14 安心安全・誘導作戦!
「みんな、大きな荷物は置いて、動物園から避難してくださーい!」
「ここからだと、裏門が近いです。この道をまっすぐ行って、動物医療センターで左に曲がってください!」
クリスは、健太の大声に続けて、声を張りあげた。
今ははずかしいなんて言っている場合じゃない。一人でも多くの人の避難を手伝うときだ。
わたしと健太の担当は、避難の呼びかけと、ゾウの飼育員さがし。
まず、避難の呼びかけ。放送の機材が壊れた今、動物園のスタッフだけでは人が足りない。
事前にマップをよく見てきてよかった。どこにいても、出口まですぐに案内できる。
そして──もう一つの大事な担当。
これ以上の被害を防ぐため、ゾウ舎の飼育員を見つけたら、風早くんが追っているゾウのところまで連れていく!
「そっちはどうだ!?」「だいじょうぶです。オリしまってます!」
たくさんの人が逃げるなか、避難を呼びかけたり、動物のオリのカギがかかっているか確認したりする飼育員も見かけるが、ゾウのエサやりのときに見かけた飼育員はいない。
違う場所にいるのかな。早く見つけないと!
「ふえぇっ、こわいよ。行きたくないよぉ」
「ほら、泣かないで。だいじょうぶよ」「お父さんとお母さんがいるから、ね?」
走りだそうとしたとき、すぐそばから泣き声が聞こえてきた。
お父さんとお母さん、そして、小さな女の子の家族連れだ。両親がベビーカーを置いて、抱っこして連れていこうとするけれど、女の子は泣きじゃくって抵抗している。
……どうしよう。何か声をかけたほうがいいかな?
でも、知らない人が突然話しかけたら、もっとびっくりさせちゃうかも──。
「ガオ、こんにちは!」
そのとき、健太が──正しくは、健太が手にはめた腹話術のぬいぐるみが、女の子の前に飛びだした。
黄色いパーカーを着た、子どものライオンのぬいぐるみだ。
健太がニコニコしながら手を動かすと、ライオンは、さっと手をあげてあいさつをした。
「ぼくはライオンのケンタ! はじめまして。君のお名前は?」
「……わたし、ゆい……」
「ゆいちゃん、ステキな名前だね! 大騒ぎになって、びっくりしてるのかな? でも、だいじょうぶ。動物園のスタッフさんに、お父さんにお母さん、それに、ぼくもついてるよ」
健太が、子ライオンにドンッと胸をたたかせた。
「今は、ゆいちゃんと同じで動物さんたちもびっくりしてるんだ。だから、お父さんとお母さんといっしょに、門に行ってね。だいじょうぶ、ぼくもいっしょに行くよ」
「ライオンさんも?」
「うん」
健太はうなずくと、ライオンのぬいぐるみを手から外して、女の子に、ぎゅっとにぎらせた。
「出口まで、ずっとケンタがついていくからね。気をつけて行ってきて!」
「……うん!」
女の子が、ぎゅっとライオンを抱きしめながら、元気に返事する。
すごい。ついさっきまで泣いていたのに、もう笑ってる!
「本当に、ありがとうございます!」「助かりました。さあ、唯、行こう」
両親が健太に頭を下げながら、女の子を抱きあげて連れていく。
クリスは、うれしそうに手を振る健太を見て、思わず言った。
「健太、すごいね。あんなことが自然にできるなんて……」
「えへへ。ほら、尚也や菜々花にもよくやるから、慣れてるんだ」
迷子になった二人を見つけたときとかね、と健太がつけたした。
「いつも見つかるまで、ずっと心配でドキドキして、ぼくも泣きそうになっちゃって。だから、春奈ちゃんを心配するすみれの気持ち、ちょっとわかるんだ」
健太が、ぬいぐるみを外した手をぎゅっとにぎった。
「尚也や菜々花みたいに、春奈ちゃんも、すみれに見つけてもらったら、ほっとするんじゃないかな。そのためにも、他の人は、ぼくたちで助けてあげないとね!」
「……うん」
春奈ちゃんは、どこかですみれが来るのを待ってるかもしれない。
大事な姉妹が──助けに来てくれるのを。
クリスは、きりっと顔を上げる。
一刻も早くみんなを避難させて、ゾウの暴走を止めなくちゃ。
すみれが、春奈ちゃんを安心してさがせるようにするためにも!
「みなさん、裏門から避難してください。ころばないように気をつけて!」
声を張りあげながら、飼育員にも目を走らせる。
避難で人が減ったからか、さっきより飼育員をさがしやすい。
肩にぬいつけてある担当動物のワッペンが、はっきり見えた。
キリンに、クマに、ゴリラに──。
「あっ、ゾウのワッペン!」
しかも、エサやりのとき、わたしにバケツを渡してくれた人!
クリスはさっと向きを変えると、ゾウの飼育員に駆けよった。
「すみません。ゾウの飼育員さんですよね!? じつは、友だちが、今、ゾウのそばにいて。飼育員さんのほうで、ゾウの暴走を止められませんか!?」
「なんだって!? それは危ない! すぐ案内してくれるかな。ゾウを戻せないかだけでも、試してみよう」
ほっ、よかった。
クリスは、スマホを出すと、和馬からの最新のメッセージを確認した。
「今、ゾウはサル山のそばにいるそうです。友だちもいるので、いっしょに行きましょう!」
クリスは、健太と飼育員と、通路を走りはじめる。
そうだ。この間に、少しなら聞いてもいいかな?
「飼育員さん、今、動物園の中はどういう状態なんですか?」
「今は、来園者を避難させながら、情報を集めているところだよ。幸い、まだケガ人はいない。でも、ペンギンやトラなんかのオリが壊れたという話もあって」
「えっ、トラまで!?」
そんな。みんな、どうか無事でいて!
「でも、どうしてゾウは逃げだしたんですか? もしかして……古くなったオリが壊れて?」
「まさか! ゾウが脱走したと聞いて、あわてて確認に戻ったけど、オリに問題はなかったよ。ただ、なぜかバックヤードのカギが壊れていて、そこから逃げたみたいだった」
飼育員は、申し訳なさそうに言った。
「いつもドアもカギも何度も確認してる。こんなこと、起こるはずないんだけど」
じゃあ、ゾウが脱走した理由は、飼育員にも心当たりがないってこと?
「でも、だいじょうぶだよ。そろそろ出入り口に警察が到着しているから、避難ももっと進むはずだ。動物を取りおさえるための準備も進んでいるし」
「クリスちゃん、飼育員さん。前!」
「え?」
健太の悲鳴に、あわてて立ちどまる。
通路の真ん中に、太い縄が一本落ちている。茶色い、まだら模様の縄だ。
近づこうとした瞬間、縄の端が、くんと高く持ちあがって、ちろりと舌が出た。
縄じゃない……これ、ヘビだわ!
「あぶない!」
飼育員が、クリスをヘビから引きはなした。
「あれは、ニホンマムシだ! は虫類館から逃げてきたのか。かまれると、毒で大変なことになる。逆方向から回りこむしかないな」
「でも、そうしたら、すごく遠まわりになりますよね? 大きな鳥舎をぐるりと回らないと──」
せっかくここまで来たのに。もうすぐそこにゾウがいるのに!
なんとかできないかな──そういえば、下調べしたときヘビについても読んだ。
ヘビに出会ったら、まず動きを止める。
ヘビが跳ぶ距離は、ヘビの体長の半分から三分の二と言われてる。一・五メートルくらいはなれれば、飛びつかれる心配はほとんどない。
あとはヘビが逃げるのを待つ。
──だけなんだけど。
クリスは三つ編みをほどいて眼鏡を外すと、ヘビをじっと見下ろす。緊張で足が震えたものの、力を入れてなんとか踏みとどまった。
動物相手に通じるのかわからないけど──。
すみれのために!
一番迫力を出せるときって、いつだろう。
……そうだ。お兄ちゃんにひどいことをされて、頭に来たとき!
さわさわと、髪の毛が逆立つのを感じる。
目を細めて、そのぶん、ひとみに力をこめる。
「ジャマしないで──ここを通しなさい!」
ひとみを合わせて鋭くにらみつけた瞬間、ヘビが動揺したように、首を揺らした。
ヘビは、しばらくクリスの目を見ていたかと思うと、頭を少しずつ下ろして後ろへすべりはじめる。そして、まるで波が引くみたいに、は虫類館のほうへと消えた。
「……ふう」
よかった、ヘビが引いてくれて。これで、まっすぐゾウのもとへ行けるわ。
「健太、行きましょう……健太?」
眼鏡をかけながら振りむくと、健太と飼育員がクリスを見つめたまま完全に固まっていた。
「き、きみ、日野クリスちゃんだったんだ。あの、有名人の……」
「クリスちゃんの迫力って、ヘビさんにも通じるんだねえ……」
「あっ!」
そういえば、見られてたんだ。急にはずかしくなってきた!
クリスは真っ赤になった顔を眼鏡でかくしながら、小さく肩をすくめた。
「わ、わたし、夢中で……お願いっ、今すぐ忘れて!」
「ええっ!? だいじょうぶだよ、クリスちゃん。すごくカッコよかったから!」
「あっ、サル山の先に鼻が見えるぞ。間違いない。サブロー、サブロー!」
飼育員が近づくと、ゾウのサブローがゆっくりと振りむく。高く鼻を上げたものの、落ちついたようすで、興奮したり走りだしたりする気配はない。
よかった。これならオリに戻せそう。
徳川くんやすみれも、少しは動きやすくなるね。
「二人は……春奈ちゃんを見つけられるかな?」
ううん。きっと、だいじょうぶ。
クリスはスマホに思いを込めてメッセージを打つと、飼育員と健太のあとを追って、髪を押さえながら走りだしたのだった。