KADOKAWA Group
ものがたり

【大ボリュームためしよみ】ソノリティ はじまりのうた #4


中学生5人のさわやかで甘ずっぱい青春を描く、『ソノリティ はじまりのうた』大ボリューム先行れんさいがスタート!
音楽や部活の物語、恋の物語が好きな人はチェックしてね♪


#4 密(ひそ)かなアイコンタクト

 誰もが知っているベートーヴェンの『運命』の最初のフレーズだった。
 騒然としていた教室が、一瞬で静まりかえった。みんなの視線がピアノ伴奏者の井川音心(そうる)のもとに、いっせいに吸い寄せられた。
 そのタイミングを見計らったように、音心は次のフレーズを続けた。
 ダ・ダ・ダ・ダーン。
 音心は、目に覆いかぶさるような前髪を振り払うと、一呼吸置いた。やがて両手を鍵盤の上にふわりと持ちあげると『運命』の続きを弾くわけではなく、合唱コンクールの自由曲『ソノリティ』の前奏を弾き出した。
 でも、それはいつもの伴奏ではなく、音心が気ままにアレンジした『ソノリティ』だった。音心の指は主旋律を奏でながら、鍵盤の上を跳躍し軽やかに動き回った。
 みんなあっけにとられて音心を見つめた。演奏が終わると、音心はさっきの自由自在な演奏とはうってかわって、お行儀良く学生ズボンの上にきちんと両手を置いた。
「すっげぇ。井川、めちゃうまいじゃん」
 岳が場違いな大声を上げると同時に、そこかしこで拍手が巻き起こった。
 確かにいつもの伴奏でもミスした記憶はないが、もともと伴奏曲自体が難しくはなかったので、こんなにピアノの腕があるとは誰も知らなかった。
「あいつ、ただのオタクかと思ってたよ」
 岳の発言は、馬鹿にしているのか褒めているのかよく分からなかったが、驚いていることだけは確かだった。
「お、おぅ」
 涼万(りょうま)はあいまいな返事をしながら、目をしばたたかせた。演奏のあいだ、早紀も食い入るように音心の演奏を注視していた。演奏が終わると音心は前髪の間から、上目づかいで早紀を見た。早紀の口もとがふっとゆるんだ。
 ふたりの密かなアイコンタクトを目撃して、涼万の喉奥がクッと詰まった。今度は急に喉がむずがゆくなってきて、咳払いをした。一度咳をすると、もっともっと喉がかゆくなって、咳が止まらなくなった。背中をまるくして咳きこんでいると、
「涼万、風邪か?」
 岳が涼万をうかがうようにのぞいた。
「い、いや。だい、じょぶ」
 咳の合間に、切れ切れに言葉をつないだ。
 最近ずっと、喉の調子がおかしい。少し風邪気味かも知れないが、それだけじゃない感じだ。これが、「声変わり」の前兆なのだろうか。もうすっかり低音が定着している岳に聞いてみたいような気もしたが、なんだか照れくさくて聞けない。
「ねぇねぇ、合唱の練習しようよ」
 音心の演奏に触発されたのか、今までだべっていた女子たちが急にやる気になった。
「男子たち、並んでー。岳も涼万も、早くっ!」
 クラスの仕切り役、女子バスケ部の金田晴美(はるみ)が張り切りだした。
「キンタ、うっせ~」
 岳が間髪いれずに返した。晴美はキンタと呼ばれている。
「はぁ? 時間ないんだから急いでよ」
 さっきまで自分もだべっていたのに、手のひらを返したような晴美の態度に、岳は涼万の方を向いて、
「涼万、マジだるくね? どっかばっくれる?」
 冗談とも本気とも取れない口調で言った。涼万が答えの代わりに微妙な笑みを浮かべると、岳は体を揺らし、気だるさを精一杯アピールして教室の前に向かって歩き始めた。
 涼万は内心ホッとした。本当は早足で行きたい気持ちすらあったけれど、岳のあとにだらだらと続いた。ふたりの様子につられるように、他のクラスメイトたちもようやく前に集まった。
 すでに授業時間は半ばを過ぎていたが、やっと合唱隊形に並んだ。涼万は一番後ろの列の真ん中あたりの位置だ。
「では、『ソノリティ』いきます」
 早紀が落ち着いた声で言った。さっきの「合唱隊形に並んでください」の澄み切った声ほどではなかったが、涼万の鼓膜はまた早紀の声に反応した。
 俺、なんで今日になって、水野の声が気になるんだろう。
 訳が分からなかった。


※実際の書籍と内容が一部変更になることがあります。

#5へつづく(2022年4月2日 7時公開予定)

♪もくじへ戻る


著者:佐藤 いつ子

定価
1,650円(本体1,500円+税)
発売日
サイズ
四六判
ISBN
9784041124109

紙の本を買う


おすすめ連載



この記事をシェアする

ページトップへ戻る