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16 ギブアップ・マラソン
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春馬と未奈、秀介とアリスは、蘭々に案内されて更衣室の前にやってきた。
「それじゃ、未奈、サイコロをふって」
蘭々が未奈に、手のひらサイズのサイコロをわたす。
サイコロの6つの面、すべてに『持久力』と書かれている。
「これ、ふっても意味ないんじゃない?」
未奈に言われて、蘭々はわざとらしく驚く。
「あぁ、そうか! 3回戦は、『持久力』で決まりだったわね。それじゃ、みんな、更衣室でスポーツウェアと、ランニングシューズに替えてきて」
蘭々が言うと、アリスが冷たい口調で言いかえす。
「3回戦は『持久力』と決まっているから、更衣室に連れてきたんでしょう。サイコロをわたすとか、無駄な演出はやめて」
「ごめんなさい。でも、こういう無駄というか、余裕がないと、Ⅲ区へはあがれないわよ」
蘭々が、いやみたっぷりに言った。
アリスは蘭々から顔をそむけて、女子更衣室に入っていく。
未奈も、女子更衣室に入っていく。
春馬と秀介は、男子の更衣室に入る。
男子の更衣室には、2人分の冬用のスポーツウェアとランニングシューズがおかれていた。
「……秀介、本当にぼくと戦うつもりなのか?」
春馬は、着替えながら秀介に聞いた。
「しょうがないだろう……。おまえが、ここにくるから、こうなったんだぞ」
秀介が、投げやりに言った。
「そんなことを言っても……。秀介が心配だったんだ」
「……他人の心配でこんなところまでくるなよ。お人よしだな」
「ごめん」
春馬があやまると、秀介はつらそうに言う。
「……本当は、春馬と戦いたくないよ」
「それなら、やめよう。今からでも遅くない。秀介が、家に帰りたいと言えば……」
春馬の言葉を、秀介がさえぎる。
「それはダメだ! この戦いは、運命なんだ」
「運命なんて言葉を使うなよ。運命なんて、存在しないよ。決められてることなんかない……ぼくたちは自分の生きたいように、自由に生きられるんだ」
「いいや、それはちがう。おれは、自由には生きられない」
「どうして、そう言い切るんだ?」
春馬が問いつめると、秀介は悲しい顔で言う。
「……言い方をかえよう。これは、使命だ」
「使命……」と春馬。
「そうだ。人には自分の幸せを追いかける生き方と、自分以外の他人の幸せのために生きる生き方があるんだ。おれは後者だ。おれは自分の幸せは捨てた。そして、まだ小さな子どもや、これから生まれてくる子どもたちが、暮らしやすい国を作るために生きるんだ。……そのために、ここにいるんだ」
「……秀介の考え方を、否定はしない。でも、それはもとの生活にもどって、できないのか?」
春馬が聞くと、秀介は首を横にふる。
「無理だ。おれのやりたいことを実現させるには、ここが一番なんだ。春馬もいっしょにやらないか。おまえが、『奈落』にきてくれたら、どれだけ力になるか……!」
秀介の言葉に、春馬は考えこむ。
「今のままだと、日本は10年後も20年後も変わらない。……いや、貧富の差は、今よりも広がる。そうなると、貧しい家に生まれた子は、どんなに才能があっても、努力をしても、貧しさからぬけ出せない。そんなおかしな世界を、おれたちで変えるんだ」
秀介は、熱のこもった声で言った。
「具体的には、なにをやるつもりだ?」
春馬が聞くと、秀介は「仲間になったら、教えてやるよ」と答えた。
「……言いたいことはわかった。でも、なにをやりたいのかがわからないし、こんなところに隠れていることには反対だ」
「そうか、どうやら、戦うしかないみたいだな。やっぱり、……運命かもしれないな」
秀介は、残念そうに言った。
女子の更衣室では、未奈とアリスが着替えていた。
「それ、どうしたの?」
未奈が、着替えているアリスの腕を見て言った。
アリスの腕には、たくさんの傷痕がある。
「これだけじゃないわよ」
アリスはシャツをめくって、背中を見せる。
「それ……」
未奈は、アリスの背中を見てがくぜんとした。
彼女の背中には、腕にある傷痕よりも大きな傷痕が無数にある。
「それって……親からつけられた傷?」
未奈が、おそるおそる聞いた。
「大人の中には、子どもを傷つけてストレスを発散したり、自分の力を主張しようとする人がいるの。わたしの父は、そういう人だった」
「そんな……」
「ひどいでしょう。でもね、ひどいのは父だけじゃないの。そんなひどい人でも、親というだけで、子どもは逃げられないの。わたしは何度も、まわりの大人に助けを求めた。何度も逃げようとした。でも、結局、父のもとにもどされた」
アリスの話に、未奈はくやしくて唇をかみしめる。
「『奈落』がなかったら、わたしは生きてないわ」
「……そうなんだ」
未奈がぼそっと言うと、アリスはめずらしく笑顔を見せる。
「でも、今は幸せよ。そして、目標ができた。わたしみたいな子どもを助けるの。それには、ここが必要よ。……未奈にも協力してほしい」
「それは……、ごめんなさい。今はできない。ここには残れないわ」
未奈が、力なく言った。
「そういうの、事なかれ主義って言うのよ」
アリスは、いつもの冷たい口調で言った。
着替えが終わった春馬たちは、蘭々に連れられて建物の奥にやってきた。
コンクリートの汚れた床、前に大きなドアがある。
「ハイハイハーイ、いよいよ3回戦よ。スポーツウェアとランニングシューズで、なにをやるかわかったと思うけど……」
蘭々が言うと、春馬が「マラソンか?」と聞いた。
「正解。でも、ただのマラソンじゃないわ。10キロの山道を走る、『ギブアップ・マラソン』よ」
「山道を、10キロも走るの?」
未奈が、あきれた顔で質問した。
「そうよ。それに、あいにく、この天気なの……」
蘭々はそう言うと、ドアを開けた。
外は、しんしんと雪が降っている。
裏口の正面には森があり、その手前に右へいく道と、左にいく道がある。
「それで? どういうコースを走るのか教えて」
アリスが、雪にまったく動じた様子もなく聞いた。
「ここを出たら、右の道を走っていくのよ。一本道なので、迷うことはないわ。ひたすら走っていくと、森を1周して、左の道に出てくるわ」
蘭々が説明した。
「雪の中、山道を走るのか!?」
春馬が、確認する。
「無理なら、ここでやめてもいいのよ。これは『ギブアップ・マラソン』。いつでも、ギブアップして」
そう言った蘭々の言葉に、春馬は違和感を覚えて質問する。
「『ギブアップ・マラソン』ってまさか、ギブアップするまで走らせるわけじゃないだろうな?」
「それも、正解。このマラソンは、ギブアップした人が負けで、最後の1人になるまで、同じコースを、何周も走りつづけるの。……と言っても、チーム戦だから、どちらかのチームの2人が、ギブアップしたら、それで終わりだけど」
蘭々が言うと、春馬たちは顔を見合わせた。
「雪の山道をひたすら走らせるなんて……無茶だわ」
未奈が怒る。
「だから、いやならギブアップすればいいのよ」
蘭々が、むっとした顔で言った。
「そんな……」
不満そうな顔の未奈に、アリスが声をかける。
「これは『絶体絶命ゲーム』よ。過酷なルールはあたりまえでしょう」
「まぁ、そうだけど……」
未奈は、頬を膨らませて言った。
「一応、聞くけど、ギブアップするときは、どうすればいいんだ?」
春馬が聞くと、蘭々はスマートウォッチを4つ出した。
「そうだった。これを左腕につけて」
蘭々はそう言うと、春馬たちにスマートウォッチを配る。
スマートウォッチのディスプレイには、現在地が表示されている。
「マラソンのコースは一本道で、迷うことはないはずだけど、もしものときのために、ナビが入っているわ。それと、ディスプレイをスワイプすると、『ギブアップ』と表示されるわ。それをタップすると、ギブアップしたことになるわ。そして、すぐに救助にいってあげる」
蘭々の説明を聞いて、春馬はディスプレイをスワイプしてみる。
ディスプレイに、『ギブアップ』と表示される。
「雪が強くなってきたみたいね。これなら、ギブアップしないと危険かもしれないわよ」
蘭々が、楽しそうに言った。
春馬が外に目をむけると、雪が激しくなっている。
「それなら、早く3回戦をはじめなさいよ」
「わかったわ。それじゃ、みんな、外に出て裏口の前にならびなさい!」
蘭々が命令口調で言った。
春馬、未奈、秀介、アリスは、外に出て1列にならぶ。
寒いはずなのに、4人は態度に出さない。
「それでは、3回戦をはじめます。よ──い………………、
スタ────────────ト!」
蘭々のかけ声と同時に、春馬、秀介、未奈、アリスが右の道を駆けていく。
道は、上り坂になっている。
春馬が走りだすと、秀介がうしろにつき、未奈とアリスがそれにつづく。
風と雪が、春馬にあたる。
「春馬、風よけになってくれて、ありがとうな」
秀介が、うしろから声をかけた。
「風よけか、ぜんぜん、かまわないよ。それよりも、秀介の右足は大丈夫なのか?」
走りながら春馬が、秀介に声をかけた。
「おまえに折られた右足の骨なら、痛くもかゆくもないよ」
秀介が強がりを言った。
「瀬々兄弟とのフットサル対決でも、痛めたんじゃないのか?」
春馬が言うと、秀介がむっとして言いかえす。
「これは、絶体絶命ゲームなんだぞ。自分が勝つことだけを考えろよ!」
「本当に心配しているから、言ってるんだ!」
春馬も、むきになって言いかえした。
「ぜんぜん、平気なんだよ。証明してやるよ!」
秀介は言い捨てると、春馬を追いこしていく。
「おい、無茶はするな」
春馬が追いかけるが、秀介は全速力で走っていく。
秀介が先頭を走り、そのうしろを春馬、少し遅れて未奈とアリスが駆けていく。
雪は、どんどん強くなってくる。
前を走る秀介の背中が、ふきつける雪でかすんで見える。
「春馬、どこにいるの!」
後方から、未奈の声が聞こえてきた。
春馬は足を止めて、うしろを見た。
激しく降る雪のむこうに、未奈とアリスらしき姿が見える。
「この雪じゃ、マラソンどころじゃないな!」
春馬は引きかえす。
ハァ、ハァ、ハァ……
春馬は息を切らして、未奈とアリスのところに駆けもどる。
未奈とアリスは、ならんで歩いている。
「大丈夫かい?」
春馬が声をかけると、未奈がうなずく。
「こ、これって、ゲーム中止にしないの?」
未奈が、くるしそうに言った。
「普通の大会なら、そうだけど……」と春馬。
「『絶体絶命ゲーム』に中止はないわ」
そう言ったアリスは、雪道をしっかりした足取りで歩いている。
「でも、このままだと……、あたしたち、遭難するわよ」
未奈が言うと、春馬が「そうだな」とうなずく。
「それでも、中止にはならない。最後まで、『ギブアップ』しない者が、勝ちよ」
アリスはそう言うと、激しく降る雪の中をひたすら歩いていく。
「そこまでして、ここにいたいのか!?」
春馬が、叫ぶように言った。
「弟がいるの……」
アリスの言葉に、未奈ははっとする。
「わたしは弟をおいて、1人で逃げてきた……」
「弟は、無事なの?」
未奈が、心配で聞いた。
「わたしが家を出たことがショックで、父は暴力をふるわなくなったみたい。でも、それもいつまでもつか……」
「そうなんだ」
未奈は、神妙な声で言った。
「これが、この国の現状よ。この国は、だれかが変えないとならないの……。そのために、わたしや秀介は命をかけるの……。わたしたちよりも小さな子どもや、これから生まれてくる子どものために、生きやすい国を作るために、だれかががんばらないとならないの……」
アリスはそう言うと、ただ前を向いて歩いていく。
春馬と未奈は、なにも言いかえせない。
雪は、どんどん強くなってくる。
あたりが真っ白で、なにも見えない。
「困ったな、これはホワイトアウトだ」
春馬はそう言うと、スマートウォッチに目をむける。
ディスプレイに、進む方向が矢印で示されている。
「……これを見て、歩くしかないようだ」
春馬と未奈は、ならんで歩く。
少し前を歩くアリスの背中が、黒い影のようにしか見えない。
春馬と未奈、アリスは、激しく降る雪の中をひたすら歩いていく。
「秀介!」
前方から、アリスの悲鳴が聞こえてきた。
「どうした!?」
春馬はそう言うと、未奈といっしょに駆けだす。
雪の中、秀介が埋もれるように倒れている。
その横で、アリスが秀介に積もった雪を必死ではらっている。
「秀介、大丈夫か!」
春馬が、秀介に駆けよる。
「心配いらねぇ、すべってころんだだけだ」
秀介が強がりを言う。
「もうやめよう! ギブアップしよう!」
春馬が言うが、秀介は首を横にふる。
「おれは、絶対にギブアップしない!」
「それなら、ぼくがギブアップする。そして助けを呼んでくる!」
春馬が、スマートウォッチを操作しようとする。
「やめろ!」
「おれのためにギブアップするなんて……そんな、お人好しはやめろ!」
「そうじゃない。秀介の命を守るためだ!」
「春馬は、わかってない! この世界には、命よりも大切なものがあるんだ。そのためには前に進まないとならないんだ」
秀介は、介抱している春馬とアリスをふりほどいて、歩きだす。
「……この国を変えるために、おれは進むんだ」
雪の中、秀介は必死に歩いていこうとする。
「もうやめよう! 命より大切なものなんて、ないんだ!」
春馬は叫ぶと、秀介のあとを追う。
「ある! ……こころざしだよ。命があっても、むかう先がないと、生きている意味はない」
秀介の言葉に、春馬ははっとなる。
「……」
春馬の足がとまるが、秀介はどんどん歩いていく。
強い風と雪で、まわりが見えなくなる。
すべてが白くなる。
春馬の意識が、遠のいていく。
なにか、体が冷たいぞ。
ぼくは、倒れたのか?
ふいに、春馬の体が浮いた。
「えっ!?」
だれかが、春馬の体を持ちあげたのだ。
「このままだと、命はないよ」
聞こえてきたのは、鏡一の声だ。
春馬が目を開くと、ダウンジャケットを着た鏡一がいる。
鏡一は、未奈を抱きかかえていて、大器はアリスに肩をかしている。
春馬を抱きあげているのは、晩成だ。
「うわぁ!」
驚いた春馬を、「動くなよ。落とすぞ!」と晩成がおどかす。
「しゅ、秀介は……?」
春馬が、気持ちを切りかえて聞いた。
「心配するな」
鏡一が、笑顔で言った。
春馬が前を見ると、ユウヤが気を失った秀介を抱えている。
「みんな、無事ですね。もどりましょう!」
ユウヤが、力強く言った。