角川つばさ文庫の伝説級☆人気シリーズ『いみちぇん!』続編! 「わたしは、モモお姉ちゃんの意志を継ぐ!!」千方センパイの妹、藤原りんねが中学生になって、ミコトバヅカイに!? 先祖代々のお役目のナゾにも迫っていく、『いみちぇん!』ファンならゼッタイ読みたい最新シリーズだよ☆(公開期限:2026年1月12日(月・祝)23:59まで)
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3 悪いもの
今日はきっと、昨日の文化体験会──っていうより、樹ちゃんの話題で持ちきりだ。
朝いちばんの昇降口まえで、わたしはスカートの布をにぎりこんで、深呼吸。
いろいろ聞かれると思って、心の準備はしてきた。でも、いざ教室に向かうのは、勇気がいる……っ。
おはようのあいさつを交わし合う生徒たちの中に、玲連を見つけた。
彼女がゆっくり登校するのは珍しいかも。背中を追いかけようとしたけど、わたしがクツをもたもた履き替えてる間に、見失っちゃった。
あきらめて一人で階段をのぼっていくと、教室は、予想とちがう話題で盛り上がってた。
「うそぉ! ほんとにっ?」
「じゃあさ、オレのおじいちゃんも写るっ? 去年死んじゃったばっかなんだけど」
騒然としてるコたちの中心に、玲連がいる。
「あ、あれ?」
今さっき昇降口で見かけたのに、教室にワープした!? ……なんて事はありえないから、さっき玲連と思ったのは、わたしの見間違いだったんだ。
玲連はいつもどおりの落ち着きはらった横顔で、男子にスマホカメラを向ける。
「未来さん未来さん、滝沢くんのおじいちゃんを写してください」
シャッター音が響いた後、みんなが一斉にスマホを覗き込む。
そしたら、滝沢くんが腰を抜かして、ガタンッとイスに座り込んだ。
「マジでおじいちゃんだぁ……。ヤッバ……!」
戸口で立ちつくすわたしのところに、桜とアキが駆け寄ってきた。
「りんねちゃん、おはよぉ」
「玲連がすごいんだよ。本当に霊能力者になっちゃったみたい」
「れ、霊能力者……っ? 玲連、また『未来さん』をやってるの?」
二人の話だと、玲連が「未来さん」アプリで、未来の恋人じゃなくて、心霊写真を撮り始めたんだって。
「だけどあれ、ジョークアプリだったんだよね? 写り込むのは、AIの映像だって」
「そうだよねぇ。それに、幽霊を写すアプリでもないのにねぇ」
「あのブレスレットが効いて、霊感に目覚めちゃった……ってコト?」
そういえば玲連のパワーストーンブレスレット、霊感を高める効果があるって言ってたっけ。
桜とアキはぶるっと震えながら、人垣に目をやる。
わたしは教室を見回す。
悪いものはいない。黒い煙だって出てない。なのに、なんだか嫌なムードだ。
朝礼が始まって大騒ぎは中断したものの、休み時間のたびに、玲連の周りは人だかりができて、わたしたちは近づくこともできない。
お昼休みに書道部の部室へ逃げて、やっとこさ玲連と話せた。
部室のカギは、いつも部長さんのクツ箱に入ってて、必要な時に使っていいことになってる。
でもさすがにこの時間は暖房もついてないから、しんしんと冷える。四人でイスを寄せ、くっつきあって、お弁当を開いた。
すると、玲連がすごく疲れた顔で息をついた。
「こんな大騒ぎになると思わなかったよ。昨日の夜、アプリを消す前に、もう一回だけ試してみようと思って、お姉ちゃんを撮ってみたんだ。そうしたら、うちのおばあちゃんが写っちゃってさ」
「お、おばあちゃんが?」
玲連がお葬式で学校を休んだのは、ついこの間、秋の入り口だったから、よく覚えてるよ……っ。
写真を見せてもらったら、ほんとにお姉さんの真横に、おばあさんが写ってる。亡くなってるって知らなければ、「ふつうに一緒に撮ったんだよね?」って思うくらい、くっきりと。
全身に鳥肌が立った。
朝、教室で撮ったっていう他の写真も、ぼんやりとした人影から、目鼻立ちがハッキリわかっちゃうのまで、百発百中で写り込んでる。
「レビューには、幽霊が写ったなんて人は、だれもいなかったよね」
「まぁね。それでも現に写っちゃったんだよね。もちろんトリックじゃないよ」
玲連は他人事みたいに平常心だ。
そしたら、アキが自分自身を指さした。
「じゃあ、うちのばあちゃんを撮ってみてよ。うちが生まれる前に死んじゃってるけど、写真は見せてもらったことあるから、写れば分かると思う」
「いいよ」
玲連はサンドイッチをお弁当箱にもどし、未来さんに呼びかけて、アキを撮る。
シャッター音が鳴ったあと、わたしたちは急いで画面を覗き込んだ。
「──う、写ってる。ほんとにうちのばあちゃんだ。いつも着物の人だったから、これ、そうだよ」
さっきの写真より、ずっとぼんやりしてるけど……。アキの横の空間に、たしかに着物姿の人影が写ってる。わたしの向かいに座ってる実際のアキのとなりには、なんにもいないのに。
わたしは悪いものや精霊みたいなものは分かるけど、人間の幽霊は見たことない。
でも、そこにいるのかな。本当に、幽霊が?
四人で顔を見合わせた。
「すご……。玲連、マジで霊感に目覚めたかんじ?」
アキが震える手で、彼女にスマホを返す。桜はひゃああとわたしに抱きついてきた。
「で、でもぉ。『未来さん』が〝本物〟のアプリだしても、あれって恋人を写してくれるヤツでしょ? それがどうして、幽霊を撮っちゃうの?」
「それは……、わたしが霊感がほしいって思ってたから、未来さんが力を貸してくれてるのかな」
玲連の説明に、納得できたような、できないような。みんなで眉をひそめる。
アキはカラアゲを、ごくんっと飲み下した。
「この前、『さよならボタン』が変だったじゃん。やっぱり、ちゃんとさよならできてなくて、コックリさんみたいに、未来さんが玲連にとり憑いてる……とかはない?」
わたしたちは、思わず玲連の背後をうかがっちゃう。
「りんねちゃんは、どう思う?」
「え、えっと」
桜に話をふられたけど、話題が話題だから、わたしはヘタなことを言えない。
何を言うべきかグルグルしてると、玲連がわたしをチラ見してから、スマホをわきに置いた。
「とり憑いてるって言うと、聞こえが悪いけど。偶然、わたしと『未来さん』の波長が合って、本物を呼び出せちゃったのかもね」
玲連は「わかんないけどさ」といつものクールな顔でつぶやき、またサンドイッチを食べ始めた。
教室にもどったとたん、玲連は待ち構えてたコたちに取り囲まれた。
わざわざ二年生のセンパイまで、出張して来たんだって。わたしたちは外に押し出され、ぽかんとして、その大きな輪を見守る。
「心霊動画とか大好きなんだよね。自分に背後霊が憑いてないか、一度、みてほしかったんだぁ」
「でも、わたしはお祓いはできないんで、撮るだけですよ? 後は自己責任でお願いします」
「オッケーオッケー。あ~、でもどうしようっ。怖いのが写ったら」
わたしは身長が足りなくて、輪の中が全然見えない。内側からシャッターの音が響いてきた。
「あ……っ」
玲連の小さな声が、いやに大きく聞こえた。
「ヤダァッ! な、なにこれぇ!」
頼んだセンパイも悲鳴を上げ、周りも「ウワッ」、「やべ!」って叫びだす。
玲連を囲む壁がくずれて、みんな机やイスに体をぶつけながら、一気に距離を取った。
教室の真ん中に残ったのは、スマホを手にしたままの玲連と、へたっと床に座りこんじゃった、真っ青な顔のセンパイだ。
「ど、どうしたのっ?」
騒然とした空気の中、わたしたちは玲連のところへ駆け寄る。
玲連は自分も青ざめた顔で、スマホの画面をこっちに向けた。
センパイが両手をピースして写ってる。ピントは彼女にぴったり合ってるから、ブレてるわけじゃないのに、
ぼんやりした輪郭の女の人が、真後ろに立ってる。
白目は溶けて垂れさがり、黒い髪はバサバサ。口もアゴのあたりまで裂け落ちてて……っ。
わたしたち三人も、ヒュッと息を吸って凍りつく。
「き、気持ちワルっ。それシャレになんないよっ。消して!? あんたヤバいってば!」
センパイは叫んで、玲連からお尻で後ずさる。
その口から黒い煙がブホッと噴き出したけど、直撃を食らった玲連は、ただ呆然と彼女を見下ろしてるだけ。玲連は、煙のほうは感じてない?
センパイの背中にはなんにも見えない。でも、そこに本当に、あんな幽霊がいるの?
「おーい、どうした。二年まで集まってきて、なにやってるんだ? もう予鈴が鳴ってるぞぉ」
先生が戸口から入ってきた。
センパイたちは教室から引き上げてくれて、すぐに五時間目が始まった。
わたしは教卓の真ん前の席だから、後ろの様子はわかんない。でも、みんなの授業どころじゃないって空気が、ぴりぴり伝わってくる。
玲連は大丈夫かな。わたしだったら、あんな風にみんなの前で「ヤバい」なんて叫ばれたら、とても平気じゃいられない。
──ふつうじゃないよ。
──ヤバいよ、あの子。
いつかわたしに向けられた声が、頭によみがえってくる。心臓がバクバク脈打つ。
先生の授業は、まるでお経みたいで、ぜんぜん頭に入ってこない。
玲連は今、不安でいっぱいだよね。みんな簡単には忘れてくれそうにない。
もし玲連が避けられたり、変な事を言われるような事があっても、わたしはちゃんと、ふつうに接しよう。絶対に〝変なコ〟あつかいなんてしないから。大丈夫だからね、玲連。
わたしは心の中で彼女をはげまして、そわそわした気持ちがぬけないまま、午後の授業を過ごした。
そして、やっぱり、お昼休みの写真の一件から、教室の空気が変わった。
窓の外は晴れてるのに、ずっとうっすら黒い煙が漂って、大雨の日みたいにどんよりしてる。
ひそひそウワサ話が聞こえてくるのに、玲連が近くにいるって気づくや否や、みんなパッと話をやめる。まるで玲連のキゲンを損ねたら、自分が祟られるかもって怖がってるみたいに。
心霊写真は、アキが「さすがにマズいよ」って消去させた。
桜は「玲連、すごいよぉ。ホラー動画の実況、自分でできちゃうねぇ」って笑ってたけど、その笑顔は、やっぱりあきらかに無理してた。
今日は、書道部がある日だ。部室なら、落ち着いて相談に乗れるよね。
さようならのあいさつの後、日直が空気の入れ替えで窓を開けると、冷たい空気が入ってきた。なのに教室に充満してる黒い煙は、もやもやと雲みたいにわだかまって、流れていってくれない。
早くここから離れたほうが良さそうだよ。
わたしはすぐさま、カバンと書道バッグを手に提げた。
八上くんが教室から出ていくのを、目を合わせないように見送ってから、急いで玲連の席に駆け寄る。
「玲連、部活行こっ」
玲連はわたしの勢いにきょとんとしてから、声を立てて笑った。
「なに、りんね。そんなに心配しなくても、わたしは大丈夫だよ」
「う、うん?」
玲連は筆箱に、ペンを一本一本、ゆっくりとしまっていく。
「だって、りんねもこっち側だもんね。だからわたし、一人じゃないし」
「……えっ?」
玲連はナイショ話をするように顔を寄せてきた。
「ホントは今も見えてるんでしょ? ええと、黒い煙だっけ? オーラみたいなやつ?」
サーッと血の気が引く音が、自分の耳にまで聞こえた気がする。
「み、見えない!」
わたしは彼女からバッと離れた。
玲連、わたしが隠してるのに気づいてたの──!?
急に大きな声を出したわたしに、四方八方から視線が集まってくる。わたしはますます体が震える。
や、やめて。よりによってこんなトコで、そんな話をふらないで……!
心臓が胸の内側で上下に跳ねる。
「わ、わたしは見えないよ、そんなの」
「……そんなのって、なに、その言い方。わたしが撮った写真がウソだって言いたいの?」
わたしはハッとした。怒らせちゃった?
「あの、玲連の写真を疑ってるんじゃないよ。ただ、わたしは見えないから……って」
「疑ってるじゃん。だけど現に、写ってるよね?」
言い訳したわたしを、玲連は炎みたいな瞳で、にらみつけてくる。
怖いと思ったが最後、頭がまっしろになって、返す言葉がなんにも浮かんでこない。
考えてもみなかった。
玲連は、「写っちゃった、どうしよう」じゃなくって、「写せた!」って気持ちだったの?
彼女は手首のお守りブレスレットを、大事にさする。
「りんね。特別なのは、自分だけだと思ってるでしょ」
不意打ちの言葉に、わたしは瞬きして、玲連を見つめた。
「りんねって昔からそうだよね。自分は、みんなとはちがうからって顔」
「……そんなんじゃないよ……っ」
とっさに笑顔をとりつくろえなくて、顔がゆがんじゃう。
わたし、ふつうじゃないのをバレないように、ずっと、ずっとがんばってて、うまくやれてたつもりなのに。ほんとは全然ダメだったの? ふつうじゃないの、バレバレだった?
ようやくカサブタができてきた傷を、ツメを立てて引っかかれたみたいだ。
唇を噛んで痛みをこらえたら、代わりに涙がジワッとにじみ出てきた。こんなところで泣きたくない。泣いたら、大事になっちゃう。
「わたしも特別になっちゃったみたい。りんねだけじゃなくなるの、気に食わないよね。ごめんね?」
ぼふっと噴き出した濃い煙に、わたしは一歩下がる。
わたし、自分だけちがうのを、特別だなんて思った事ないよ。やだよ、やめようよ。ケンカなんてしたくない。仲良し四人、このままでいたいのに。
玲連とわたしの間の冷えた空気に、教室のみんなが気がつき始めた。視界のすみで、アキと桜も弱り顔で立ち尽くしてる。
グルルルル……。
静まり返った教室に、妙な音が響いた。
……今の、まさか、ケモノのうなり声?
ぎこちなく振り向くと、後ろの戸口から、ひたっ、ひたっ、と、足音を立てて、黒っぽい毛並みの動物が入ってくるのが見えた。
「犬? なんで学校の中に?」
「首輪してないよ。野良犬? ヤバいよな」
「せ、先生呼んで来ようよ」
後ろの席のほうのコたちは、じりじり下がって、その黒いケモノから距離を取る。
ケモノは教室内に散らばって立つわたしたちに、ぐるりと眼を巡らせた。その眼が、赤くらんらんと光ってる。
ドッと冷たい汗が噴き出した。
──悪いもの、だ。
わたしは真上を見上げた。黒い煙が天井にわだかまってる。あれを食べに来たんだ。
文化体験会の日に出てきたのと、同じ悪いものだよね。樹ちゃんが追い払ってくれたけど、消せたわけじゃない。また、煙を求めてもどって来たんだ……っ。
わたしが煙を柏手で対処しないで、そのままにしてたせい? 樹ちゃんから「ちゃんと散らしたほうがいい」って、忠告してもらってたのに。
「ちょ、ちょっと。あれ、オオカミじゃない? うち、犬飼ってるけど、あんなシュッとしてないよ」
「オオカミがこんなとこにいるわけないじゃん」
みんなのザワザワが大きくなる。不安の言葉が黒い煙になって天井へ昇り、照明の明かりをさえぎる。
オオカミが教室の中をゆっくりと歩いてくる。
わたしは全身が心臓になったみたいで、どくどくとスゴい音に、めまいまでしてきた。
どうしよう、どうしよう……!
教室にはまだ生徒がほとんど残ったままだよ。これ、どうなるの? 煙を食べたら、すぐ帰ってくれる? わかんない。ちーちゃんもカラスさんも、樹ちゃんもいないんだもの。
わたしには何もできないのに……っ。
教室の前と後ろの至近距離から見る悪いものは、鼻先にシワを寄せ、赤い歯ぐきを見せ、下のキバからは、ぼたぼたよだれを垂らしてる。
作りものじゃない本物のケモノの生々しさに、あのキバが自分の首に突き立ったらって、足がすくむ。
「『未来さん』?」
玲連の声が、教室のざわめきにスッと通った。
みんなそろって、彼女に目を向ける。
「すごいっ、ほんとにいる! あなた、未来さんなんでしょ? このまえの夜、スマホから飛び出してきたの、見たんだからっ。やっぱ夢じゃなくて現実だったんだ……!」
彼女は顔をはち切れんばかりの喜びでいっぱいにして、ふらり、オオカミに歩み寄ろうとする。
「れ、玲連?」
あのオオカミは、スマホアプリから出てきた未来さんなの? ちがうよね。悪いものだよね。
それとも未来さんが、もともと悪いものと関係あったりする? だったら、彼女が心霊写真を撮り始めたのも、悪いものの仕業ってこと?
考えるうちに、呼吸まで速く、荒くなっていく。
とにかく、みんな逃げて。危ないよ。
叫ばなきゃいけないのに、言葉は喉の内側に貼りついたまま。
だって、わたしから行動を起こしたら、「なにか知ってるの?」って、みんな不審に思う。
玲連だって、わたしがふつうじゃない事を勘づいてたのに。しかもさっきの玲連との会話を、みんなも聞いてたかもしれないんだよ。
やだ、ふつうじゃないの、バレたくないよ……っ。
冷や汗がぼたぼた落ちる。スカートのポケットのあたりを、上からぎゅっと握り込む。
玲連は瞳を輝かせて、オオカミに近づいて行っちゃう……!
「未来さんが、わたしが特別だって信じてもらえるように、みんなの前に出てきてくれたんだよっ。そうなんでしょ!?」
オオカミは身を低くして、彼女の様子をうかがってる。あれ、獲物に襲いかかる寸前の動きじゃないのっ?
わたしはまだ声が出てこない。でも、玲連を行かせちゃダメだ!
どうしようもなくて、わたしはとにかく、彼女の腕に抱きついた。アゴを下げて言葉を出そうとするけど、なんにも音にならない。
「放してよ」
玲連はすがりつくわたしのおでこを、手のひらで突き放した。だけどわたしはもう一度、彼女の腕に抱きつきなおして、ぶるぶる首を横に振る。
「りんね、ウザいって。そんなに、わたしが自分より目立つのがイヤなの? ほんとの〝天使〟なら、嫉妬なんてしないはずだよ」
間近の口から黒い煙が、ぼふっと吐き出されて、わたしの顔に直撃する。
わたしは息を止めて、また首を振る。
グルル……ッ。
オオカミがグッと身を沈めた。飛びかかってくる!?
そっちに気を取られた瞬間、視界に赤い光がにじんだ。
なにこれっ。玲連の体が、赤く光ってる……!
彼女自身もエッと声を上げる。
禍々しい光に包まれた玲連が、視界からヒュッと消える。
ちがう、床に吸い込まれて、真下へ落ちていく! 床に穴が開いた!?
教室中からみんなの悲鳴が上がる。
「玲連っ!」
やっと声が出た。わたしは彼女の腕にしがみついたまま、自分まで下に引っぱられる。
アキと桜も腕を伸ばして、こっちに駆け寄ってくる。でも間に合わないっ。
──落ちる!
「りんねちゃん!」
後ろから肩をつかまれて、ものすごい力で反対側に抱きもどされた。
どさっ。
わたしは尻もちをついた。床に吸い込まれる事なく、ぺたんと、硬い床に。
同時にオオカミが、わたしの真上に向かって跳ねる!
オオカミは大口を開けると、天井にわだかまった黒い煙を、食べた……!
とたんにクラスのみんながウッとうめき、次々と床に倒れていく。
「えっ、え!?」
なにが起こってるの!?
オオカミが着地する前に、銀色の棒が、その首に命中する。
床に叩きつけられたオオカミは、キャウッと悲鳴を上げ、体勢を立て直すなり、窓の外へ飛びだした。
……教室は、急に静まり返った。
床に、銀色の棒──文鎮が転がってる。窓から吹き込む風に、カーテンが揺れる。
わたしは震えながら、尻もちをついたまま。
「に、逃げてくれた……」
黒い煙を食べた。やっぱりあれは「未来さん」なんかじゃない。悪いものだよっ。
ぎしぎし音を立てる首を動かして、周りを見回す。
アキと桜が、床に突っ伏してる。他のみんなも倒れて、だれも動かない。
わたしは、空っぽの両手に目を落とした。
「れ、れれんっ」
どうしよう、わっ、わたし、玲連の腕を放しちゃった。
彼女が落っこちた所にガバッと飛びついたけど、なんで!?
玲連が立ってた所には、影みたいな黒っぽいシミが広がってるだけで、穴がない!
ぺたぺた手で触っても、ただの床だ。だけど玲連は落っこちたよね? どこに消えたの!?
全身の毛がザワッと逆立つ。
悪いものが、なにかしたんだ……!
「りんねちゃん、ケガは」
つむじの上から、声が降ってきた。わたしは今さら、自分を助けてくれた人を見返った。
涼しい顔立ちのお兄さん。
「──樹ちゃん」
昨日サヨナラしたばっかりの人が、なぜかそこにいる!
彼はわたしの両脇をひょいっと持ち上げて、立たせてくれた。しかもひふみ学園の制服を着てる。
「ごめん。もうちょっと早く気づいてたら、こんな事にはさせなかったのに」
樹ちゃんは、アキたちの顔色を確かめてから、小さくうなずいた。
「大丈夫。自分が出した邪気──あの黒い煙を食われた人間は、下手すると死んじゃう事もあるんだけど、今はちょっとかじられただけだから。すぐに目が覚めるよ」
「ほんとに……っ?」
樹ちゃんはオオカミが逃げた窓から、下を覗き込んだ。
「まだいるな。ちょっと行ってくるね」
彼は教室から駆け出した。わたしは放心したまま目で追っていたけど、
「──あっ。樹ちゃん、待って!」
遠ざかる足音に我に返って、あわてて彼の後を追った!