13 二つの守るもの
そこかしこから、大きな物が倒れたり、きしんだりする音がする。
その合間に、動物と人の叫び声が響きわたる。パニックの始まりだ。
「……収拾がつかなくなっているな」
一番大きな音が聞こえるほうへ走りながら、和馬は、あたりを見まわした。
三ツ谷小のみんなだけじゃない。若い人からお年寄りまで、二か所ある動物園の出入り口のほうへ、逃げようとしている。
「……すごい人だな。広めの通路でも、避難するにはギリギリか」
高い木にそって角を曲がった瞬間、大きな何かとぶつかりかけて、反射的に動きを止める。
目の前をギリギリで通りすぎたのは、白と黒のシマウマだ。高らかにひづめの音を響かせ、和馬には見むきもせずに走っていく。
……思った以上に、動物が脱走しているみたいだな。
内心でつぶやく間にも、その後ろに、しなやかな動きでカワウソが続く。
バイソンにリス。テナガザルに、キツネザル。
「あの、あわい茶色のげっ歯類は、プレーリードッグか? それに──ネコまでいるのか」
体にシマの入った耳の太い──ツシマヤマネコ。
「アイ!?」
「オアァン!」
名前を呼んだ瞬間、動物の列から飛びだしたアイが、和馬の胸に飛びついた。
丸いひとみに、太いしっぽ。
グルグルとのどを鳴らす姿は、間違いなくアイだ。
「獣医師の人たちが、騒動でカギをかけそこねたのか? オレが見つけたからよかったが──」
いや、この広い動物園で偶然はない。ということは、オレのにおいを追ってきたのか。
すぐに、医療センターに連れもどすべきだが……そうする時間はない。
しかたなく肩に乗せてやると、アイが楽しそうに肩を行き来する。
「……家に帰る前に、少しつきあってくれるか」
「アウッ」
いい返事だ。
アイと、目の前のゾウ舎へつながる道を見わたす。
──オレの担当は、二つ。
一つは、ゾウの追跡。ゾウの現在地を確認して、最新情報をみんなに届けること。
そしてもう一つは、ゾウが脱走して起こす被害を、最小限に食いとめること。
「……破壊されたオリから脱走した動物を、一匹でも多く守る!」
軽くひざを曲げると、体のバネを使って高く跳ぶ。みんな自分のことに精一杯で、宙を舞う和馬たちに気づかない。
そのまま、近くにあったなかで一番高い木の上に着地すると、あたりを見下ろす。
通路には、避難した人たちが置いていった大きなバッグや落とし物が散乱している。
けれど、今、探しているのは動くものだ。
物を倒す大きな音で、一番の目当てのものはすぐ見つかった。
──ゾウの頭。
サイ舎の前。そこから、大型動物が集まった一角へと突進している。
「……行くぞ」
ヒュッ
逃げまどう人々と動物の上を飛びこえ、オリを渡って一気にゾウへ近づいていく。
ガシャン!
たどりつく前に、ゾウがキリン舎の柵に体当たりして、太い金属の金具が外れる。突然の事態に驚きながらも、キリンが新たにできた出口に近づいた。
「──止める!」
和馬はオリの上から飛びおりると、壊された柵のすぐ前に着地する。
奥から、土をけりながら、キリンが駆けてくる。
かかとの位置が高い。
すばやく足を振るために有利な、独特な足だ。
長い首に目が行きがちだが、体も大きい。外に出れば混乱はまぬがれない。
動揺しているのは、人間だけじゃない。ここにいる動物たちも同じだ。
「人も、動物も守る──絶対に!」
スッ──
上着から出した縄を、柵の支柱に向かって投げ、一瞬で結びつける。
そのまま、柵の壊れた部分を覆うように、反対側の支柱に縄をするりとからませた。
一周、二周、三周──何重にも重ねて、縄を張りめぐらしていく。
この縄は、風早家の特製で、オレが日々手入れしている重要な道具の一つだ。
巨大なキリンでも、これだけ何重にもしてふさげば──!
「アウッ!」
来た!
「くっ!」
キリンが接触する直前、和馬は後ろにジャンプして距離を取る。
外へ出ようとしていたキリンは、和馬が張りめぐらせたロープに当たると、やわらかく弾かれるようにして柵の内側に後ずさった。
──よし。これで、キリンの脱走は防げたか。
「次は──」
「アオォオン!」
アイが、通路を挟んで奥の建物に向かって、鋭く鳴く。
建物の出入り口の看板に書かれている動物の名前は──。
クマ!?
「放置はできないな」
顔をしかめながら、設備に目を走らせる。
柵は壊れていないものの、外へつながるドアのカギの部分がボロボロに壊れている。興味を持ったクマが手で押すと、ドアがキイィという音を立てながら開きかけた。
マズい!
考える前に体が反応して、とっさに手からワイヤーを放つ。鋭く宙を飛んだワイヤーは、ドアと柵の金具にくるくると巻きつき、クマが押しひらきかけたドアを一瞬で固定した。
「……はあっ。想像以上に、忙しい担当だな」
とはいえ、文句を言っていてもしかたない。
妹を追った五井のためにも、ここは一人と一匹でやりきるしかない。
和馬は、ゾウの後を追うように、壊されたオリをつぎつぎに固定していく。
バイソン、ゴリラ、バク──。
パオオオォオオン
ゾウは動きすぎて疲れたのか、野鳥ゾーンにある浅い池に、足をひたして遊びはじめた。
「……ふう。これで、当面の大きな危険は防げたか?」
ゾウが休んでいる今のうちに、アイを動物医療センターに戻さないと──。
「ミャッ!」
「!?」
耳元で大きな鳴き声が聞こえたと思った瞬間、アイが一目散に走りだす。すぐに後を追うと、少し進んだ道の先に、男子大学生の三人グループが見えた。
……何をしているんだ?
よく見ると、建物の角で、逃げ道をふさがれたプレーリードッグが丸まって震えている。
大学生のうちの一人が、動かないのをいいことに、じりじりと近づいた。
「うわ、こんな近くで初めて見た! せっかくだから触ってみようぜ」
「えっ、だいじょうぶかよ」「かみつかれないか?」
「だいじょうぶだって、ちょっと触るだけだろ。せっかくだから、レアな写真でも撮ろうぜ」
……愚かだな。
アイは足を止めることなく、大学生三人に向かって駆けていく。
あれを、どうにかしたいということか。
光一からの指示には入っていないが──人から動物を守ることも、オレの担当だろう。
ちらりと、振りむいたアイと目が合う。
言葉は通じなくても、やりたいことは一瞬で伝わった。
「……やるぞ」
「アオン!」
できるだけ、プレーリードッグから遠い位置をねらって──!
シュッ
パパン パン!
大学生たちの背後に、特製の煙玉を放つ。地面にぶつかって弾けた玉から、もくもくと煙が上がりはじめると、腰が引けていた二人がビクッと肩を震わせた。
「なんだ、この煙。火事か!?」「おれ、もう行くから!」
「あっ、待てよ!」
二人があっという間に逃げさって、触ろうとしていた一人だけが煙の中に取りのこされる。
その瞬間、アイが大学生の背後から勢いよく飛びかかり、両手を首のあたりに食いこませる。
同時に、和馬は大学生の背後から肩に自分の両手を置き、ぐっと下に体重をかけた。
「うわっ、うわああっ、なんだ!? 重いっ。この、外れない!」
「ウウウ、アウウウッ!」
アイが、本気の気迫を込めて威嚇の鳴き声をあげると、大学生はぴたりと動きを止めた。
「うっ、後ろに何か! ……もしかして動物? この重さに……何よりこの鳴き声!」
──アイ、今だ!
「ウウウウ、グルルル
グアウッ グアアアッ!」
「う、うわあっ、これ、トッ、トラ!?」
トラ──と同じネコ科には違いないな。
「グアウッ!」
「ひいぃっっっっ! 死ぬ、死ぬ死ぬ! トラが、トラが~~~~!」
和馬が手をはなすと、大学生は煙の中を一目散に逃げていく。
「……これに懲りて、動物相手でも、嫌がられることはやめるんだな」
……トラがトラウマになる点には、やや同情するが。
「アオォン!」
胸元に戻ってきたアイが、和馬に賛成するように高らかにほえる。
プレーリードッグをオリに入れ、ほおをなめてくるアイの背中をなでていると、池でくつろいでいたゾウが、また動きはじめようとしていた。
──まだもう少し、気が抜けないな。
「他のみんなも、うまくいっているといいが」