◯
夕食と片付けを済ませ、すっかり夜の帳が降りた頃。
私はそっと、玄関の扉を開いた。
「おいで、シロフクロウ」
「ホゥ」
肩にシロフクロウを乗せ、私は庭の切り株にあぐらをかき瞑想する。少し肌寒いが、それでもまだ夜の風は心地よい。
穏やかな風に草木は揺れ、魔女の森に咲く花が月明かりに照らされる。
虫の鳴き声がする静かな夜。
今日は満月だ。
瞑想の時間は、私の精神を磨きあげる。高まった集中が、余計な雑念を振り解いてくれる。
「結構虫が多いのね」
不意に背後から声がした。
祈さんだった。
「夜に瞑想してんだ? 真面目だね」
「集中できるんすよ。昼間はこき使われてクタクタなんで、夜が一番時間があって」
「夜は魔女の時間だからいいかもね」
「祈さんはやんないんすか?」
「やったことないわね。なにせ英知の魔女だから。発想と知識だけで魔法を発展させてきた。天才よ」
「自分で言う?」
私は満月を見上げる。空に昇る月を眺めると、不思議と気分が高揚した。私の中の魔女の血が月に呼応しているのかもしれない。まぁ、月と魔女の血に因果関係があるのか、私は知らんわけですが。
「祈さんは、もしも自分があと一年で死ぬって言われたら、どうします?」
ほんの軽い問いかけのつもりだったが、祈さんは神妙な顔でこちらを見ていた。
「何それ。あんた死ぬの?」
「もしもって言ったでしょ」
「誤魔化さなくてもわかるわよ」
祈さんは、どこか悲し気に目を逸らす。
「あんたくらいの歳の子が、英知の魔女に探りなんて入れられると思ってんの? 将来の話をしてから、なんかリアクションが鈍いなって思ってたのよ」
「あはは……やっぱり七賢人には敵いませんなぁ」
笑って誤魔化すも、あまり効果はない。
「それで、何で死ぬの」
「呪いです」
「呪い?」
「死の宣告っていう呪いで私は死ぬんだって、お師匠様は言ってました。十八になったら体内時計の制御がきかなくなって、一気に歳を取るんだとか」
「死の宣告……」
「ご存知ですか?」
しかし祈さんは静かに首を振った。
「あんたが呪いにかかってることすら気付かなかったわよ。高度な呪いは見抜くのが難しいから、仕方ないかもしれないけれど」
「じゃあ、助かる方法は祈さんも知らない?」
「聞いたのも初めてだからね。呪いは古い魔法の技術だし、たぶん、ファウストばあさんだから気付けたんだと思う。……それで、ばあさんは何て?」
「助かる見込みは一パーセントもないって。千人分の嬉し涙を集めるよう言われました」
「なるほど、命の種か。確かに、老化の呪いなら、命の種を使うのが一番手っ取り早いかもね。でも、面倒なもん課題にあげたわね。今はどれくらい集まってんの?」
私はベルトにつけていたビンを取り出す。
「涙が三粒です。でも、嬉し涙はそのうち一粒だけ」
「ダメじゃん」
「全然ですよ、もうホンマにクソすぎてなんも言えまへん」
「あんたねぇ……」
「お師匠様は、命の種が喜びの感情で作られてるって言ってました。だからまず感情の欠片を集めろって。感情の欠片って、そんなにすごいんでしょうか」
「さぁね。実は私も、よく知らないのよね」
「えっ!? 英知の魔女なのに?」
意外だった。
「そりゃ私だって知らないことくらいあるわよ。それくらいマイナーってこと」
「マイナー……」
「古いって言った方がいいかもね。魔法は、昔と今では立場も、あり方もまるで違うから」
昔と今で、時代と共に魔導師の立場も大きく変わった。
かつての魔女や魔法使いは、奇跡的な術を使って土地や人を守る存在だった。
でも現代では、知識をもって文明を発展させる研究家の気質が強くなっている。もちろん、全員が研究家をしてるわけじゃないけれど。
「感情って言う要素は、現代魔法では殆ど使われてない。不確定で、再現性に欠けてるからね。自分が落ち込んでたら魔法が出ないとか最悪でしょ?」
「確かに」
祈さんの話を聞いていると、同じ魔女でもお師匠様とはずいぶんスタンスが違うのだとわかった。
お師匠様の魔法は、古い教えや、人の気持ちに寄り添ったものだった。
でも祈さんの魔法は、論理的で、科学者や学者に通じるような考え方だ。
時代と共に、魔法のあり方は大きく変わった。お師匠様と祈さんの魔法の差は、そのまま魔法がたどった変化の軌跡を物語っているように見える。ジェネレーションギャップがあるのかもしれない。
私が考えていると、「ただ」と祈さんは続けた。
「昔から、涙には不思議な力が宿るなんて言われてるわね」
「そうなんですか?」
「ほら、おとぎ話で、人魚の涙が王子を助けるなんてあるでしょ。私らが知らないだけで、嬉し涙を素材にする命の種には、何かしら未知の力ってのが宿ってるのかもしれないわね。感情の欠片が持つ、未知の力が。ま、夢みたいな話よ。私はそういうの好きじゃないけど」
「歳を取ると夢を失うんですね」
「殺すわよ」
そこで祈さんは、ふと気になったのか、私の手に握られたビンに目を落とす。
「ねぇ、そのビンちょっと見せて」
「えっ? はい。割ってもいいですけど、私に全財産くださいね」
「死んでも割らない」
祈さんはビンを手に取るとそっと目を細めた。
「感情の欠片か。初めて見たかも。確かに不思議な力を感じる」
「七賢人でも見たことないんですか?」
「そりゃそうよ。嬉し涙なんて私、集めないもの」
確かに、普通そんなもの集めようだなんて思わないし、集めようと思って集まるもんでもないだろう。今の私がそうなのだから。
「祈さんは、自分が一年で千粒の嬉し涙を集めろって言われたら、どうやって集めます?」
「うーん? そうねぇ、まずはどこから嬉し涙として認定されるのか、各種データを集めるかしら。そして、その状態を再現する薬品や魔法を考案して、被験者を集めて試験する」
「何か機械的すね」
「それが学者ってもんよ。でも、実際問題、難しいでしょうね。一年で千粒か……私が独り立ちする時より厳しい試練だわ」
「やっぱそうなんだ」
私が立ち上がると、シロフクロウが頭の上に乗ってくる。バサバサと羽を広げ、静かに鳴いた。それはまるで、月光を集めるかのようだった。
「正直、祈さんから助手に誘われた時、心が高揚しました。私は今までずっとラピスで暮らしていたから、なんていうか……広い世界につながる扉を前にして、ワクワクする感じがしたんです」
「メグ……」
「お師匠様から嬉し涙を集めるように言われて、数週間が経ちます。一日三粒以上集めなきゃダメなのに、私はまだ三粒しか涙を集めてない。流石にポジティブモンスターと言われた私でも、たった一年で千粒も涙を集めるのが不可能に近いことに気付きますよ」
「そりゃそうかもしれないけど……。諦めるのはまだ早いんじゃない?」
「諦める?」
そうか。私は諦めようとしていたのか。そんな当たり前のことに、今さら気が付く。
一年後のことを考えないようにしたり、当たり前の毎日に疑問を抱かなくなったり。
頭では考えないようにしていたけれど、私はいつしか、生き残ることより、死ぬことを受け入れようとしてたんだ。
私が呆然としていると、アッハッハと祈さんは気持ちいいくらいにまっすぐ笑った。
「人が生き死にの話しとんのに笑うとは何ごとか」
「ごめんごめん、あんたがあんまりにも馬鹿だからさぁ。自分が諦めようとしてたのにも気付いてないなんて、クックック、馬鹿じゃん」
「どうやら戦争がしたいようで……」
私が殺意の波動を身にまとっていると「悪かったわよ」と祈さんは言った。
「じゃあ死を覚悟したメグちゃんに、いいもん見せてあげるわよ」
祈さんはバサリと髪をはらう。
「私が七賢人ってところ、見せてあげる」