「おはよう、りんねちゃんっ」
家を出た瞬間、目がまんまるになった。
ひふみ学園の制服を着た樹ちゃんが、わたしの家の前に立ってる。
「お、おはよぉ……?」
マフラーに口元までうずめた彼は、いったい何時からそこで待ってたんだろう。鼻の頭も、耳も赤い。
「樹ちゃん、今日もうちの学校? あ、あのっ。すごく心強いけど、授業時間にウロウロしてたら、さすがに先生にバレちゃうよ」
「大丈夫。ぼくも昨日からちゃんと、ひふみ学園の生徒だもの。中等部三年六組、出席番号三十三番、矢神樹です。よろしくね」
カバンから生徒手帳を出されて、わたしはカクンとアゴが落ちた。
き、昨日から、うちの学校の、生徒……っ?
昨日制服すがただったのも、すでに、転校生として授業を受けた後だった? 変装じゃなくって、ほんとに転校してたの!?
ぽかんと口を開けたまま、樹ちゃんの笑顔を見上げる。
「じゃじゃじゃ、じゃあっ、樹ちゃん、ずっとこっちにいるの!?」
「ずっとというか、こっちで心配な事がなくなるまではね。長がゴリ押しで、学園に話をつけてくれたんだよ。でもほんとは、同じクラスがよかったなぁ。体験会で年齢をバラさなきゃよかったね」
「ひゃああ……」
「ぼくはりんねちゃんのパートナーだもん。主さまのそばでお仕えしなくてどうするのさ」
樹ちゃんは、うれしそうにニッコニコ。
わたしは現実に頭がついてかないよ……っ。
今朝は「玲連はちゃんと家に帰ったんだよね?」とか、「八上くんに会うのがしんどいなぁ」とか、「昨日のオオカミ──未来さん騒ぎの事、ホントにみんな忘れてくれてるのかなぁ」とか、……偽善者だって陰口を言われてた事とか。憂うつで、お腹まで痛かったのに。
あまりの衝撃に、頭がまっしろになった。
棒立ちのままのわたしに、樹ちゃんは首を傾げる。
「あれ? ぼくたち同じ中学に通えるのに、喜んでくれないの?」
「よ、よ、喜ぶよっ。うれしい!」
樹ちゃんに毎日会えるって、す、すごいよっ。うれしいのは、ほんと!
「そしたら、もうちゃん付けはダメだよ……ですよね。三年生のセンパイに向かって」
「ええっ。そうなっちゃう?」
彼はガックリと肩を落としてから、急に、わたしに手のひらを差し出した。
わたしは反射的に自分の手を乗っける。そしたら、ふふっと笑われちゃった。
「お荷物をお預かりいたします。学校までお持ちしますよ。主さま」
「そそそんな、いいですっ。自分で持てますっ」
あわててカバンを背中に隠すと、樹ちゃんはますますにっこりする。
「りんねさまは、ぼくの主さまなんですから、遠慮なさらないでください。りんねさまは、れっきとしたミコトバヅカイ。モモさまたちと同じに、里をあげてお仕えするべき方なんです。
これまでは、あまり姫さまあつかいしてしまうと、無理矢理こちらに巻き込んでしまいそうだから、みんなでガマンしていたのですが。これからは、正々堂々めいっぱい、ぼくらの──、ぼくのお姫さまとして、お仕えできますね」
とうとうと語る樹ちゃんの瞳が、生き生き輝いてる……っ。
わたしは一歩、二歩、足を引く。
「あ、あのっ、樹ちゃん? わたしは、今までどおりがいいです。さまじゃなくて、ちゃんで」
「だったらぼくも、敬語じゃないのがいいです」
──あっ。つまり、それを言いたかった?
わたしは急いで何度もうなずく。
「わ、わかった。敬語やめる。今までどおりにする」
「じゃあ、ぼくもわかった。今までどおりにするよ」
よかった……! 樹ちゃんがずっとこんな調子になっちゃうのかって、震えちゃった!
二人で眉を下げ、顔を見合わせて──。なんだかおかしくなっちゃって、ふふっと笑う。
「でも、ぼくの大事なお姫さまだって事は、ほんとだよ」
樹ちゃんは「ザ・矢神家!」な整った顔で、さわやかに笑い直してみせる。
朝日よりもまぶしい笑顔に、目がチカチカする。ここに桜がいたら、黄色い声を上げながら気絶してたかもしれない。
そうこうしてるうちに、家の中から、「ちぃくん、そろそろ起きなさ~い」って声が聞こえてきた。
「わたしたちも行かなきゃ、遅刻しちゃう」
「ほんとだ。もう八時まわってる」
樹ちゃんは、わたしが筆ポーチを提げてるのを確認してから、並んで歩道を歩き始めた。
通学路でだれかと一緒なのはひさしぶりだ。
わたしは朝のしたくもゆっくりだから、アキたちには待ち合わせの時間に来なかったら、先に行ってもらう事になってるんだ。
「そういえばね、昨日の夜、玲連の帰りがおそいって、お父さんから電話が来たの」
「え? 玲連さんって、マガツ鬼に消されたコだよね」
「うん……。でもその後は電話もなかったから、大丈夫だと思うんだけど」
昨日の樹ちゃんたちは、やっぱり「強いなにか」を捜してパトロールしてたんだって。だけど成果はゼロで、気配のなごりもつかめなかったって。
「里への報告ついでに、依と電話で話したんだよ。そしたら、『あーあ、樹は依の半身だから、なんとか許せたけど。他のコがりんねのパートナーだったら、嫉妬でおかしくなるとこだった』って」
「依ちゃんは、こっちに来ないの?」
「うん。依にはあっちでしかできない、大事なお役目があるんだ。りんねちゃんのパートナーの文房師はぼくって事で、ぼくがここにいさせてもらってるけど、依は依で、お役目中なんだよ」
樹ちゃんの横顔が、ちょっと寂しそうに見えた。
「そうなんだ……」
文房師の里については、わたしは知らない事が多い。でも、樹ちゃんは生まれてからずっと一緒の双子と、初めて離れ離れになったんだもんね。
樹ちゃんは年上だし、文房師の里の人だけど、彼だって、わたしとお役目を始める事がプラスなわけじゃない。それをうっかり忘れて、甘えないようにしないと。
樹ちゃんは、一年五組まで送ってくれるつもりだったみたいだけど、もうチャイムも鳴りそうだからエンリョして、階段で別れた。三年生は、もう一つ上の階なんだ。
──さ、さぁっ。みんなは昨日の騒ぎの後、どうなってるかな。
教室に近づきながら、心臓の鼓動が速くなる。
玲連がちゃんと教室にいますように。消える直前に玲連とケンカみたいになっちゃったのも、マガツ鬼の事も、みんな全部忘れてくれてますように……っ。
ドキドキしながら教室を覗くと、クラスメイトはもうほとんど集まってて、おしゃべりでにぎやかだ。
邪気の黒い煙もたまってないし、いつもどおりの雰囲気……かな?
すぐそこの男子たちは、ゲームの話で盛りあがってる。
「藤原、おはよー」
「おはようございますっ」
声をかけてくれた男子に、いそいで頭を下げると、アキと桜も、席のほうから「おはよー」って手を振ってくれた。
そして二人と一緒に、玲連がいる! しっかりもどって来てるっ。
切れ長の目を細めて「おはよ」って、怒ってる風でもない。
「お、おはよォ?」
緊張してたせいで、声が裏返っちゃった。三人は「なに今の」って、一斉に笑う。
これ、ほんとにみんな、マガツ鬼騒ぎはすっかり忘れてくれてる?
よかったぁ……!
わたしは胸をなで下ろして、教室に入る。
戸をくぐりながら、ふと廊下をふり返った。そしたら、行き交う生徒たちの向こうで、樹ちゃんがこっちを見つめてる。なにかあったらサポートに入れるように、待っててくれたんだ。
文房師さんって大変だ。でも素の樹ちゃんも優しいから、どっちにしろ、見守っててくれたんじゃないかっていう気がする。
わたしは彼への「大丈夫だったよ」の合図に、大きくうなずいてみせた。
樹ちゃんはほんのり笑ってから、階段を上っていく。すると三年生の教室の方から黄色い悲鳴が上がって、こっちまで響いてきた。
わ、わぁ。樹ちゃん、今度は別の意味で大変そう……だなぁ?
玲連もみんなも、本当にきれいさっぱり、記憶がなかった。
ただ、玲連が心霊写真を撮ったのは覚えてるみたい。あれはオオカミが教室に現れて、みんなが邪気を噴き出し始めたのよりも、前の事だったもんね。
玲連本人だけ、その記憶も抜け落ちてて、なんで怖がられてるんだろって、ポカンとしてた。
たぶん彼女はそのあたりから、すでに黒札を貼られて変になってたんだ。だから、記憶もそこから曖昧になってる?
玲連は「わたしが心霊写真を撮れたの!?」って目を輝かせて、また「未来さん」アプリを立ち上げ、あわてて止めるわたしたちを撮影。
……だけど、幽霊なんて、なんにも写らなかった。
あの心霊写真は、マガツ鬼が、玲連に貼った黒札のせいだったんだもんね。
玲連が霊感に目覚めて、アプリを心霊写真カメラにしたわけでも、コックリさんみたいに未来さんがとり憑いてたわけでもなかったんだ。
遠巻きに眺めてたクラスメイトは、キツネにつままれたような顔をしてた。
そして、急に心霊写真が撮れなくなったのも、玲連に記憶がないのも、とり憑いてた未来さんが帰ってくれたから? って話に落ち着いたみたいだ。
「それにしても、なんて字の黒札だったんだろう……」
わたしは机に教科書を移しながら、考える。
オオカミが玲連に貼った黒札の字は、ナゾのまま。漢字好きとしては気になるよ。
たぶん、札は二枚はあった? 心霊写真を撮れるような札と、床に落っこちて消えちゃった時の札。
一枚目は「霊感」とかかなぁ。そのまんま「霊」かも。二枚目は「穴」や「落」みたいなかんじ?
可能性はいっぱいありすぎだし、オオカミが消えた後に想像しても、しょうがないけど。
でも──、とにかくこれで、わたしの「初めてのお役目」は、丸く収まったんだ。
よかったぁとつぶやきかけて、思い出した。
まだ、「強いなにか」のほうが残ってる。
だけどそっちは、樹ちゃんたちが捜し回っても見つからないんだから、このまま、何もないかも?
玲連と今までどおりやっていけそうなのがうれしくて、わたし、楽観的になってるのかな。
予鈴が鳴ると同時に、八上くんが教室に入ってきた。彼はだれとも目を合わせず、さっさと窓ぎわの席に座る。
事件は解決しても、八上くんと仲良くなれる可能性は、ゼロのまま。
せっかく同じ人を見つけたと思ったのにな……。
彼の声で、「偽善者」って言葉が、耳によみがえる。
そしたらわたし、いつも教室で貼り付けてる笑顔を、そのままにしていいのか、引っ込めたほうがいいのか、わかんなくなっちゃった。
午前中の授業は、すごく平和に過ぎていく。邪気もなくて、教室の空気がきれいだ。
「りんね、なに? 顔に歯磨き粉でもついてる?」
「……えっ? あ、ごめん。わたし、ボーッとしてた?」
玲連に覗き込まれて、我に返った。
五分休みは、いつもどおりにアキの机に集まって、四人でおしゃべり。
だけど、玲連がなんだか変? 輪郭がほんの一ミリだけ、ズレてるみたいな違和感がある。
どうしてだろう? 気のせいかな。ううん、でも……。
またぼんやり見つめちゃう。
「りんねちゃん、起きたまま寝ちゃダメだよぉ?」
桜が笑う。桜は、いつもどおり。
「寝不足だと、身長伸びないぞ」
アキがくしゃっとした顔で笑う。アキもいつもどおりだ。
「アキが足を十センチくらい削って、りんねにあげればいいよ」
だけど玲連の笑顔は──、やっぱり、どこかちがう気がする。
八上くんも同じことを感じてるかもしれない? チラッとうかがったけど、わたしには彼に質問するどころか、目を合わせる勇気もない。
昼休みになって、お弁当の前に手を洗いに行こうとした時。
ハンカチを落っことしちゃって、身をかがめた。そしたら、机の足もとに黒いシミが広がってる。だれか墨汁をこぼしちゃった?
いびつなシルエットを目でたどるうちに、わたしはスーッと体が冷えていく。
「これ……っ」
人の影みたいな形。
この位置、まさに玲連が落っこちて消えた場所だよね!?
しゃがみこんで、床をぺたぺた触ってみる。でも、影がこびりついたような色が残ってるだけで、穴じゃない。フローリングの床が変色しちゃってる?
「藤原さん、なにやってんの?」
すぐそこの席の滝沢くんが、ハンカチを拾ってくれた。
「あ、ありがとうございます」
「ワッ、なんだこの汚れ。汚したの、オレじゃないからねっ?」
「うん……」
このこびりついた影みたいなの、みんなにも見えるんだ。
アキたちもこっちに戻ってきて、「なにこれ」って。
みんなには昨日の記憶がないから、ここから玲連が落っこちたのは、覚えてない。
玲連本人も興味なさそうに、床の影を眺めてて、その表情に、なぜかゾッとした。
これが消えてないなら、オオカミの術は、まだ続いてる?
ううん、そんなはずない。だって、オオカミはちゃんと消えた。玲連もここにいるもん。
でも玲連がどこか「変」なのを、気のせいだって済ませちゃっていい……?
考えすぎだと思い込もうとするのに、心臓の鼓動が速くなっていく。
「りんねちゃん。お弁当、一緒に食べよ」
そこに、ほんわか笑顔の樹ちゃんが、ひょっこりと顔を出した。
第6回へつづく
書籍情報
- 【定価】
- 1,540円(本体1,400円+税)
- 【発売日】
- 【サイズ】
- 四六判
- 【ISBN】
- 9784041147412