17 いざ、研究所へ!
理由は不明ながらも、ロックの外れた扉をくぐり、中をのぞきこんでみると――。
無人の暗いろうかを、誘導灯のランプだけがぼんやり照らしてる。
足もとはタイルばりだ。
なるべく音をたてないように、おっかなびっくり体をすべりこませた。
ろうかの右手のカベは全面ガラスばり。
そのむこうは、こぢんまりとした研究室だ。
蛍光灯の消えた部屋に、デスクや大きな機械が並んでる。
「今日はお休みみたいだね。だからセキュリティもお休みなのかな」
「無人になる日に、わざわざセキュリティを切る、アホな研究所があるかよ」
「そりゃそうか」
ガラスにぎりぎりまで顔を近づけてみる。
――と、やっぱりだ!
ホワイトボードに、いろんな書類といっしょに、モグラの写真がいっぱい貼ってある!
とたんに心臓がバクバク太鼓を打ちだして、その音がまわりに聞こえちゃいそうだ。
研究所がここで危険生物を飼ってたの、確定だよ……!
涼馬くんも息を殺して見つめてる。
「綾のカメラ、借りておけばよかったね。証拠写真を撮れたのに」
「…………うん」
涼馬くんが急に、うわの空の生返事になった。
彼の視線はまっすぐ、研究室のなかの一点に定まっている。
すぐそこのデスクのわきに、画びょうで写真が貼られてる。あれを見てる?
「こよみちゃん……?」
彼の口から、知らないコの名前がぽろりとこぼれた。
「涼馬くんの知りあいなの?」
あたしもガラス窓ごしの写真に目をこらす。

遠目だけど、子どもが二人写ってる。
小学校低学年くらいの男子と、幼稚園生くらいの女の子だ。
あのデスクの研究員さんの、家族かな?
ふわふわした笑顔の女子にほっぺたをくっつけられて、男子のほうは難しい顔をしてる。
その「こよみちゃん」は、あたしには見おぼえのない顔だ。
だけど、あの男子は……。
ショートカットで今とは髪型がちがうし、彼があんな仏頂面をしてるのも見たことないけど、
下がりぎみの目じりに、整った顔。
どう見ても、小さかったころの楽さんだ……!
「楽さんの親って、研究所の人なの?」
「わからない。おれはなにも聞いてない」
「あれ? でも楽さんって、涼馬くんよりはやく一人になったんじゃ――、」
「それは確かだ。楽さんは赤んぼうのころからだって」
涼馬くんが見開いたままの目を、あたしに向ける。
その時だ。
あたしたちの目のまえのカベが、いきなり、横なぐりにふっとんだ!
「――ッ⁉」
ガラガラガラッ。
土ケムリを巻きおこし、ろうかにガレキがくずれ落ちていく。
ライトよりも大きな丸が二つ、ケムリのなかに光った。
真っ赤な瞳をらんらんと輝かせる、巨大モグラだ……!
「マメ!」
涼馬くんの大声に、金しばりが解ける。
彼がぐんっとあたしの腕を引っぱった。
全力で飛びのくと、あたしのポニーテールのしっぽをかすめて、二撃目が来た!
***
連続攻撃をギリギリかわしたあたしたちは、行く手をふさがれ、石切り場にもどるしかない。
しかも激怒のモグラが、後ろから追いかけてくるよ!
扉から飛びだし、逃げ場をもとめて突っ走るけど、地図もなしじゃ完全に運まかせだ。
「追っかけてこないでよぉ! 背中に火をつけたの、あたしたちじゃないって!」
「おれたちのこと、エサとでも思ってるのかよ!」
へろっへろに疲れきってるところに、モグラと地下の追いかけっこ⁉
今にも蹴つまずいて、ひっくり返りそうだ。
なんて考えてたら、みごとにスッ転んだ。
「うわぁっ」
「マメ!」
涼馬くんが痛むはずの右手で、あたしのわきをすくいあげてくれる。
すぐに体勢をたてなおし、ふたたびのダッシュだ!
「プロのサバイバー、そこらへんにいないかな⁉」
「山火事か、逃げおくれの生徒の回収に出はらってるんだろ!」
後ろで、また石カベがぶっ壊される音がする。
ふり返るよゆうもないけど、あのモグラのツメ、どんだけ鋭いの⁉
ツメさきだけでも引っかけられたら、おしまいだよ!
「まくぞ! そこの角で、ヘアピンカーブだ!」
「了解!」
モグラッ、たのむから気づかないで直進していって!
祈りながら、ほとんど百八十度の方向転換で、急カーブの道へすべりこむ。
そのまま転げる勢いで駆けつづけ、――あった!
さっきのぼってきた地下坑、そして真上には、ドーム窓の非常口っ!
穴のふちで足にブレーキをかけ、バッとふり向く。
モグラはやっぱり追いかけてきてる。
茶色い巨体がみるみる近づく。
「注意! 合図と同時にハシゴへとびつけ!」
了解と応えかけて、あたしは言葉をのみこんだ。

涼馬くんが、サバイバルナイフを手にあたしの背後に立つ。
――まただ。アオムシの時と同じ。
あたしをかばって、自分一人で敵を引きつけるつもりだ!
「なんで!? いっしょに脱出だよ!」
「こいつ、どうせ地上まで追っかけてくんだろっ。おれもおまえも体力的に、これ以上は逃げきれない。二人そろってやられる前に、ここでケリをつける!」
「ケリって……っ。でも右手、もうまともに力が入ってないよね⁉」
なのに、あたしを逃がすまでナイフ一本で時間かせぎなんて、そんなのムリに決まってるよ!
モグラのふり上げたツメが天井に引っかかり、石の破片をまき散らす。
足もとまで飛んできた石を、あたしたちは飛びのいてよける。
「行け、マメ! おれはいいんだっ。おまえに何かあったら、ノドカさんが泣くだろ!」
強く肩を押された。
なにそれ。なに言ってんの涼馬くん。
まさか自分は、もうだれにも泣いてもらえないから後回しとか、そんなこと考えてるの⁉
目の奥を焼くような熱い涙がこみあげてきて、そんな場合じゃないのに、視界がにじむ。
「イヤだよ、ばか!」
「行け! ノドカさんに救けてもらった恩は、現場で返すって決めてるんだっ。それに、幸せになるべき人間に、目のまえでいなくなられるのは、もうたくさんなんだよ!」
どなり声が悲鳴みたいだ。
あの写真の赤ちゃんも、お父さんとお母さんも、ノドカ兄だって、涼馬くんの前から次々に消えていった。
彼はそのたび、くやしい想いで見送るしかなかったんだ。
あたしは涙をのみくだす。
わかるよ。あたしだってもうたくさんだ。わかるけど、でも……っ、
「涼馬くんも、幸せになるべき人間でしょ⁉ あたしたち、何度も何度も生きるか死ぬかをいっしょに乗りこえてきてっ。あたしだってS組のみんなだって、涼馬くんのことが大事だ! いなくなられたら泣くよ! 自分が死んでも泣く人がいないなんて、そんなっ、仲間を信じないような、バカなこと言うなァ」
モグラはすぐそこだ。
ガレキの破片が顔をかすめる。
ななめにふり上げるツメの動きが、やたらとゆっくり目に映る。
「注意!」
あたしは叫んで、涼馬くんの胸ぐらをつかむ。
「風見涼馬、生きろ!! 二人で、ノドカ兄に会うんだよ!」
噛みつくように顔を近づける。
もう、あたしたちをなぐろうとするモグラのツメが、三メートル、二メートル?

涼馬くんの瞳は、あぜんとあたしを見つめたまま。
あたしも彼を見つめつづける。
頭の真上で、風がうなる。
「……了解」
つぶやいた瞬間、彼の瞳に燃えるような光がきらめいた。
その目がモグラの鼻づらとのキョリをはかり、上のハシゴへうつる。
彼はナイフをほうり捨て、あいた右腕で、あたしの腰をつかんだ。
「3!」
あたしも左腕を涼馬くんの背にまわす。
「2!」
それぞれ使える腕をふり上げ、
「「1!」」
おたがいを支えあい、全身をバネにして跳ねる!
突撃してきたモグラの鼻さきを間一髪でかわし、思いっきりふみつけた。
足のうらに、硬いゴムみたいな感触!
キュイイイッ!
脳みそを切りさくような悲鳴が上がる。
反動をつけ、そのままハシゴに向かってジャンプだ!
だけどやっぱり、あたしのほうが高さが低いっ。
涼馬くんの左手がハシゴをつかんだ。
あたしだけ、落ちる!?
ゾッとしたとたん、腰にまわった腕に支えられた。
でもあたしの体重を、今の涼馬くんがぶら下げられるワケないっ。
しかも、またモグラのツメが、あたしの真横からせまってくる!
「涼馬くんっ、耐えてぇ!」
「まかせろ!」
あたしは両脚を胸まで引きあげた。
ぐんっとかかった荷重に、涼馬くんがくぐもった声をもらしながらも、ハシゴもあたしもはなさずにいてくれる。
巨大なツメが、あたしの真下をかすめようとする。
ダンッ!
あたしは全体重で、上からツメをふみつけた!
反動でハネ上がったあたしは、右手でハシゴをつかむ。
そして逆に手をはなしかけた涼馬くんを、がしりと左腕で抱きとめる。
「よしっ!」
体勢を整えなおし、二人ともがっちりとハシゴをつかんだ。
体を動かしながらも頭は次のステップを――って、レク中はできなかったけど、こんなとこで成功した!
それでも安心してる場合じゃないっ。
はやく脱出しないと、モグラがまた反撃してく――、
ガラガラガラッ!
真下で、世界がぶっ壊れたかと思うほど、ハデな音がした。
モグラが地下坑に頭から突っこみ、吸いこまれるように、奈落へと落ちていく。
「……へっ?」
モグラの姿とともに、甲高い悲鳴は、穴の底のほうへ遠ざかっていって……。
ついに、聞こえなくなった。
「な、なに?」
あたしはぽかんとつぶやく。
涼馬くんもしばし無言で、静まりかえった穴を見つめる。
それから信じられないって顔で、息を吐いた。
「マメがあいつのツメをふんづけただろ。たぶんあれで、攻撃の軌道がそれたんだ。そのツメが鉄ごうしごと、ごっそりと地下坑の出入り口をえぐり取った」
「……で、勢い止まらず、落とし穴にハマっちゃったと」
モグラの自滅と言えば自滅だけど、ラ、ラッキィー……。
あたし、今さらぶわっと冷やアセが噴きだして、
「うわぁっ」
「バカ!」
手をすべらせて、まんまと穴に転落するところだった!
***
「平和だな……」
「外、まだこんなに明るかったんだねー……」
非常口のドームをはずし、やっとのことで外へ這いずりでてきたあたしたちは、二匹のくたびれきったモグラそのものだ。
ヘリコプターが青い空を横ぎって撤収していく。
山火事のほうは、もう落ちついたみたいだ。
鳥がのんきな歌をさえずりながら、真上を飛んでいく。
あお向けにひっくり返ったが最後、今度こそ、一歩だって動けない。
たぶんここって研究所の敷地の中だよね。
少し山寄りかもしれないけど、ここに転がってたらマズイかな。
研究所の人たちは怪しすぎる。
できたらS組の仲間たちに発見してもらいたいけどな。
「綾たち、無事かなぁ」
「リリコがいるんだから、問題ねーだろ」
「だよねぇ。うてなたちもきっと大丈夫だよね」
「モグラがこっちに来てたんだから、あいつらも問題ない」
あたしの不安を、涼馬くんはちくいち消してくれる。
ホッとするけど、頭を動かしてうなずく気力もない。
あの「こよみちゃん」ってコのことも、涼馬くんにいろいろ聞かなきゃだけど……。
視界もかすんできたし、不覚にも、ぎゅうううっとおなかが鳴った。
涼馬くんは目だけでこっちを見て、ふはっと笑う。
「腹がへるのは、生きてる証拠だな」
「……生きて還れたねぇ」
「うん。還ってきたな。いっしょに」
涼馬くんの右手が、あたしの左手をにぎる力を強くする。
そういえば、ずっとつないだままだった。
だけどほどくのはもったいなくて、気づかないフリをしちゃう。
だって、あったかいんだ。涼馬くんの手。
それに大きくてしっかりしてる、男子の手だなぁ。
なんか、ノドカ兄の手みたい。
「……ノドカ兄」
考えたことが、そのまま口から出ちゃった。
そしたら涼馬くんがわざわざこっちに顔を向けた。
「ノドカさんじゃない」
「そんなの知ってるよ」
ふへっと笑ったあたしに、彼はなんだかナットクいかないって顔。
それがちょっとかわいく見えちゃって、あたしはくすくす笑う。
「ねー、涼馬くん。あとでなに食べる? あたし、ナカムラ団子のおばあちゃんの、お団子がいい。あんこたっぷりかけてもらって」
「あー……いいな。おれ、みたらし。昼メシ、なに食ったか分かんねーようなのだったしな。なんだっけ、アホだかバカだか、」
「なんだっけねぇ、アホロートル……?」
「それウーパールーパーだろ。……食うなよ」
「くわないよ……」
おたがい意識がもうろうとして、なにを話してるんだか分かんなくなってきた。
でも、つないだボロボロの手は、どっちもはなさない。
マメ、ありがとう――って、涼馬くんの声が、耳もとに響いた気がする。
そして、あたしたちはおだやかな青空の下、気を失ってしまった。