17 瞳の中に見えたもの
「どうだった?」
コインパーキングで車に乗るなり、レイラ先輩にたずねられる。
「はい。私たちがかわいがっていたウサギでした」
「ほんと!? うわ、すごい!」
こんな偶然あるんだね、とレイラ先輩はとてもうれしそうだった。
「まさか、あたしの絵日記がこんなことに役立つなんてね。描いていて、よかったよ」
「あのおうちの方とお話ししたんですけど、レイラ先輩のことを覚えているみたいでしたよ」
私が言うと、レイラ先輩は目を丸くした。
「え、ウソ!? あたしも行けばよかったなあ」
「ここなら学校帰りにでも歩いて来られるし、今度いっしょに会いにいきましょうか」
瀧島君の提案に、「いいね、そうしよう!」と楽しげに答えるレイラ先輩。
バックミラーに映る田中さんの目も、うれしそうに細められた。
中学校の近くまで戻ってくる。すると、瀧島君が小声で話しかけてきた。
「如月さんがよければ、少しいっしょに歩きたいんだけど、いいかな」
「え? あ、うん!」
「すみません、田中さん。あの先の角のところで降ろしていただけませんか」
わかりましたと答える田中さんの横で、レイラ先輩がちらりとこっちを見てほほえんだ。
そのとき、急に思い出す。
──きっと、何か考えてくれてるはず。明日が楽しみだね、ミウミウ!
昨日の夜、レイラ先輩に言われた言葉だ。
(そうだ。今日、ホワイトデーだったよね……)
もしかして。瀧島君、本当に何か、考えてくれてる……のかな?
車を降りて、レイラ先輩と田中さんにお礼を言うと、瀧島君と二人だけになった。
急に、胸がドキドキしてくる。
(新学期までに……なんて、宣言しちゃったけど……)
あのときは、ちょっと気が大きくなってたかもしれない。
こんな調子で、私、瀧島君に告白なんてできるのかな。
「芸術祭に出す絵、決まってよかったね」
歩き出してすぐ、瀧島君に言われる。
「うん。思い出の中のみゅーちゃんじゃなくて、今日会ったミクルちゃんのことを描こうと思う。今日のこと、すごく大事な思い出になるはずだから」
「本当にそうだね。完成が楽しみだな」
目の前に広がる青空をながめる。昨日に続き、今日も気持ちのいい春空だ。
「……これで、力を失ったことになるのかな」
私の言葉に、瀧島君がはっとこちらを見た。
「そんな感じ、する? 咲田先輩みたいな、『もう見える気がしない』っていう……」
聞かれて、静かに首をふる。
「わからない。もう見えないかもしれないと思えば、そうかもって思うけど……また見えるんじゃないかって感じも、普通にあるの」
「そうか……」
瀧島君が、残念そうにうつむいた。
「だけどね。ミクルちゃんと会って、元気に生きてる姿を見たら、すっと胸が軽くなった気がしたんだ。ずっと胸の中にあった重たいものが、消えた感じっていうか。なんだか、生まれ変わったような気持ちがする」
「それじゃあ……恐怖感は、消えた? 『自分のせいでひどいことが起こる』っていう、思いこみも」
少し不安げな瀧島君の声に、私はだまって彼を見つめた。そうして、大きくうなずく。
「うん。私、この一日で、すごく変われた気がする」
怖さは、完全にはなくならないけれど。
ミクルちゃんと会ったことで、私の心の中の冷えて固まっていた部分が、ゆっくりと溶けていっているような気がするんだ。
私はずっと、自分を許せなかったんだと思う。
だけど、ミクルちゃん──みゅーちゃんは、今日、私のことを許してくれたのかもしれない。
苦しむことなんかなかったんだよって、あの優しい瞳で、私に伝えてくれたんだ。
「新しい未来に向かって、進んでいけそう?」
瀧島君に聞かれ、すぐさまうなずく。
「うん。もちろんだよ」
そうか、と瀧島君はうれしそうにほほえんだ。
(あれ? そういえば……)
未来、という言葉で思い出す。
瀧島君、「望む未来のために、サキヨミの力を手放すと決めた」って言ってたけど。
彼はまだ、力を失ってはいない……んだよね?
瀧島君の恐怖感って、いったい何なんだろう。
私が力を失ったかもしれない今、聞いてみれば、教えてもらえるのかな。
「ねえ、瀧島君。前に瀧島君が言ってた、『望む未来』のことだけど……」
そこまで言ったとき、背後から近づいてきていたバイクの音が、私の声をさえぎった。
「美羽サーン!」
呼ばれてふりかえったとたん、ドキッと胸が大きく鳴った。
バイクで近づいてきたのは、瀧島君のお姉さんのヒナノさんだった。
「事件のこと、さっき聞いておどろきマシタ。ケガはないデスか?」
「あっ……はい! 大丈夫です!」
ヘルメットのシールドごしに、ヒナノさんが目を細めるのがわかった。
「しばらく友達の家に泊まるって聞いてたけど」
瀧島君の言葉に、「ノンノン」と指をふるヒナノさん。
「弟の緊急事態とあっては、ゲーム合宿などしていられまセン。今日は家族でゆっくり過ごすのデス。美羽サンもいっしょにどうデス?」
「ムリを言うな。如月さんだって、ご両親が心配してるよ」
「あっ、それもそうデスね。それじゃ、ひとあし先に家で待ってマスから。美羽サンもお気をつけて!」
そう言うと、ヒナノさんはさっそうと去っていった。
まだドキドキしている胸を、そっと押さえる。
ヒナノさんの姿を見たとたん、頭の中で、記憶が鮮明によみがえった。
去年の年末。とつぜん現れたお父さんに、瀧島君は車で連れていかれてしまった。
その後現れたのが、バイクに乗ったヒナノさんだった。
あのときの、世界がひっくり返ってしまったような恐怖感。それを思い出して、すごく怖くなってしまったんだ。
あれは、私がそれまでに味わったことがないくらい、大きな恐怖感だった。
(恐怖感……)
そのとき。
頭の中に、ぱっと閃光が走った。
とつぜんひらめいた考えに、指が震える。
私の、サキヨミの力。
その源である恐怖感は、「自分のせいでひどいことが起こる」ことに対するもの──じゃ、ない。
私はずっと、人の顔を見るのを避けてきた。サキヨミを見たくないからだ。
そして同時に、人と関わることも避けてきた。サキヨミを無視できなくなってしまうかもしれないことが、怖かったからだ。
だけど、それだけじゃない。
私は……「大事な存在を失うこと」が、怖かったんだ。
みゅーちゃんのような大事な存在が、とつぜんいなくなってしまうことが怖かった。
だからずっと、大事な存在を作らないようにしてきたんだ。
(でも……)
ゆっくりと、瀧島君に目を向ける。
私には、いつの間にか、できてしまっていた。
絶対に失いたくない、「大事な存在」が。
近くにいれば、何も怖くない。そう思っていたけど、それは微妙に違う。
近くにいるからこそ、離れること……失うことが、怖くなるんだ。
私たちは、大丈夫。花火をしたとき、そう思えたはずなのに。
瀧島君との時間や思い出が増えていけばいくほど、私の中で彼の存在は大きくなっていく。
同時に、彼を失ったときに私の中にできる穴も、どんどん大きくなっていくんだ。
瀧島君といっしょにいられる安心感やうれしさで、見えにくくなっていたけれど。
私の中の恐怖感は、なくなるどころか、きっと今も大きくなり続けている。
(そうだ。私は、まだ力を失っていない)
本当に失うために、必要なことは──……
二人でならんで歩き、すぐにいつものT字路までたどりつく。
私の胸には、ある決意がたぎっていた。
──伝えよう。私の恐怖の正体と、瀧島君への気持ちを。
力を失うために、必要なこと。
それは、大事な存在を失うかもしれないという恐怖を克服することだ。
そのためには、「瀧島君とずっといっしょにいられる」という強い確信が必要になる。
つまり、それは……「瀧島君といっしょに生きていく」ということ。
「家まで送っていこうか」
「えっ? あ、大丈夫! ここで、平気!」
そう言って立ち止まり、瀧島君のほうに体を向ける。
その瞬間、鼓動がさらに激しくなるのがわかった。
でも、言うんだ。
瀧島君のことが好きだって。ずっといっしょにいたいって。
(よし! 言うぞ……!)
「た……」
「如月さんに、渡したいものがあるんだ」
口を開いた瞬間、瀧島君の声が重なった。
バッグに目を落としている彼は、私が何かを言いかけたことに気づいていないらしい。
(い、いきなり失敗した……!)
でも、まだチャンスはある。
別れぎわに、「伝えたいことがある」って言って、引き止めればいい。
そうしたら、たどたどしくても、まとまっていなくてもいいから、私の気持ちをひとつずつ、言葉にして伝えるんだ。
「これ。ホワイトデーのお返しだよ」
「えっ?」
瀧島君に差し出されたのは、リボンのかけられたかわいい箱だった。
「マカロンの意味は特別な人」──昨日の夕実ちゃんの言葉が、急に脳裏に浮かぶ。
「あっ、ありがとう! ちなみにその、これって……」
「バウムクーヘンだよ。お口に合えばいいけど」
「そ、そうなんだ! うれしい。本当に、ありがとう」
バウムクーヘン……って、どういう意味なんだろう。
昨日、夕実ちゃんにもっと詳しく聞いておけばよかった……!
「それで……話したいことがあるんだ。僕の力のことと、『望む未来』についてなんだけど」
そう言うと、瀧島君は私に一歩近づいた。
(え……)
息がかかりそうな距離に、瀧島君の顔があった。
もうこれ以上速くならないだろうと思っていた鼓動が、さらに駆け足になる。
瀧島君の茶色い瞳が、じっと私を見つめている。
私の中にあった決意は、いつの間にか期待に変わっていた。
瀧島君が、これから言おうとしていること。
私が、瀧島君に伝えようとしていること。
その二つが、実は同じなんじゃないか……って。そういう期待に。
(そんなの、都合が良すぎる? でも……)
わずかに聞こえる瀧島君の呼吸音が、緊張に震えているように感じられた。
彼の言葉を待ちながら、茶色い瞳を見つめ返す。
その瞳には、不安と期待の入り交じった、私の顔が映っていた。
ノイズの音がしたのは、そのときだった。
瀧島君の瞳に映る私の顔が、おどろきの表情に変わる。
その表情を最後に、視界が、暗闇へと変わった。
(なん……で? これ、だって、自分のサキヨミなんて、そんなの……)
ノイズの音が、さらに大きくなる。
とまどいの中で、その映像は始まった。
──じじじ……。じじ……。
真っ黒な自分の「サキヨミ」を見てしまった美羽。
いったい未来に何が待っているの?
島君に本当の気持ちを伝えることはできるの?
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