16 おもかげ
そのとき、縁側に面したガラス戸が開き、私は急いで目をこすった。
おだんご頭にスウェット姿の若い女性が、私たちを不思議そうな顔でながめている。
「あっ、す、すみません! その、私たち、あやしい者では……!」
「ウサギがかわいかったもので、見入ってしまいました」
あわてて言う私たちを交互に見ると、女性はにこっと笑った。
「ありがと。その子、ミクルっていうの。もう、だいぶおばあちゃんなんだけどね」
(ミクル……)
名前は違うけれど、この子はきっと……みゅーちゃんだ。
「よかったら、見てく? ちょうどヒマしてたんだ。入りなよ!」
「えっ?」
女性はガラス戸を閉め、部屋の中に消えた。かと思うと、すぐ横にあった玄関の扉ががちゃりと開いた。閉まっていた門を開け、私たちを中に招き入れてくれる。
「ほら、縁側に座って! あ、急いでるんだったらムリにとは言わないけど」
瀧島君と、顔を見合わせる。そうして、おたがいにほほえんだ。
「それじゃあ、少しだけおじゃまさせてもらおうか」
「うん……!」
とつぜんの展開におどろきながらも、私はワクワクした気持ちで門の中に入った。
女性は家の中に戻ると、ガラス戸を開けて縁側に座布団をしいてくれる。
「緑茶淹れるけど、飲む?」
「あ、あの、おかまいなく……!」
「いいの、ついでだから。ちょうど思い出話したかったんだよね、これ見てたから」
そう言うと、女性は床の上に置かれていた何かを持ち上げた。
それを見て、一瞬息が止まった。つい最近見た覚えのある、青い表紙。
それは、月夜見中学の卒業アルバムだった。書かれている年度は、九年前。
「もしかして、あなたたちも月中生?」
「はい、そうです」
瀧島君が答えると、女性はうれしそうに目を細めた。
「やっぱり? そんな気がしたんだ。見てていいよ。お茶淹れてくる」
残された卒業アルバムから視線を上げ、瀧島君を見る。
「ねえ、瀧島君。これって、やっぱり……」
「うん。この子は、写真に写っていたウサギだと思う」
そう言って、ケージの中のミクルちゃんに目をやる。
「この子……みゅーちゃん、だよね」
「そうだと思う。見た瞬間、そう感じた」
瀧島君の言葉で、すうっと肩の力がぬけた。ずっと心の中にたちこめていた霧が晴れ、明るい光が差し込んできたような感じがした。
深く息をつくと、なつかしさがこみあげてくる。幼稚園のスモックを着たユキちゃんのさびしそうな表情が、とつぜん頭に浮かんだ。
「どうしてクラスでウサギを飼うようになったのか、聞いてみよう」
瀧島君が言うと、女性がお盆にお茶を載せて戻ってきた。
「あ、自己紹介がおくれたね。あたし、ナツっていうの。ここは実家でさ。高校を卒業したときに家を出て一人暮らししてたんだけど、今度もっと広い部屋に引っ越すことになって。それで、置きっぱなしだったものをいろいろ持ってこうと思って、帰ってきたわけ」
「ナツさんのクラスは何組だったんですか?」
「B組。これだよ」
卒業アルバムをめくり、クラスページを見せてくれる。
集合写真には、ケージに入った白いウサギが写っていた。資料室で、瀧島君といっしょに見た写真だ。
「あたしはこれ。今と変わらないでしょ」
ナツさんが指さした先には、今と同じおだんご頭の女の子の個人写真。名前のところには「小林奈津」と書かれている。
「あの。ここに写っているウサギって、このウサギですか」
集合写真を指さした瀧島君が言う。ナツさんは「そうだよ」と笑顔でうなずいた。
「卒業するとき、あたしが引き取ったんだ。このウサギね、あたしの親友が、学校に来る途中で見つけたの。道端のしげみの中で震えてて、かわいそうでほっとけなかったからって」
「道端? どのへんですか?」
「え? たしか……お寺の駐車場のそばって言ってたかな。学校の近くの」
「駐車場……」
瀧島君がおどろいたように目を丸くする。
学校の近くの、お寺の駐車場。幼稚園のある通りを、少し南に下ったところだ。
「先生が警察に連絡して、保護してもらう予定だったんだけどね。飼い主が現れなければ保健所行きって聞いて、それならクラスのみんなでお世話しようってことになったんだ。警察や保健所にウサギを拾ったことは伝えたんだけど、結局飼い主さんからの連絡はその後もなかったしね」
「あの。それは、いつくらいのことですか?」
「いつって、季節? 夏休みの前だったから……六月か、七月くらいだったと思うよ。あ、初めて会ったとき、雨にぬれてたような感じだったから、六月かも。弱ってたけど、病院に連れていったら元気になったんだよね」
ナツさんが、ケージの中のミクルちゃんに話しかける。
六月……たしか、みゅーちゃんがいなくなったのも、それくらいの時期のことだ。
「ミクルはねえ、みんなに愛されてたんだよ。卒業文集にみんなミクルのこと書こうとするから、先生が禁止したくらい。『中学校生活を通して成長できたと感じたこと』がテーマだったから、まあしかたがなかったのかもしれないけどね。あたしは、ミクルのこといっぱい書きたかったんだけどな」
そっか……。それで文集には、ウサギのことが何も書かれていなかったんだ。
「ミクルという名前には、由来があるんですか?」
瀧島君が聞く。
「拾った子の名前が、『くるみ』だったの。だからそれをもじって、ミクル。単純だよね」
そう言って、ナツさんはひとつの個人写真をとんとんと指で示した。えくぼが印象的なポニーテールの女子の下には、「円藤久留美」という名前が書かれていた。
そのとき、スマホが鳴った。
見ると、レイラ先輩からのメッセージだった。少し離れたところにあるコインパーキングにいるらしい。なかなか車をとめられる場所が見つけられなくて、苦労していたみたいだ。
「そろそろ行く?」
瀧島君の言葉にうなずく。
「あ、もう行っちゃうの?」
ナツさんに言われ、「はい」と答えた。
「ありがとうございました。ミクルちゃんのお話が聞けて、よかったです」
「ううん、こっちこそ楽しかったよ。ありがとね」
私は、ケージの中のミクルちゃんを見た。
(これで、最後……なのかな)
そう思うと、きゅっと胸が痛んだ。
九年ごしに再会できた、みゅーちゃん。その面影を、ここに置いていきたくない。
「あの……お願いが、あります」
「ん? なあに?」
ナツさんに向き直り、続ける。
「私、中学では美術部に入ってて、今度の市民芸術祭に参加する予定なんです。そこに出す絵に、みゅ……ミクルちゃんを、描かせてもらえないでしょうか」
ナツさんは、おどろいたように目をぱちくりとさせた。
「いいけど……なんで? そんなに、気に入った?」
「はい」
縁側のケージをふりかえり、言う。
「ミクルちゃん、私たちが幼稚園の頃にかわいがっていたウサギだと思うんです」
ね、と瀧島君を見る。瀧島君は、静かにうなずいた。
「え、そうなの!? なんで!? どういうこと!?」
おどろくナツさんに、私と瀧島君はかわるがわる、「みゅーちゃん」のことを話した。
「──ずっと、心の中にひっかかってたんです。私のせいで、みゅーちゃんをひどい目にあわせてしまったって」
話を聞き終えると、ナツさんはほーっと息をついた。
「いなくなった時期も場所も、ぴったり合うもんね。そっか、幼稚園のウサギだったんだ」
そうして、ケージの中のミクルちゃんを見つめる。
「ねえ。その、みゅーちゃんの好物って何だった?」
「好物?」
思いがけない質問に固まってしまう。みゅーちゃんは、幼稚園の先生が用意したエサを食べていた。いつだったか、近くに生えていた草をあげようとしたら、先生に見つかって怒られたことがあったっけ。
「シロツメクサです」
瀧島君の言葉に、え、と声が出た。
「幼稚園の裏にたくさん生えていて。みゅーちゃんは、それがとても好きでよく食べました」
「瀧島君、みゅーちゃんに草をあげてたの?」
「先生に見つからないように、こっそりとね。外遊びのときに摘んで、スモックのポケットに隠してたんだ」
「えええ! 知らなかった!」
どこか得意げな顔で言う瀧島君におどろいていると、ナツさんがあははと笑った。
「ミクルの好みは、昔から変わってないんだね。この子も、シロツメクサが大好きなんだよ」
その言葉で、思わず瀧島君と顔を見合わせた。
やっぱりこの子は、みゅーちゃんだ。
間違いなく、私と瀧島君の思い出の中にいる、みゅーちゃんなんだ。
「こんな偶然、あるんだねえ。いや、運命かな? すごいよ。今年一番のびっくりだわ」
ナツさんがうれしそうに言う。ミクルちゃんの姿をじっと見つめてから、私はナツさんに向き直った。
「あの。ミクルちゃんの写真を撮らせてもらっていいですか? 絵を描くときに使いたいんです」
「もちろん、いいよ。どうぞ、好きなだけ撮っていって」
ナツさんに言われて、私はスマホをミクルちゃんに向けた。
さっきよりも、眠そうにしている。そのかわいい姿を、何枚か写真に撮らせてもらった。
この瞬間は、今だけど。やがていつか、「思い出」になる。
門のところまで戻ると、ナツさんは玄関に回って見送りにきてくれた。
「あなたたちに声かけたのはね。昔、そこで同じように、ミクルのこと見てる女の子を思い出したからなの」
ナツさんが、縁側の正面のフェンスを指さす。
「年が離れてたからいっしょに遊んだりすることはなかったけど、髪がふわふわしてて、目がくりくりの、すごくかわいい子でさ。その子のことずっと忘れてたのに、急に思い出したんだよね」
思わず、瀧島君と顔を見合わせる。
その女の子ってもしかして、レイラ先輩のこと……?
「なんかさ、思い出って、宝石箱に大事にしまった宝石みたいだよね。普段は忘れてるけど、開けたらとつぜん思い出して、しばらくひたっちゃって閉じられない感じ? うまく言えないけど……普段は見えないけど、ちゃんと私を形作る一部として、心の奥底にしまわれてるんだなって」
しみじみとそう言うと、ナツさんは少し照れたように笑った。
「ミクルがそのきっかけになったなら、すごくうれしいよ。また、いつでも見に来て。あなたたちのことは、お母さんに伝えとくから」
「はい。ありがとうございました」
ナツさんに頭を下げ、私と瀧島君はその場を後にした。