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『いみちぇん!』続編!『いみちぇん!!廻』ためし読み連載 第4回

角川つばさ文庫の伝説級☆人気シリーズ『いみちぇん!』続編! 「わたしは、モモお姉ちゃんの意志を継ぐ!!」千方センパイの妹、藤原りんねが中学生になって、ミコトバヅカイに!? 先祖代々のお役目のナゾにも迫っていく、『いみちぇん!』ファンならゼッタイ読みたい最新シリーズだよ☆(公開期限:2026年1月12日(月・祝)23:59まで)
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 4 はじめてのお役目

 千花を握ったとたん、やるべきなんだって確信した。

 ずーっとどこか心細くて、ふわふわフラフラ、地に足がつかないような気持ちで過ごしてたのに、ウソみたいに元気が湧いてくる。

 みんなの役に立てる。するべき事がある。「お役目」が一本の太い芯になって、わたしの心をしっかりと支えてくれる。

 わたしは樹ちゃんと、オオカミを捜して学園の中を駆けまわる。

 校舎の中で、騒ぎは起こってないみたい。なら、学校から出て行ったか、隠れてるか──だよね?

「気配は近くにあるんだけどね。りんねちゃんも感じる?」

 裏庭の藪から出てきた樹ちゃんは、頭に枯れ葉がのっかってる。

 わたしも昇降口から顔を引っ込めて、周りに首を巡らせてみた。

 夕暮れの空の下、マガツ鬼の気配は、まぶしい西陽や風の音にまぎれちゃって、たどりづらい。

 マガツ鬼が近くにいそうな時は、いつも避けて通るばっかりで、逆に捜すなんてのは初めてだから、難しいや。

 わたしは握った千花に目を落とす。

 ……千花。オオカミのマガツ鬼、どこにいると思う?

 心の中で聞いてみたとたん。

 わたしの首は、無意識に、渡り廊下のほうを向いた。

「──樹ちゃん。あっち」

「あっち? すごいね、そんなにハッキリわかるんだ」

 わたしはうなずくなり、筆に導かれるように走り出す。樹ちゃんも後ろをついてきてくれる。

 二階渡り廊下の下をくぐると、体育館方面へ出る。剣道部のかけ声を聞きながら、建物の裏手へ。

 北側はジメジメ薄暗くて、前に降った雨の水たまりが、まだ残ってる。

 樹ちゃんを導いて走りながら、どきどきしてきた。

 わたし、ちゃんと戦えるのかな。五年前のわたしは、無我夢中で千花を取って術を使った。

 あの時みたいにできる?

 不安なはずなのに、心の底のほうから、「できる」って、だれかの確信に満ちた声が聞こえてくる。

 角を曲がったところで、わたしは「アッ」と声を上げそうになった。

 体育館とフェンスに挟まれた細い道の、奥のほう。

 木立が作る影にまぎれて、黒いケモノが横たわってる。

 いた──っ、オオカミ!

 樹ちゃんが昨日今日と攻撃したから、だいぶ弱ってるんだと思う。ぐったりして動く気配はない。

 駆けつけようとして、二人で足を止めた。

 そのオオカミのかたわらに、しゃがんで覗き込んでるコがいる。

 制服にダッフルコート姿の、小がらな男子。

「や、八上くん」

 あんなに近づいたら、襲われちゃうっ。

 危ないよ──! って声を上げかけたけど、樹ちゃんに腕で制された。

「様子がおかしい」

「えっ?」

 わたしはまじまじと、一人と一匹を見つめる。

 八上くんが、オオカミの背中をなでてる……! しかも、なにかしゃべりかけてるみたい?

 ここからじゃ聞き取れないけど、教室で聞く冷たい声より、ずっとあったかいトーンだ。

 そしてオオカミは、うなるんじゃなくて、ふしぎそうに八上くんの顔へ鼻を寄せ、においをかいでる。

 八上くん、動物が好きなんだろうなと思ってたけど、相手がマガツ鬼でも……!?

 それにマガツ鬼が、あんなふうに大人しくしてる事にも、わたしは驚いてしまう。

 二人の姿が、ちっちゃい時の自分とカラスさんに重なって見えて……、なんだか、胸がぎゅっとする。

「今、オオカミは弱ってて、少しでも邪気を食べたいはずだよ。なのに、なぜ彼は無事でいられるんだろう。怖がらせれば、悪い言葉を吐いて、邪気を出してくれるかもしれないのに」

 樹ちゃんの言うとおり、やっぱり何か変? 八上くんは、昨日廊下でオオカミに出くわした時も、「たぶん大丈夫だ」って。あの時も、自分は襲われない自信があった……?

「りんねちゃん、彼は何者?」

「わ、わかんない。わたし、ホントはあんまりしゃべった事がないの」

「そうなんだ……。昨日帰った時、長にも、漢字ちがいの『八上』について聞いてみたんだけどね。やっぱりそんな分家は知らないって。いちおう調査する事にはなってるんだ」

 樹ちゃんは、怪しい、不審なものを見る目だ。

 こういう視線にさらされてきたわたしは、自分の方が苦しくなっちゃって、思わず樹ちゃんのシャツの袖をつかむ。

 彼がちょっと驚いて、こっちに視線を向けた、その時だ。

「──藤原」

 八上くんが、わたしたちに気づいた。

 彼は立ち上がると、オオカミを背後にかばう。

「や、八上くん。そのコに近づいたら危ないよ。ふつうの動物じゃないんだ」

 でも昨日は一緒に隠れたんだもん。そんなのはわたしが言わなくたってわかってるよね。

 彼は、わたしの千花と、樹ちゃんの文鎮に目を走らせ、眉間にシワを寄せた。

「何しに来たんだよ」

 まるでオオカミがうなるように、低い音で聞いてくる。

「あの……っ、信じられないと思うけど、そのオオカミは悪い事をする……〝鬼〟なんです」

〝鬼〟なんて言葉、他の人なら「は?」って聞き返してきそうなのに。八上くんはそのままスルーで、わたしたちをジッとうかがってる。

「だから……、」

「だから?」

「そのオオカミは、消さなきゃいけないんだ」

 樹ちゃんが、わたしが言い出しづらかった事を、代わりに引き受けてくれた。

 案の定、八上くんは警戒心をむき出しに、目を鋭く光らせる。

「なんでだよ。こいつ、今は悪い事なんてしてないだろ。それに、もうこんなに弱ってるのに」

 反応からして、八上くんはマガツ鬼に出くわすのは初めてじゃなくても、お役目の事は知らなそう? ただ黒い煙が見えるせいで、マガツ鬼にも気づきやすくて、慣れちゃっただけなのかな。

 どう説明すればいいのか、八上くんに視線をもどしたタイミングで、

ガルルッ!

 背後から、オオカミが彼に飛びかかった!

「!」

 真上から落ちた影に、八上くんは顔をこわばらせ、わたしは悲鳴をもらして立ちすくむ。

 けど、樹ちゃんはもう動き出してた。

 彼は八上くんをかばい、文鎮でキバを受け止める。そのまま文鎮をふりさばき、オオカミを地面に叩きつけたっ。

 す、すごい。怖がる色もためらう色も、カケラもなかった。あの優しい樹ちゃんが、こんな風に戦うんだ……っ。

「きみ、逃げて!」

 彼はオオカミから視線をはずさずに、八上くんに鋭く言う。八上くんは地面に尻もちをついたまま、唖然として動けない。

 オオカミがむくりと首だけ起こした。その口の中に、なにか赤く光るものが見えるっ。

「黒札が来る!」

 樹ちゃんが文鎮を構えなおす。

 マガツ鬼の口の中に見えたのは、黒い、紙の札だっ! 札には文字が浮かび上がり、赤い光を放ってる。

 目をこらすと、漢字の「分」っていう字みたい。

 ひ、ひさしぶりに見るっ。マガツ鬼は、ああいう呪いの札を人間に貼って、ふしぎを起こすんだ……!

 かばってくれる樹ちゃんの背中ごしに、オオカミが札を吐き飛ばすのが見えた。

 こっちに向かってくる!

 そう思ったのに、札の軌道はぐるんっとUの字を描き、オオカミ自身の背に貼り付いた。

「あ、あれっ?」

 自爆しちゃった?

 ぽかんとする間もなく、札の赤い光がオオカミの全身を包む。するとオオカミは、体をぐにゃりと歪ませて、みるみるうちに真ん中から潰れ、半分にちぎれていく。

 まるで、アメーバみたい……!

 二つになった塊から、それぞれにゅうっと頭が突き出してきて、前足と後ろ足が生え、地面を踏みしめる。

 ──そしてついに、二匹のオオカミになった。

「りんねちゃんっ。あいつ、『分』の札で、『分裂』したんだ」

「う、うんっ」

 札に書いてある字のとおりに、現実を変化させる。

 それが禍ツ言葉の、呪いの術……っ。

 さっき玲連が消された時も、オオカミが今やったみたいに、黒札で何かしたはずなんだ。

 でも、あれ? あの時はたしかに赤い光は見えたけど、黒札が飛んできたり、近くにマガツ鬼がいる気配はなかったよね?

 ふと気になったけど、そんな事を考えてる場合じゃないっ。

 オオカミの一匹が、樹ちゃんに飛びかかる!

 そして二匹目も深く身を沈め、反動をつけて大きくジャンプした。その軌道の先は──、わたしたちじゃない。座ったまま動けないでいる、八上くんのほう!

 お役目をやるなら、わたしが彼を守らなきゃなんだよねっ? なのに反撃の札を書く間もないっ。

 樹ちゃんが、一匹目の攻撃を跳ね返す。

「八上くん!」

 わたしは、彼の背後から飛び出した。無我夢中で駆けて、八上くんに抱きつく。でも、「来んな!」って押し返された。

「あっ」

 わたしはどしゃっと地面に転ぶ。

 二匹目は八上くんを地面に叩きつけ、前足で肩を押さえこむ。だけど間髪を入れず、樹ちゃんの文鎮が、そのオオカミの首に命中したっ。オオカミはギャンッと叫んで、吹っ飛ばされる。

 二匹とも、あっという間に地面に転がされてる。

 樹ちゃん、強い……!

 え、ええと、反撃するなら今だよね!? わたしは千花を持ち直した。

 術を使おうと意識して使うのは、初めてだ。ちゃんとできるかわかんないけどっ。

 オオカミが弱ってても、ここで逃がしちゃったら、また、今みたいに生徒を襲うかもしれない。それに──、右手に握った千花が、「はやく使って!」って急き立ててる。

「わたし、やるっ!」

 樹ちゃんが駆けもどってきて、ポーチから墨壺と札を渡してくれた。

 わたしは急いで立ち上がり、それを受け取る。

「なるべく簡単な書き換えで、一撃で仕留めよう。主さまにできるかぎり術を使わせないで済むように、ぼくも修行を積んできた。マガツ鬼からの攻撃は気にしないで、自分の一撃に集中してね」

「はいっ!」

 わたしは強くうなずいた。

 樹ちゃんがくれた札は、マガツ鬼の黒札と色違いだ。正五角形の、真っ白な和紙で作られてる。

 御筆・千花と、樹ちゃんが特別な硯で磨ってくれた墨と、この札。武器の四宝がそろった!

 あのオオカミの黒札を、わたしは言祝ぎの術で書き換えるっ。

 二匹のオオカミはもう体勢を立て直し、キバをむき出して駆けてくる。樹ちゃんがその攻撃を、次々と薙ぎ払う。

 わたしは千花の穂先を墨にひたし、左手に札を構える。両足を開いて立ち、体を安定させる。

 ほんとはわたし、ずっとずっと、ヒマさえあれば漢字の本を開いて、もしも言葉の術を使うならって、空想してたんだ。モモお姉ちゃんがくれた漢字の辞典は、今もわたしの宝物だ。あこがれのあの人みたいに──って、そんな空想をしちゃう自分を止められなかった。

 だから、できる。わたしにも、できるっ!

「藤原?」

 札に穂先を置いたわたしは、ハッと八上くんを見下ろした。

 彼はまだ地面に座りこんだまま、大きな瞳をますます大きくして、わたしを見上げてる。

 あっ……、どうしよう。術を使うのを見られる。ふつうじゃないのが、バレる。

 でも──っ。

 わたしに千花を渡してくれた時の、樹ちゃんの覚悟を決めた顔が、玲連が床に吸い込まれて消えた時の恐怖の顔が、頭をよぎる。

 今この状況で、やっぱりやめたなんて、言えないよ。

「わたし、今から変な事する。でも怖が……、驚かないで」

 わたしはお願いの声をしぼりだして、札に筆を走らせる。

 二匹の「狼」を書き換えるなら──っ、あの字!

 札はなめらかで柔らかで、でもしっかりとした張りのある和紙。この紙も墨も、そして墨を磨った硯も、樹ちゃんの作品なんだよねっ。

 千花の穂先が、優しい青色のにじみを残してすべり始める。

 そのとたん。千花がわたしの体の中心を、ぐいっと引っぱった。扉が開け放たれたようにチカラがあふれ出し、千花の軸へ、穂先へ、そして穂先からしたたる墨へと激しく流れていく。

 うわっ、なにこれ! 気持ちいい……!

 術を使うのって、こんな感じだったっけ? 縛りつけられてた心がいきなり自由になって、千花と一緒に駆け出したみたい。


「ミコトバヅカイの名において、千花寿ぐ、コトバのチカラ!」


 呪文だって、ちゃんと唱えられた。

 わたしの魂が、最初から、ぜんぶ知ってる……!

 投げ放った札は、樹ちゃんに襲いかかる、二匹のオオカミへ!

ぼんっ!

 札が貼りついたとたん、白い煙が噴き出した。煙はもくもくと広がり、オオカミたちを包む。

「な、なんだっ?」

 八上くんがわたしと煙を何度も見比べる。

「りんねちゃんの術……っ。使えるって聞いてはいたけど、ほんとに……」

 樹ちゃんが腕で汗をぬぐいながら、わたしを見つめる。そのほっぺたは紅潮して、瞳はきらきらして、まるで宝物を仰ぐみたいだ。

 ──そして、煙の中から、オオカミたちが躍り出てきた!

「!」

 樹ちゃんが瞬時に表情を引き締め、二匹を迎え撃とうとする。

「待って、樹ちゃんっ!」

 わたしは叫んで彼のヒジに抱きついた。樹ちゃんはギクリとして、投げかけた文鎮を止める。

 その彼に、オオカミたちが飛びかかった!

「うわっ!」

 彼は無防備に突撃を食らい、どさっと尻もちをついた。

 ──でも、大丈夫。

 オオカミ二匹は、樹ちゃんの両側からぐいぐいおでこを押しつけて、シッポまで振ってる。

「よかった、ちゃんと効いた……っ」

 わたしはひさしぶりに術を使ったせいか、心臓の鼓動はダッシュしてるし、気持ちもふわふわしてる。だけどすっごく楽しかったぁっ。

 樹ちゃんも八上くんも、きょとんとしてる。

「今の札、『山本』って二つ並べて書いてあった? 苗字みたいだけど、どういう意味なの?」

 樹ちゃんに聞かれて、わたしはうなずいた。

「オオカミは『山犬』とも呼ぶから、『山犬』二匹ぶんの、漢字のパーツをちょっと変えて、『?(シ)』に書き換えた。『支える』の『支』の別バージョンで、意味も読みも同じなんだよ」

「そっか……っ。じゃあこれは、『支える』の意味に書き換えられたから、ぼくを支えてくれてるつもりなんだ?」

 樹ちゃんは両脇から、オオカミにべろんべろん、ほっぺたをなめられてる。

 苦笑いの彼に、わたしは思わず笑っちゃった。

「うんっ。そうだと思う」

 白札でいい意味に書き換えちゃえば、怖いオオカミも、シュッとした顔つきのワンちゃんみたいだ。

 樹ちゃんはオオカミの背をなでてから、よいしょっと立ち上がった。

「ありがとう、りんねちゃん。これでもう、悪さをする心配もなくなったね。だいぶダメージを与えた後だし、もうすぐ自然と消えるんじゃないかな」

「そしたら、玲連ももどってくる?」

「うん。黒札の術が解けるはずだから」

 わたしたちは二人で、ホーッと肩を下げる。

「札で、書き換えたって……? このオオカミの性格を? 藤原、そんな事ができんのか?」

 八上くんが、呆然とつぶやいた。

「あ……、は、はい」

 わたしは彼の目を見る勇気がなくて、斜め下に顔をうつむけちゃう。

 ──わたしのふつうじゃないところ、全部、知られちゃった。バケモノを見る目だったら、どうしよう。

 興奮してた気持ちが、スウッと芯から冷えていく。

「藤原たちは、このオオカミみたいなヤツらのこと、よく知ってるんだな。なんなんだ、こいつら。ふつうの動物じゃないよな?」

「えっ」

「なんだよ」

 にらまれて、わたしはブルルッと首を振った。

 怖がって、ない?

 人がわたしを怖がってる時に感じる、あの透明な壁をへだてたような感じがない。それどころか、彼はさらに近づいて、真正面から見つめてくる。

 信じられない思いで、わたしも八上くんを見つめ返した。

 この人は、大丈夫……? わたしがふつうじゃないのを知っても怖がらない人が、本当にいる!?

 すると、樹ちゃんがわたしの肩に手を置き、八上くんから一歩遠のかせた。

「きみはなぜ、このオオカミたちに襲われなかったんだ? たぶんぼくたちが来て刺激しなければ、そのまま仲良くやってたよね。一体どういう事なの?」

「……オレだって知らない。まだ元気で襲ってきそうなヤツは、オレも自分で避けて通るけど。弱ってるのは、かわいそうだから、消えるまで見守ってやる事にしてる。──こいつらも、オレに敵意がないのがわかってたんだろ」

 八上くんは身をかがめ、樹ちゃんの足もとに座るオオカミの背をなでた。

「かわいそう? マガツ鬼が?」

 わたしは目をしばたたいて、彼の言葉をくり返す。

 わたしのほうは、カラスさんやちーちゃんに、「悪いものには近づくな」って口を酸っぱくして言われてたし、その二人が、マガツ鬼との戦いの中で消えちゃって。前のミコトバヅカイの人たちも、お役目で命が削られたのを知ってるから。

 だから、マガツ鬼をかわいそうって思う発想がなかった。

 でも八上くんは、危険だってわかってるマガツ鬼を、消えるまで見守ってあげる?

 わたしは何度も目を瞬いて、彼の「かわいそう」を噛み砕こうとする。

 全然呑みこみきれないけど、でも、きっと……、八上くんはすごく優しい人なんだって、それだけはわかる。

「……こいつら、マガツキって言うのか。やっぱり、妖怪とか幽霊とか、そっち系?」

「本当になんにも知らないの? これは『鬼』の一種だよ。悪い言葉から生まれるんだ。りんねちゃんの話では、きみは邪気──人が吐く黒い煙も見えてるみたいだって。でも文房師の修行はしていないんだよね? 先祖はずっと東京住まい? 三重にルーツがあったりしない?」

 樹ちゃんは一気に問いただす。

 八上くんは眉間にシワを寄せて、肩をすくめた。

「ブンボーシって、なんだよ? あの甘ったるいにおいの煙、邪気って呼んでんのか」

「やっ、八上くんも、ほんとに見えてる!?」

「藤原も、やっぱり見えてたのか……。矢神サンもなんだろ? 見えるヤツに、初めて出会った」

「やっぱり八上くんは、わたしと同じだったんだ!」

 うれしすぎて、カーッと体が熱くなる。

 目を輝かせ、身を乗り出すわたしとは反対に、八上くんは考え込んだ。

「その邪気を食いに来る、動物みたいなのは、『鬼』で。だから人間を襲ったりするし、弱ったら、ふつうの動物とはちがって、跡形もなく消える……。で、藤原と矢神サンは、ああいう鬼を倒す係をやってるんだ。そういう人間がいる」

 わたしと樹ちゃんは顔を見合わせて、八上くんにうなずいてみせた。

「今村玲連は? あいつも関係者? 心霊写真が撮れたとか騒いでたけど、あいつは、邪気が見えてる風じゃなかったよな」

「玲連は、ちがう……。心霊写真は、あのオオカミが『霊感を強くする』とか、そういう写真が撮れるような、呪いの術をかけたのかも」

「へぇ……。こいつら、そんな事までできるんだ。ますます妖怪じみてるな。たしかにこの、マガツ鬼ってのを見かけると、たいていは周りで変なコトが起きてた。さっきも札みたいなので、分裂したもんな。ふぅん、なるほどな……」

 八上くんは、樹ちゃんの両側で大人しくしてる二匹に、長年のナゾが解けたっていう顔をする。

 その様子に、わたしは今さら気がついた。

 わたしはちっちゃい時から、近くにお役目の人たちがいた。身を守るために必要な最低限の事は、カラスさんが教えてくれた。だから、こういうふしぎがなんなのか、いつの間にか理解してたけど。

 八上くんは、周りにだれもいなかったんだ。

 ……じゃあきっと、すごくしんどかったよね。なにが起こってるかわかんなくて、説明してほしくて周りに訴えても、そもそも信じてもらえない。

 自分しか見えてない「黒い煙」を、同級生たちは平気な顔で吐き続ける。それがなんなのか、ちゃんと説明してくれる人のいないままで、八上くんはずっと、一人でぽつんと黙り込んでたんだ。

 他人事じゃなさすぎて、胸が苦しいよ。

「あの、でも! わたしたち、邪気も見えるし、マガツ鬼のこともわかるし、おっ、同じですっ」

 わたしは彼に一歩近づく。

「今まで他の人に話せなかった事も、わたしたちなら、相談し合えるよっ。だ、だからわたし、八上くんと仲良くなりたい……です!」

 こんな風に、自分から人にアピールするのなんて、初めてだ。

 樹ちゃんも目をパチクリさせて、わたしたちを見比べる。

「オレは、なりたくない」

 なのに、一言でバッサリ。

 彼はわたしの制服のスカートに視線を落とし、顔を歪めた。なんだろうと思ったら、いつの間にか泥まみれになってた。さっき、八上くんを守ろうとして、転んじゃった時だ。

「こ、これは、わたしが勝手に転んだだけだよ」

 汚れたところを、あわてて後ろに隠す。

「……そういうふうに言えば、オレがホッとすると思ったのかよ」

「え?」

 彼はさらに冷ややかな目で、わたしをにらんでくる。

「おまえ、〝天使〟なんて言われてるけど、表でだけだぞ。そうやって、人がしてほしいようにばっかりしてるから、今村たちに、『偽善者』って陰口をたたかれるんだ。裏ではなに考えてるかわかんないって」

 心当たりのありすぎる言葉に、胸を突かれた。

 ──なに考えてるかわかんない、偽善者。

 玲連たちが? それって、アキや桜と?

 学校ではいつもわたしも一緒だけど、文化体験会の係でいなかった時とかに? 三人がそんな事を言うはずない……って、思いたいけど、思いきれない。自分に自信なんて、カケラもないから。

 玲連が、「オオカミが夜にスマホから出てきた」って言ってた時から、彼女が家での通話中に、スマホに向かって言った悪い言葉から生まれてきたのかもって、ちらっと考えてたんだ。

 じゃああのオオカミは、「わたしが偽善者だ」っていう悪口から生まれてきた……のかもしれない?

 八上くんは自分が吐いた邪気に、ゲホッとムセて、踵を返す。

「黙って聞いてれば、ずいぶんな事を言うね」

 樹ちゃんが見た事ないような厳しい顔で、わたしの前に出た。

 あの穏やかな樹ちゃんが、怒ってる?

 見上げた横顔の、まなじりが吊り上がってる。ものすごく、怒ってる。

 信じられないものを前に、わたしはサッと青ざめた。

「い、樹ちゃん。大丈夫。ちがうの、ごめんね。八上くんの言うとおりなんだよ」

「でも、りんねちゃん」

 彼の腕を取って、わたしはぶるるっと首を横に振る。

 樹ちゃんは、夏休みのわたししか知らないから。

 ウソをつく必要もごまかす必要もない場所で、なにも気にせず笑えてるわたしと、教室でのわたしは、ちがうんだよ。だから、八上くんの言葉は、ほんとに、そのとおりで。

 玲連が「特別なのは、自分だけだと思ってるでしょ」って怒ってたけど、浮いちゃってるっていう、嫌なほうの意味でなら、「特別」なのかもしれない……。

 八上くんは名残惜しそうにオオカミの背中をなでて、立ち上がった。

「オレ、もう帰る。マガツ鬼ってやつの事を知れてよかった。けどオレは別に、藤原たちに関わる気なんてないから。そっちも二度と関わってくんなよ」

 言い捨てると、彼はそのまま振り向かずに、行ってしまった。

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