15 絵日記の中に
母屋に戻った後、二階の客間で荷物をまとめてから、みんなで食堂に集まることになった。
「美羽ちゃん、行けそう?」
「うん、大丈夫。行こうか」
最後にもう一度忘れ物がないことを確かめてから、下に下りる。
食堂では、レイラ先輩以外の全員が集合していた。
「おじいさん、どうもお世話になりました」
「楽しかったです!」
私と夕実ちゃんの言葉に、おじいさんは満面の笑みを浮かべる。
「そう言ってもらえて、うれしいよ。この埋め合わせは近々必ずさせてもらうから、ご両親にもよろしく伝えてね。ところで、レイラはどこ行った?」
「十分くらい前、部屋にスマホを取りに行きましたよ」
瀧島君が言うと、おじいさんが苦い顔になった。
「寄り道してるか、何かに気を取られてるかだな。しかたない、呼んでくるか」
「あっ、私行ってきます。階段を上がってすぐの部屋ですよね」
昨日見せてもらった、ワニんぎょでいっぱいの部屋を思い出しながら言う。
「悪いね、ミウミウ。頼むよ」
おじいさんに言われ、私は階段を上がった。
半開きになっているドアからそっと中をのぞくと、レイラ先輩はこちらに背中を向けて座りこんでいた。
「レイラ先輩」
ノックをして呼びかけると、レイラ先輩はすぐにふりむいた。
「あれ、ミウミウ? どうしたの?」
「もう、みんな集まったので。呼びにきました」
「あっ、ごめん! なつかしくって、つい見入っちゃった」
そう言って私に見せてくれたのは、おじいさんが隠し部屋で見つけたというあの絵日記帳だった。
「あたしが幼稚園の頃のだよ。文章はほとんどなくて、絵ばっかりだけど。その頃から、お絵かきが好きだったんだよねえ」
なつかしそうに目を細めるレイラ先輩に、私も思わず顔がほころぶ。
「そうだ。ミウミウ、ゆうべはありがとね」
「え?」
とつぜん言われ、きょとんとする。
「ユミりんから聞いたんだ。あたしが部屋からいなくなってパニックになってるとき、ミウミウのおかげでなんとか落ち着くことができたって。すごく心強かったって言ってたよ」
「え、でも……私、べつに何も……!」
「そんなことないよ。『さわれないわたし』のメッセージだって、かくれんぼのときにあの鏡を見てたミウミウじゃないとわからなかったんだもん。あたしはあのときショック状態で、まともに頭が働いてなかったしね。今回のことはきっと、だれひとり欠けても解決できなかったんだよ」
(そう……なのかな?)
サキヨミは、見えなかったけど。
私もちゃんと、役に立ててた……?
レイラ先輩は、ぽんぽんと私の肩をたたいた。
「だから、そんな申し訳なさそうな顔しないで。タッキーも心配しちゃうよ」
「え!?」
瀧島君の名前を出された瞬間、昨日の「宣言」のことを思い出してしまう。
あたふたしていると、レイラ先輩がふふっと笑った。
「さてと、もう行かなきゃね。これは、あとでゆっくり見ることにするよ」
そう言って、画用紙をぺらぺらとめくった。
そのとき、一瞬見えた絵に、ドキッと胸が鳴った。
「あ、あの、すみません!」
絵日記をしまおうとしているレイラ先輩に、あわてて声をかける。
「ん? どうした?」
「その……今の、ウサギ……ですか?」
レイラ先輩が、「ウサギ?」と絵日記に目を落とす。
「あ、そうそう、あったね。これかな?」
何枚かめくられると、白いウサギの絵が現れた。
「こ、これです!」
近づいて、じっとながめる。
家の縁側のような場所。その上に、白いウサギがちょこんと座っている。
「あの。これは、どういう絵なんですか?」
「うんとね。親戚の家の近くに、ウサギを飼っている家があったの。よく外でひなたぼっこしてたから、遊びにいくたびに見にいってたんだ」
レイラ先輩の言葉を聞きながら、私はクレヨンで描かれたウサギをじっと見つめた。
白という色だけじゃない。耳が少し大きく描かれているところ、うるうるとした大きな目も、みゅーちゃんに似ているように思える。
(でも……まさかね)
ドキドキしている胸を押さえ、私はふっと息をついた。
きっと、気のせいだ。
昨日、エンドウ・フユ先生の絵を見たときもそうだった。白いウサギってだけでこんなふうに反応してたら、身が持たない。
「その親戚は、しばらくして引っ越しちゃって。このウサギにももう何年も会ってないけど、元気かなあ」
レイラ先輩は、なつかしそうに続けた。
「なんでも、その家の娘さんが学校で飼っていたウサギなんだって。卒業するときに引き取ったって言ってた。よっぽどかわいがってたんだねえ」
(え?)
学校で、飼っていた……?
「──そのウサギについて、詳しく教えてくれませんか」
背後から聞こえた声にふりむく。
廊下には、真剣な表情をした瀧島君が立っていた。
「あれ、タッキーも来ちゃった。ごめんね、もう行くから。で、えーと……ウサギ? が、気になるの?」
レイラ先輩の言葉に、瀧島君と私はほとんど同時にうなずいた。
****
「じゃあね、美羽ちゃん、瀧島君!」
夕実ちゃんが、出迎えたお母さんのとなりで手をふってくる。
「また明日ね、夕実ちゃん」
私は車の中から手をふりかえし、夕実ちゃんが笑顔でおうちに入っていくのを見送った。
「それじゃ、ウサギのおうちに行くよ。田中さん、お願い」
助手席のレイラ先輩が、運転席の田中さんに言った。
後ろに座っている私は、となりの瀧島君と顔を見合わせた。小さくうなずく彼に、私もうなずき返す。
あの後私たちは、レイラ先輩にみゅーちゃんのことを打ち明けた。
幼稚園の頃、いなくなっちゃったウサギがいるってこと。
そのウサギは、瀧島君と私が仲良くなるきっかけだったってこと、二人でそのウサギをすごくかわいがっていたっていうことも伝えた。
「なるほど。ミウミウたちはそのウサちゃんのこと、ずっと気にしてたんだね」
レイラ先輩は、真剣な表情で話を聞いてくれた。
「まだ元気でいるかどうか、わからないけど。二人を、そのおうちに連れていくことはできるよ。どうする?」
サキヨミの力のことまでは、レイラ先輩には話さなかった。
でも、先輩は、私たちの真剣な様子から、何か深い事情があることを感じたみたいだった。じっと私たちを見て、静かに答えを待ってくれた。
瀧島君は、私を見た。「如月さんに決めてほしい」と言っているように見えて、私はしばらく考えた。
「……お願いします。連れていってください」
それで、家に送ってもらう前に、そのおうちに寄っていくことになったんだ。
そのおうちがあるのは、同じ月夜見市内だった。レイラ先輩のおうちから向かうと、中学校をはさんで町の反対側に位置する地区だ。
住宅街に入り、細い道が続く。何回か曲がった後で、レイラ先輩が前方を指さした。
「ほら、あそこだよ!」
車がゆっくりと止まる。十メートルほど先に、細いフェンスで囲まれたおうちが見えた。フェンスのすぐむこうに、縁側らしきものが見える。
「近くまで行きますか?」
田中さんに聞かれ、私は答えた。
「ここで降りてもいいですか」
フェンスの隙間からわずかに見える縁側。その上に、ケージのようなものが置かれているのがわかったんだ。
車で通り過ぎながら確認するんじゃなくて、ちゃんと近くまで行って、よく見たい。
人のおうちをじろじろ見るのはよくないことだってわかってるけど、これだけは、どうしても自分の目で見てたしかめたいんだ。
「僕も降ります」
「じゃあ、どこか車をとめられそうな場所を探してるね。あとで連絡するから」
レイラ先輩に「お願いします」と言い、私たちは車から降りた。
車がゆっくりと走り去るのを、瀧島君と二人で見送る。
「如月さん。本当にいいの?」
瀧島君が、私の顔をのぞきこむ。
「もし、ウサギがまだ生きていたとして。そのウサギが、みゅーちゃんだったら……力を、失うことになるかもしれないんだよ」
その言葉を、ゆっくりと受け止める。
瀧島君の質問を、私の心の声に変えて、もう一度自分に問いかける。
──本当にいいの? サキヨミの力を、失うことになっても。
その問いかけの答えが、私の心の底から、ゆっくりと浮き上がってくる。
思ったとおりの答えであることに安心して、私は瀧島君を見つめた。
「うん。いいよ。私、力を失ってもいい」
瀧島君の目が、少し見開かれる。半開きの唇も、かすかに震えていた。
「私、知りたいの。みゅーちゃんのその後を。それで、瀧島君といっしょに、前に進みたいの」
言い終わると同時に、笑顔になる。
わき上がってくる気持ちをそのまま言葉にしていることが、すごく心地よくて、うれしい。
「昨日、私は一度もサキヨミが見えなかった。そのせいで泥棒が来ることもわからなかったし、怖い思いもいっぱいして、最後にはレイラ先輩の作ったツボも割れちゃったでしょ」
でも、と私は続ける。
「ゆうべの事件のきっかけは、アオイさんがおばあさんのメッセージを見つけたことだった。でもそのおかげで、おばあさんの最後の宝探しをすることができて、隠し部屋のツボに行き着くことができた。ツボは割れちゃったけど、割れたことで、おばあさんの残したカードを見つけることができた。それで、思ったの。悪いことにも、意味があるのかもしれないって」
瀧島君は、じっと私の言葉に耳を傾けている。
「悪い未来は絶対に阻止しなきゃいけないんだって、ずっと思ってた。でも、それは違うのかも。悪いことが起こるからこそ、見つけられたり、気づけたりするものもあるのかもしれない」
レイラ先輩の絵日記も、そこに描かれていたウサギも。今回の事件がなければ、今も隠し部屋にしまわれたままだった。
私と瀧島君が今ここに立っているのは、「悪い未来」の後に続いている、新しい未来なんだ。
「私は、サキヨミを見なかった。でも、だれも怪我しなかったし、泥棒をつかまえることもできた。もちろん、今回は運がよかったってだけかもしれない。だけどね。『もうダメだ』って思っても、みんなで力を合わせることで、解決できることもあるんだって。そう思えたんだ」
瀧島君の唇が、ゆっくりと弓なりに持ち上がっていく。その優しい笑顔で、高揚していた気持ちがさらに明るくなる。
「如月さんは……すごいね。本当に、すごい」
そう言うと、瀧島君はそっと手を差し出した。
「行こうか。いっしょに」
「うん」
手を取って、いっしょに歩き出す。
フェンスが近づいてくるにつれ、だんだんとドキドキしてきた。
たとえ結果が、どうであったとしても。
私のこの気持ちは、きっと揺らぐことはない。
フェンスの前にたどりつき、そっと中をのぞく。
縁側の上に出されている、金属製のケージ。
その中には……一羽の、白いウサギがいた。
そよ風にヒゲを揺らし、眠そうに目を細めている。ぬいぐるみみたいにじっとしているけれど、鼻はヒクヒクと動いていた。
耳の毛が長くて、ふわふわで。
「みゅーちゃん……」
私の声で、それまでじっとしていたウサギが、はっとしたようにこちらを向いた。
その黒い大きな瞳を見たとたん、胸の奥が熱くなり、じんわりと涙がにじんだ。