今できるのは、樹ちゃんが来てくれるって信じて、待つ事くらいだ。
プールのほうへもどろうとしたら、途中で八上くんが「腹へった」って、購買へ寄り道した。彼は商品の棚を覗き込むと、いきなりメロンパンの袋を開けて、食べ始めちゃう!
「えっ、えっ、いいの!?」
「藤原も食えば。待ってる間、ヒマだし」
「悪いよ、やめようよ」
「偽善者」
彼はメロンパンをかじりつつ、一番ズキッとくる言葉を投げてくる。そして自分が出した黒い煙に、ゲホッとムセた。
パンなんて食べてる場合じゃないし、どろぼうなんてダメだし、悪口まで言われた。自分だってムセるの分かってるんだから、悪口なんて言わなければいいのに。
わたしは口がへの字になっちゃう。
「だって、お金も払ってないのに」
「だって、チョウが作ったニセモノの世界だろ」
彼はわたしの口調をマネして、ふんと鼻を鳴らす。そして冷蔵庫から牛乳パックまで取り出した。
「ふつうに食える。よかった。腹へって死ぬのは、心配しなくて大丈夫そうだな」
パックにストローをさす彼に、わたしは目をしばたたいた。
……八上くん、なかなか脱出できなかった時のために、食べ物の事を考えてたの?
彼はメロンパンと牛乳パックを手に、もうプールのほうへ歩き出しちゃう。
「あっ、待って」
わたしはオタオタしたあげく、自分も今、喉を通りそうなもの──って探して、目についたカップアイスを取り、レジに頭を下げて、急いで八上くんの背中を追った。
「ごめんっ。わたし、長引いた時にどうしようって事まで考えてなくて、ひどい事言っちゃった」
「……藤原が怒った顔、初めて見た」
「お、怒ってないよ」
そんな風に見えたんだ。
筆を持ってるわたしがしっかりしなきゃいけないのに、心拍数はずっとスゴいままで、不安で鳥肌も収まらなくて。こんなんじゃ、ますますミコトバヅカイじゃないよ。
急いで笑顔を作ったら、八上くんは興味を失ったように、前を向き直した。
またシンとしちゃって、わたしはアイスに目を落とす。
「八上くんは、すごく落ち着いてるね。いつもと全然変わらない」
「慣れてる。藤原たちが言う鬼だか精霊だか、そういうのに連れてかれて、何日も帰してもらえないこともあった。相手の腹がへってんのもわかんないで近づいて、襲われてケガする事もあったし」
「そ、そんなだったの……?」
わたしはとなりを歩く、平気な顔した同い年の男の子を、改めて見つめる。
八上くんはだれにも説明してもらえなくて、だれにも相談できなかったから、自分だけで、一つ一つ、「このコは危ない」「あのコは大丈夫」って、体当たりで覚えてきたんだ。
今みたいに落ち着いて対処できるようになるまで、どれだけ不安で、どれだけ大変だったんだろう。
「……八上くんも、ふしぎなものがわかるせいで、周りの人に怖がられたり、からかわれたりした事、ある?」
八上くんはちらりとわたしを見る。
「ある」
小さい声で、でもハッキリと答えてくれた。あるんだ。やっぱり、同じなんだ。
わたしは何度も瞬きしてから、「そうだよね」と、小さくうなずいた。
二人きりだと、八上くんは意外とよくしゃべる。
ヒマつぶしでか、ほんとはずっとだれかに話したかったのかわからないけど、彼は昔の事を、ぽつぽつと教えてくれた。
──絵を描き始めたのは、目撃した「こんなとこにいるはずないもの」を、周りの人に説明するためだったんだって。
それを信じてもらうのは、すぐにあきらめちゃったけど、絵を描くのが好きって気持ちは残った。
そういえば同じ美術部のコが、八上くんはよく動物のスケッチをしてるって言ってた。それ、最初はマガツ鬼や精霊のスケッチから始まったんだね。
わたしもカラスさんの絵を、たくさん描いたなぁ。お母さんが来ると、カラスさんは姿を見えなくしちゃうけど、「ほんとにいるんだよ」って教えてあげたかったんだ。
あの絵、今は机の引き出しの中だけど……、八上くんの話を聞いて、ひさしぶりに思い出した。
一緒にこの世界に閉じ込められなかったら、きっと永遠に、こんなおしゃべりをする機会はなかったよね。そう思うと、このピンチが、悪い事ばっかりじゃないように思えてきちゃう。
この人は、わたしと同じ心の傷を持ってるのに、それでも一人で、凜として生きてきたんだ。
わたしみたいに、自分にウソをつきながら周りの人達にすがりつくようなマネはしないで、一人きりでも、強く。
「八上くんって、すごいね」
心からつぶやいたら、彼はなんにもない廊下で、ガッとつまずいた。
そしてわたしをまじまじと見つめた後で、ぷいっと窓の方に顔を背けちゃう。
「……バカじゃねぇの」
「ううん、ほんとにすごい。一人きりで、ふしぎなことと向き合ってきたの、強くてカッコいい。わたし、見習いたい」
言葉を重ねると、八上くんのほっぺたは、カ~ッと赤く染まっていく。
「オレは単に、元から人間なんて好きじゃないだけだ。しょっちゅう黒い煙を吐くし、ややこしいし。だから藤原も、見えてるのを隠してたんだろ」
「う、うん……」
「オレは、藤原みたいに、アホみたいに愛想よくしてまで、あいつらの仲間に入りたいなんて思わない。オレたちがなに言ったって、どうせあいつらには、まともに通じやしないんだ。とっくにあきらめた」
八上くんはそっぽを向いて、いつもより低い声でボソボソと言う。
「あんな面倒なヤツらと関わるより、精霊と友達になるほうが、ずっといい。危ない精霊……マガツ鬼だって、腹へってる時に下手に近づかなきゃ、人間よりずっとわかりやすくて、つきあいやすいんだ。
オレにとってマガツ鬼は、人間が吐く黒い煙を食ってくれて、吐いた人間をこらしめてくれる、正義の味方だ」
八上くんは歩きながら、一息に語った。今まで溜め込んでたものを、全部吐き出すような勢いで。
「マガツ鬼が、正義の味方……」
目からうろこだ。
わたし、ちーちゃんの友達のカラスさんは、「カラスの精霊」だと思ってたけど、ちーちゃんからは「オンギョウキ」って呼ばれてた。漢字をあてるなら、姿を隠すって意味の「隠形」に、「鬼」?
だから、精霊でも鬼でもあったっていうコトなのかなぁと思ってる。
わたしもカラスさんと仲良くなれたんだから、八上くんがマガツ鬼や精霊をつきあいやすいって思うのは、……間違ってるなんて言えない。
ほんとはわたしだって、さっきアキがわたしを怖がった瞳が、頭にこびりついて離れない。
お兄ちゃんとカラスさんの存在を信じてもらえなくって、アキたちにウソつき呼ばわりされた事も、……いまだに傷ついてる。
だから──。
わたしも周りの人に恵まれてなかったら、八上くんと同じふうに、マガツ鬼のほうを友達にしてたかもしれない。
八上くんは、ちーちゃんやモモお姉ちゃんたちに出会えなかった、〝もしも〟の世界の、わたしだ。
わたしたちは薄暗い校舎から出て、裏庭経由でプールのほうへ。
先を行く八上くんの背中を見つめて、わたしは足を止めた。
彼なら──、今なら、聞いてもらえる?
わたしはカップアイスを持つ両手に、ぎゅっと力を込める。
「わっ、わたしにもねっ。精霊の友達が、いたの!」
言っちゃった……!
自分の口から出した言葉に、心臓がドッドッドッと音を立てる。
「へえ」
八上くんは、わざわざわたしを振り向いた。
「それから! お兄ちゃんもいたのっ」
いったん口火を切ったら、もう止まらなくなっちゃった。
「そのお兄ちゃん、マガツ鬼と戦って、消えちゃった。その時、お兄ちゃんがみんなの記憶を消したから、ほとんどみんな、お兄ちゃんがいたことを覚えてない。でも、ほんとにちゃんと、いたんだよ!」
一気にしゃべった後、小走りに駆け寄る。八上くんはわたしをじっと見つめて、また歩き出した。
「消えちゃうのは、ヤダよな」
ぼそっと、聞き取りそこねそうなくらい、小さな音だった。
わたしは彼の背中を、呆然と見つめる。
「……うん。ヤダったんだ」
遠慮なしに先へ行っちゃう背中に、つぶやいてみる。
八上くんは弱ってるマガツ鬼を見かけると、消えるまで、そばにいてあげるって言ってた。今まで何度、マガツ鬼が消えていくのを見送ったんだろう。
彼はもう、振り向きもしないけど。
わたしは、その不意打ちの「ヤダよな」が、ガサガサに乾いてひび割れてたような胸に、染み込んで、しみて、痛いくらい。
胸の底に沈めてた、ちーちゃんとカラスさんへの想いが、あふれてきちゃいそうで、苦しいよ。
五年ぶりに二人の事を言葉にして、わたし……、わかった。
わたしはずっと、ちーちゃんたちの事、ふつうに話してみたかったんだ。
だれかに「そうなんだ」って言ってもらえたら、胸の中にこっそり抱えてるより、「二人がいた」事実が、ずっと本当の事に思えてくるから。
だから、八上くんがカケラも疑わずに、当たり前みたいにうなずいてくれたのが、すっっごく、ものすっごく、うれしい……っ!
八上くんは昨日オオカミが消えた木の下を通り過ぎて、石段に腰を下ろした。わたしたちがこっちの世界に来た、プール前の水たまりが見える位置だ。
わたしもとなりに座って、カップアイスのふたを開ける。お金を払ってないから、なんだかいけない事をしてる気分だ。
でも、木のスプーンですくって、ぱくっと口に入れちゃう。
まだ早駆けてる心臓が、喉を通るひんやり冷たいアイスに、すぅっと落ち着いていく。
八上くんが眉を上げた。
「おまえも共犯じゃんか」
「うんっ」
「イヤミだよ」
「うん、わかってる」
「なんでうれしそうなんだよ。やっぱり人間のほうが、ワケわかんね」
こんな状況で、作り笑顔じゃなくて、本気で笑みが浮かんでくるなんて、変だよね。
わたしはアイスをのせたスプーンを、八上くんに差し出した。
「バニラ、半分こする?」
「いらね。パン食ってる」
「わたし、冷たいの食べすぎると、すぐお腹痛くなっちゃうんだ」
「ならアイスにしなきゃいいだろ。バカじゃね。…………ここ、のっければ」
八上くんはメロンパンを上下に割って、下のほうをお皿代わりに差し出してくれた。
わたしはうれしくなっちゃって、満面の笑みで、アイスをもりもりにのっける。
「八上くん、ありがとう」
「……」
またアイスをすくって、ぱくっと食べながら、笑ってるのに、うれしいのに、なんでか涙がこみ上げてくる。
わたし、ちーちゃんたちの事は絶対に忘れないって決めてた。でも、今うまくやっていくために、二人の事は、ずーっと、一言も口にしなかった。
だけどそれじゃあ、逆にわたし自身が、二人を「いなかった事」にしようとしてたみたいだよね。一番いなくなってほしくなかった人たちなのに。
「ちーちゃん、カラスさん、ごめんね……」
「──カラスさん? それが、さっき言ってた、おまえの友達の精霊?」
八上くんがストローを噛んでた口を開けた。
「うん。おっきなカラスの姿のコ。今のわたしでも見上げるくらい、大きかったんだよ。本当の名前は別にあったけど、わたしはトリさんとかカラスさんって呼んでた」
「大きなカラスの精霊……」
八上くんはストローから口を離し、なにか思い出すような瞳で、胸を押さえる。
この反応はなんだろう。まさか、カラスさんの事を知ってる?
わたしが身を乗り出した瞬間。
「りんねちゃん!」
プールフェンスの前、人影が地面から突き出すように現れて、スタッと着地した。
わたしたちが出てきた水たまりの上に、だれかが立った!
「樹ちゃんっ!」
制服姿の彼が、こっちを向く。
ほんとに樹ちゃんだ。
無数の水たまりの中から、わたしたちがいる、まさにその一つを捜し当ててくれたんだ……っ!
第8回へつづく
書籍情報
- 【定価】
- 1,540円(本体1,400円+税)
- 【発売日】
- 【サイズ】
- 四六判
- 【ISBN】
- 9784041147412