KADOKAWA Group
ものがたり

『ある魔女が死ぬまで -終わりの言葉と始まりの涙-』ためし読み連載 第1回 余命一年の魔女

 私と少女は、一緒に街に通じる道を歩く。

「そういえばおねーちゃんのお名前、私知らない」

 カーバンクルを抱きかかえながら、少女が尋ねてきた。

 そんな彼女に、私はやれやれと肩をすくめる。

「人に名前を尋ねる時は自分から名乗ってみなよ」

「知らない人にお名前教えちゃダメってパパが言ってたよ?」

「これが教育面におけるパラドックス……」

 そのような押し問答を数分繰り返したあとに、ようやくお互い自己紹介を済ませた。少女の名はアンナと言うらしい。街の中心街にあるお医者さんの家の子だと言う。

「お医者さんの子かぁ……」

 確かに言われてみればそう見える。立ち振る舞いや話し方がこの歳の子にしてはしっかりしている気がした。良い家庭で育ったのだろう。

「それで、ママにあげる花って、どんなのがいいの?」

「んーとね、ママが好きなお花!」

「だからそれ何や」

「ピンク色の、素敵なお花! ママが昔見たんだって! たくさん咲いてて、とってもキレイで! もう一度見たいって、いっつも言ってた!」

「えー? 漠然としてるなぁ。ピンク色の花って言っても山ほどあるし……。花の名前とかわかんないの?」

「全然わかんない」

「わからないのにお願いしようとしたの?」

「うん。ファウスト様なら大丈夫かなって」

「そんなわけ……あるな」

 確かにあのくそばば……お師匠様なら千里眼を使って過去視できたかもしれない。不確定な未来を見抜くにはいろいろ制約があるみたいだが、確定された過去であれば容易に視ることができるという。もちろん私にはそんな芸当できない。無理に決まっとるやろ。

「ごめんねアンナちゃん。お姉ちゃんまだ未熟だから、お師匠様みたいに一発で見つけ出すのはできないんだ」

「そっかぁ、でもいいよ、元気出しなよ」

「はい、すいません……」

 何やら引っかかるものを覚えたが、細かいことを気にしてはならない。

「昔見た思い出の花か……。ねぇ、その話ってお父さんも知ってたりする?」

「えー、わかんないけど、パパだったら家にいるよ! 来る?」

「うん。連れてってよ」

 アンナちゃんのお父さんに聞けば、ヒントがあるかもしれないな。

 私たちはアンナちゃんの家に向かうことにした。


 しばらく川辺の道を歩くと、やがて街の入り口が見えてきた。

 英国にある人口十万人程度の地方都市ラピス。

 古いレンガ造りの建物が目立つこの街は、中央都市ロンドから離れた場所にある、いわゆるベッドタウンだ。

 都心部につながる都市鉄道があり、地下鉄も現在敷設中である。街の中央には広場があり、そこから商店街や住宅街へ向けて、四方に大きな道が走っている。

 広場の中心に古い時計塔が建ち、街に鳴り響く鐘の音が夕刻の合図だ。

 市場は毎日賑わい、街の北部には自然公園もある。

 古い街並みと、人と、自然が調和する、歴史ある街がラピス。

 そして、そんな街の外れにあるのが魔女の森であり、私とお師匠様が住む魔女の館なのだ。

 大都市になると数多くの魔女が住むものだが、ラピスに住む魔女は私とお師匠様だけ。


「お、見習い魔女ちゃんじゃねぇか。またファウスト様のお使いか?」

「へへ、そんなもんでごぜえやす」

「ファウスト様のとこの姉ちゃんじゃん。仕事?」

「さよう……」

「おや、ファウスト様のとこの。珍しいねこんな時間に。揚げ芋できたけど、食べるかい?」

「おばちゃんありがと、この子の分ももらえる?」

「あいよ」


 この街には気さくな人が多い。魔女であろうと、気軽に接し、受け入れてくれる。

 二人で揚げ芋を口にしながら歩いていると、アンナちゃんがカーバンクルを撫でながら、私の顔をマジマジと見つめているのに気付いた。

「どったの?」

「お姉ちゃん、有名人なんだね」

「そりゃそうだよ。何せあの七賢人の一人ファウストの弟子なんだから」

「しちけんじん?」

「世界でトップレベルに賢い七人の魔導師のこと」

 この世界には、魔女や魔法使いといった、人智を超えた特別な力を操る存在がおり、それらを人々はひとまとめにして『魔導師』と呼ぶ。

 そんな魔導師の中でも、国際魔法協会に認められた七人の魔導師が『七賢人』だ。

 私のお師匠様『永年の魔女ファウスト』は、その中の一人。古い魔女の教えを体現化する偉大な魔女だ。

 古来、魔女は人のために力を使い、人は魔女に感謝の証を渡してきた。

 そうした古い魔女と人との関係を、お師匠様は今も守り続けている。

 だからお師匠様は、たくさんの街の人から頼られ、慕われていた。

 そして私は、その偉大な魔女の愛弟子というわけだ。

「じゃあお姉ちゃんも、いつかファウスト様みたいになるの?」

「そりゃあもちろん──」

 なる……つもりだった。

 死ななければ、きっといつかは、なれたかもしれない。皆に慕われる、すごい魔女に。

 ずっとそれを目標に、今までそれなりに頑張ってきたつもりだ。

 なのに、その行く末が、あんな一人寂しく死ぬ老婆の姿なのだとしたら。

 少し、あんまりすぎるんじゃないだろうか。

 私がやってきたことって何なんだ。どうして私なんだ。

 その疑問ばかりが頭に浮かぶ。

「だー! 畜生がぁ!」

「わっ! ビックリした!」

「アンナちゃん、暗い話題はこれくらいにして、さっさと行こう!」

「暗い話なんていつしたっけ?」

「あぁ、よくよく考えたら全然してないな! 細かいこと気にすんな!」

「お姉ちゃん変なの」

「生まれつきだよ!」

 昔から面倒くさかったり辛気くさかったりすることを考えるのは苦手だ。

 そんな私を、人はポジティブモンスターと呼ぶ。


 アンナちゃんの家は、街の中心街にある戸建ての家だった。父親が開業医で、自宅と病院が併設されているらしい。

「ここが私のお家!」

「でっけー家」

 三階建てのレンガ造りの家は一見するとただの民家だが、裏側は病院になっているようだ。周囲の家よりも一回り大きく、この家が裕福であることを容易に想起させる。

「どうしたの、お姉ちゃん?」

「ん? いやね、ちょっとこの辺りに来たことある気がしただけ。そんなことより、私はアンナちゃんが羨ましいよ」

「どうして?」

「だって、綺麗じゃん、お家。きっとお金もあって、豊かなんだろうなって思って。ウチなんてもうボロボロのボロみたいな屋敷だよ?」

「お姉ちゃんはお金が欲しいの?」

「うん。くれる?」

「あはは、ヤだ」

「クソが」

 下らないやり取りをしつつ、自宅にお邪魔する。

 中に入ると「パパー、お客さんだよー」とアンナちゃんが元気に奥へと走っていった。そのあとをゆっくりと追う。

 アンナちゃんから解放されたカーバンクルが私の足元にやってきたので、何となく手を伸ばし、肩に乗せてやろうとした。

 すると、廊下の隅にホコリが溜まっているのが目に入る。

 よく見ると、細かい汚れがそこかしこにあるのがわかった。掃除はしているものの、手入れが行き届いていないという印象だ。家事に慣れていない人がやっているのだろう。

「医者の家なのにずいぶん衛生管理が悪いね」

「キュウ」

 廊下を少し歩くと、開いたドアから光が漏れているのがわかった。どうやら自宅と診察室がそのままつながっているらしい。

 そっと中を覗く。アンナちゃんと父親らしき男性がいた。

「アンナ、診察室に勝手に入っちゃダメじゃないか」

「パパ! お客さんだよ!」

「お客さん? 病人かい?」

「誰が病人じゃい」

 思わず突っ込むと、父親と目が合う。

 メガネを掛けた、短い金髪の、物腰柔らかそうな男性。

 その瞬間、私も男性も「あっ」と声を出した。

「なんだ、ヘンディさんじゃん」

「あれ? ファウスト様のところの……」

「メグだよ。メグ・ラズベリー」

「あぁ、そうだ。メグちゃんだ」

「お姉ちゃんとパパ、知り合いなの?」

 キョトンとするアンナちゃんに、私は頷く。

「知り合いも何も、ヘンディさんはうちのお得意様だよ。それに私、よく見たらここに何回か来たことあるな」

「そうなの?」

「うん。よく薬の発注をしてもらっててね、私が薬を届けに来てるんだ。道理で何か見覚えのある家だと思ったんだよね」

「まぁ、いつもは病院側から入ってもらってるし無理もないさ。アンナとも、会ったことなかったかな?」

「今日初めて会いましたよ」

 昔は薬といえば魔女が調合して作るのが当たり前だった。

 魔女が薬を提供し、医者がそれを治療に使う。そうした交友関係が、長い歴史の上で築かれてきたのだ。

 だが、現代では、薬は業者から仕入れるのが当たり前になったし、薬を作る魔女もずいぶん減った。

 テレビに出たり、学者になったり、アイドルのような扱いを受けたり。

 魔女のあり方も、魔法のあり方も、年々変わってきている。

 今どき魔女だって、わざわざハーブや薬草を調合して摂取するようなことはしない。

 でも、魔女が作る魔法薬を使えば、医者が提供する薬の効果を高めることができる。魔法のかかった薬なんて気持ち悪くて使えないと言う人もいるから、魔法薬を使う医者はあまりいないけれど。ヘンディさんは、魔女の薬を使ってくれる良識ある医者の一人だ。

 彼は魔女が作る薬の医学的価値を知っている。

 ヘンディさんはふと首を傾げると、「それで、どうしてメグちゃんがここへ?」と尋ねてきた。

 その質問に、アンナちゃんが嬉しそうにピョンと跳ねる。

「お姉ちゃんはね、ママにお花あげに来てくれたの!」

「花?」

「お母さんのお墓にお供えする花を、お師匠様にお願いしに来てくれたんです。お母さんがゆっくり眠れるようにって。それで、代わりに私が……」

 私が耳元で言うと、ヘンディさんは表情を変えて「そっか」と呟いた。

 その表情はどこか優しく、どこか寂しい。

「アンナちゃんのお母さんが好きだった花って、覚えてません?」

「花かぁ……。よく飾ってくれてはいたけど、何が好きなのかはちょっと覚えてないなぁ」

「うむぅ。ヒントなしかぁ。何か手がかりがあると思ったんだけど」

 私が頭を搔いていると「そうだ」とヘンディさんが手を叩く。

「アルバムがあったな。何かわかるかもしれない。書斎にあるから取ってきてごらん」

「じゃあアンナ、見てくるね!」

「あっ、ちょっと、アンナちゃん。私も一緒に……」

 トトト、と声をかける間もなく、アンナちゃんは部屋から小走りに出ていってしまった。

 ヘンディさんと目が合って、フッと、どちらからともなしに笑みがこぼれる。

「元気な子ですね」

「お陰様でね。妻は病弱だったんだけど、あの子は元気に育ってくれた。死んだ妻も喜んでたよ」

「亡くなって間もないんすか、奥さん」

「一週間も経ってないんだ。……すまないね、本当ならファウスト様のところにもご挨拶するつもりだったんだけど。葬儀も身内だけで済ませてしまって」

「いいよ、先生も大変だったろうし」

 何だかしんみりした空気が流れる。

 こういう空気は苦手だ。

「って言うか、すいません。仕事中にお邪魔しちゃって」

「ああ、気にしないでよ。丁度午前の診察が終わったばかりだから。せっかくだし、お茶でも飲んでいくかい?」

「喜んで」


次のページへ▶


この記事をシェアする

ページトップへ戻る