきてくれない。
筆を滑らせ始めて、「憬」の最初の一画で、ヒュッとチカラを持っていかれた。指先が氷みたいに冷たくなって、軸を持つ感覚も遠くなる。
でも、わたしがここで気絶したら、玲連が帰って来られない……っ!
本物の玲連が、消される直前に言ってた言葉を思い出す。
──特別なのは、自分だけだと思ってるでしょ。
玲連は、わたしが「特別」だから、上から目線で、みんなに何かしてあげてると思ってたのかな。
ちがうよ。わたし、ちゃんと「ちがう」って言いたい。言いたいと思う自分を、もう自分で殺さないから。
玲連、もう一度わたしと向き合い直してくれる? チャンスをください。
札に走らせる千花に、容赦なく体温を奪われていく。もうすでに〝今日のぶん〟が残ってなかったんだって、先走る千花の穂先を必死に追いかけながら、実感する。
でも、まだっ、がんばる……!
玲連、もどって来て!
全身から冷や汗を噴き出しながら、札を持つ手を無理やり持ち上げる。
「ミコトバヅカイの名において、千花ことほ、」
そこまで唱えた時、足首を、ガッとなにかにつかまれた!
樹ちゃんが文鎮を投げようとして、ピタッとその腕を止める。
わたしの足首をつかんだのは、──床の影から生えた、女の子の手だ。
その手首には、パワーストーンのブレスレット……!
「玲連!」
わたしは急いで彼女の手をつかむ。向こうからも、にぎり返してくれた!
玲連が、自力で影から出てこようとしてる!?
「玲連、がんばってぇっ!」
彼女の反対の手も、影の中からニョキッと突き出てくる。
アキがその手を取る。樹ちゃんと八上くんも加わってくれる。
そして──、四人がかりで、影の中から玲連を引っぱり出したっ!
どさっ。
わたしは尻もちをついたとたん、すぐにバッと起き上がる。
「玲連!」
目の前に、玲連が座り込んでる!
自分で、チョウの術を解いた!? 床にあった影のシミも消えてるっ。
彼女は泣きはらして、ぐったり疲れた顔で、取り囲むわたしたちをぐるりと見回し──。とたん、ブワッと涙を噴き出した。
「りんねぇ、わたし、教室の声、ずっと聞こえてたよぉ……っ。『りんねが偽善者』って悪口言い出したの、わたしなんだっ。りんねに霊感あるっぽいのも、みんなが驚くような、カッコいいお兄さんに大事にされてるのも、すごく、うらやましくて……っ。りんねみたいに特別なコになりたかったのに、わたしは、ふつうすぎてっ。特別な事なんてなんにもなかったから、ずっと、別の自分になりたかったぁ! だから、ヤキモチ焼いてたのっ!」
玲連は両手と両ヒザを床について、唖然とするわたしのところまで這ってくる。
「それなのに、助けようとしてくれたの? りんね、わたしのせいで、命減っちゃった? ごめんねぇ……っ。ありがと、ありがとぉ……!」
玲連がわたしの首にすがりついた。
さらにアキも飛びついてきて、そしてなぜか、桜も!
「さ、桜!? いつからいたのっ?」
「桜、三人の事、さがし回ってたんだよぉっ。プールにもいないし、グラウンドにも来ないしぃ! 桜だけ仲間はずれにしないでよぉ!」
桜もうるうるした顔で、床にヒザをついてわたしたちを抱きしめてくる。
耳に押しつけられた玲連の、涙に濡れたほっぺたが、やわらかくて、熱い。わたしはズッとハナをすすって、よく三人にされてるみたいに、彼女の頭をぽんぽんとなでた。
「玲連。おかえりぃ」
「ただいまぁ……!」
怖かったよぉぉって、大きな声で泣きじゃくる彼女は、ふだんのクールな彼女からは想像もつかない。
でもホントに、暗闇の中で一晩、怖かったよね。
よかった。みんな無事でよかった……!
千花、手伝ってくれてありがとう。樹ちゃんも八上くんもありがとう。
二人を見上げると、樹ちゃんはもちろん、八上くんまで、ふにゃりと眉を下げて、笑ってる……!
あの〝ハチのほうのハチミツくん〟が、ほんとにハチミツみたいに、細めた瞳をきらきらさせて、甘い笑顔だ。思わず目が釘付けになっちゃった。
彼はわたしが凝視してるのに気がついて、パッと顔を背ける。
「あっ!」
樹ちゃんがいきなり、パンッと両手を打ち合わせた。
みんなでそっちに注目すると──、彼がゆっくり開いた両手の中で、ほのかな白い光が瞬いた。
「さっき気づいたんだけど、チョウが札に変化しようとする時、一瞬だけ、羽がちらっと光るんだ」
教室一面が、きらきら、小さな光で満たされてる……!
チョウたちが急に動きだした。
じゃあ、攻撃してくる!?
事態がわかってないアキたちは、「なになになにっ」と悲鳴を上げる。
樹ちゃんがわたしたちをかばって文鎮を構えた。でもこんなに取り囲まれて札を飛ばされたら、よけられるワケないっ。そんな量の札じゃ、どんな字だって、もう書き換えられないよ!
とたん、八上くんが窓ぎわに走った。
彼は自分の机に飛びつき、中に手を突っ込む。
「これ! おまえたちの本体なんだろ!?」
彼が片手で掲げたのは、一枚の和紙。なんにも模様のない、ただの真っ白い紙。
……だ、だけど、机の中で教科書に潰されてたんだ。蛇腹折りしたみたいに、シワくちゃになってる。
わたしは、樹ちゃんのこめかみに青筋が浮かぶのを、目撃してしまった。
「オレ、この紙が本体だって知らなかったんだ。これ、ちゃんと大事にするからっ、だから──、」
八上くんが、見えないチョウたちに語りかける。その声は、わたしたち人間としゃべる時とは全然ちがう、優しい色だ。
「友達になりたい」
彼の目の前で、チラッと白い光が瞬いた。
鼻の頭にとまったチョウが、澄んだ光のシルエットになって浮かび上がる。
そしてパタパタと羽を震わせた。
光の加減? それとも、チョウがわざと姿を見せてくれた?
きっと、「いいよ」って返事してくれたんだ。
「やった!」
八上くんが歯を見せて笑う。
すると教室中を飛び交うチョウたちが、一斉に輝き始めた。
「すごい……、きれい……」
まるでスノードームの中にいるみたい。
きらきら、きらきら、光が瞬く。
そっと指を伸ばしてみたら、チョウがとまってくれた。
樹ちゃんも唖然として、自分の鼻先をかすめたチョウを目で追ってる。アキたちも、あんぐり口が開いちゃってる。
夢みたいに美しい光景だ。
光の中で、わたしは八上くんと視線を交わし、初めて、ふふっと笑い合う。
勝手な思いこみかもしれないけどね。
わたしまで、八上くんと友達になれたような気がしたんだ。
第9回へつづく
書籍情報
- 【定価】
- 1,540円(本体1,400円+税)
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- 四六判
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- 9784041147412