2 選んだ人
神社に着いた私たちは、お参りの列にならんだ。
(お願いごと、どうしようかな)
去年までは、「今年も一年無事に過ごせますように」って、形だけのお願いをしてた。
(でも、今年は…………。うん。決めた)
お参りの順番がやってくる。私はヒナノさんとならんで賽銭箱の前に立った。
おじぎをして、お賽銭を入れて。パンパンと手を打ってから、ぎゅっと目を閉じる。
そうして、あらかじめ決めていたお願いごとを心の中で唱えた。
(どうか、瀧島君が笑顔で過ごせますように……!)
合わせた手に思いをこめるように、ぎゅっと力を入れる。
石段を下りると、ヒナノさんが私をふりかえって言った。
「さて、おみくじでも引きマスか? お守りもありマスね」
境内には、お札やお守りなどの臨時販売所があった。私は、ヒナノさんに向かって首をふる。
「すみません、お財布の中、ほとんど入ってなくて……。私はいいので、ヒナノさん、好きに見てください」
「そういうわけにはいきまセン。ええっと……あっ、アレはどうデスか?」
ヒナノさんが指さしたのは、絵馬だった。近くにはペンの備えつけられた台があり、そのむこうにはたくさんの絵馬がかけられているのが見える。
「急に押しかけて連れ出してしまったおわびデス。一枚も二枚も変わりまセンしね」
「えっ、でも、そんな……!」
私があたふたする間にヒナノさんは巫女さんに声をかけ、二枚の絵馬を買ってしまった。
「す、すみません。この間も、パンケーキをごちそうしていただいたばかりなのに……」
「遠慮することはありまセン。美羽サンには、じゅうぶんその権利があるのデスから」
にっこり笑うと、ヒナノさんはペンでさらさらと願いごとを絵馬に書いていった。
(えっと、私は……)
そういえば、さっきは自分のことについては願わなかったよね。
それじゃあ……こうかな?
「『みんなといっしょに楽しく過ごせますように』……いい願いごとデスね」
気づくと、書き終えたヒナノさんが私の絵馬をのぞきこんでいた。
「みんなというのは、お友達のことデスか?」
「あっ、はい、そうです! クラスの子とか、美術部のメンバーとか……もちろん、瀧島君も入ってます!」
声が上ずるのを感じながら、必死で答える。
本当は、「瀧島君といっしょに」って書こうとしたんだけど。
ヒナノさんがいるから恥ずかしくって、「みんな」に変えたの。
でも、この願いごとだってウソじゃない。
瀧島君だけじゃなくて、美術部のメンバーも、クラスメイトも、みんな大事な仲間だから。
ひとりも欠けることなく、楽しく一年過ごせたらいいなって思ったんだ。
「私は『世界平和』にしてみマシタ。地球上の全生物の幸せデスから、神様には荷が重いかもしれまセンね」
「そうですね。でも、すごくいい願いです」
ヒナノさんの少しおどけた言い方に、くすりと笑みがこぼれる。
二人で絵馬をかけてから、いっしょに他の絵馬もながめた。
受験シーズンだからか「合格祈願」がとっても多くて、見るたびに「がんばれ」っていう気持ちがわいてくる。
と、その中に知っている名前を見つけて、私は「あっ」と声を上げた。
「レイラ先輩……!」
その絵馬には、「瀬戸レイラ」という名前とともに、「天寺高校絶対合格!!」と大きな文字が書かれていたんだ。
「ああ、美術部の前の部長さんデスね。天寺高校志望ですか。受かってほしいデスねえ」
「はい。本当に……」
言いかけた言葉が止まる。
レイラ先輩の絵馬のすぐとなりに、またしても知っている名前を発見したんだ。
「深谷想」。
間違いなく、深谷先輩のフルネームだ。
深谷先輩は、元生徒会長。美術部にたまに絵を描きにきていて、レイラ先輩とは仲良しだ。
絵馬に書かれていた願いごとは……「海皇学園高校に合格しますように」。
初めて見る名前の高校だ。どこにある学校なんだろう。
(レイラ先輩の絵馬と深谷先輩の絵馬が、となり同士にかけられてるってことは……)
もしかして、二人でいっしょに初詣に来たのかな……?
もうすぐ、受験本番。二人とも、志望校に無事合格できるといいな。
「さてと。あっ、美羽サン、チョコバナナどうデス? おごりマスよ」
「いえ、さすがにもう、悪いので……!」
「遠慮せず! イカ焼きもありマスよ? あっ、じゃがバターもいいデスね!」
ヒナノさんは私の腕をつかむと、屋台のならぶエリアへと引っぱっていった。
****
数日経って、三学期の始業式の日がやってきた。
学校に向かう私の胸は、はずんでいた。
(ようやく、瀧島君に会える……!)
こんなふうに一週間以上会わないことは、前にもあった。夏休みのときのことだ。
でもあのときは、毎日雪うさとして瀧島君の姿を見ることはできていたし、スマホで連絡だって取れたから、ここまで不安な思いをすることはなかった。
初詣のときにヒナノさんが言ってくれた、「新学期には会える」っていう言葉。
それを頼りに、学校が始まるのを今か今かと待っていたんだ。
「美羽ちゃん、おはようー!」
昇降口で、ばったり夕実ちゃんと会う。
「おはよう、夕実ちゃん」
「こないだは楽しかったね。また行きたいなあ」
夕実ちゃんとは何日か前に、いっしょに買い物に出かけていたんだ。
そのときに、瀧島君とのことは伝えてある。ウサギカフェの日に起きたことと、ヒナノさんが話してくれたことだ。
話していいものかどうか、ちょっと迷いはしたんだけど。できるだけ、夕実ちゃんに隠しごとはしたくなかった。
夕実ちゃんは、うれしそうな笑顔を私に向けて言った。
「やっと瀧島君に会えるね。B組の教室行ってみる?」
「えっ、今!?」
「だって、すぐ会いたいでしょ? ほら!」
夕実ちゃんに手を引かれ、私はドキドキしながら階段を上った。
たしかに、ものすごく会いたいけど。
いざ顔を合わせるってなると、なんだか緊張してきちゃうよ……!
「もうこの時間なら来てると思うんだよね。えーと……」
夕実ちゃんが、B組の教室のドアから中をのぞく。
「あれ? まだいないみたい」
首をかしげる夕実ちゃんの頭ごしに、私も教室の中を見やる。
窓際の瀧島君の席には、だれも座っていない。
あちこちでおしゃべりをしている生徒たちの中にも、彼の姿は見つけることができなかった。
「あっ、あの、瀧島君来てない?」
ドアの近くにいた男子に、夕実ちゃんがたずねる。
「瀧島? まだ見てないけど」
その答えに、夕実ちゃんと私は顔を見合わせた。
「どうしたんだろう。もうすぐチャイム鳴っちゃうけど、待ってみる?」
私は、少し考えてから首をふった。
「きっと、何かワケがあっておくれちゃってるんだよ。あとでゆっくり話せるだろうし、今は大丈夫」
「そうだね、いっしょに帰れるもんね!」
にっこりと笑った夕実ちゃんに、私もほほえみ返す。
(そう、大丈夫だよ。きっと、大丈夫。瀧島君とは、必ず会える)
ぼんやりと出てきた不安を打ち消すように、私は心の中で「大丈夫」とくりかえし唱えた。
その後、体育館に全校生徒が集まり、始業式が始まった。
列にならぶ中で、私はちらりとB組のほうを見た。瀧島君は、列の後ろのほうにいるはずだ。
けれど、どれだけ目をこらしても、生徒たちの中に瀧島君の顔を見つけることはできなかった。
「えー、みなさん、あけましておめでとうございます」
校長先生の話が始まるけれど、内容が頭に入ってこない。
(瀧島君……どうして、来てないの……?)
胸の中の不安が、雪だるまみたいにどんどん大きくなっていく。
結局、下校の時間になっても、彼は学校に姿を現さなかった。
****
心配そうな顔の夕実ちゃんに別れを告げ、私はひとりで家路についた。
(瀧島君、いったいどうしたんだろう……)
今日、絶対会えるって思ってたのに。
何か、トラブルでもあったのかな。病気とか、怪我とか……。
でも、それなら学校に連絡があるはずだよね。
念のためB組の人に聞いてみたけれど、瀧島君の欠席理由は、結局わからずじまいだったんだ。
ふうっと、弱々しいため息が出る。
もし、このまま瀧島君がお父さんの家から戻ってこなくて、もう二度と会えなくなったりしたら、どうしよう。
ぎゅっと、胸がつぶれるように痛んだ。
瀧島君の存在って、もうきっと私にとって、当たり前になってしまっているんだ。
会いたい、な──……
──如月さん!
うつむいて歩く私の耳に、瀧島君の声がひびく。なつかしい声。
会いたすぎて、幻聴まで聞こえちゃってるみたいだ。
「……如月さん、僕だよ!」
急にはっきりと聞こえた声に、はっと顔を上げる。
すると、道の先からこちらに向かって走ってくる瀧島君の姿が見えた。
「え、瀧島君……!?」
びっくりして、何度もまばたきをする。
幻覚……じゃ、ないよね?
「如月さん。よかった、会えて」
私の目の前までやって来ると、瀧島君はひざに手を置いて呼吸を整えた。
「瀧島君……ほん、もの?」
彼の紅潮したほおに向かって、静かに手を伸ばす。すると、茶色い目が細められた。
「本物だよ。ほら」
そう言うと、瀧島君は私の手にそっと指で触れた。
そのたしかな感触に、思わず目を見開く。
「瀧島君……本当に、瀧島君、なんだね」
ほっとして、笑みがこぼれる。瀧島君も笑顔でうなずいた。
「よかった。ヒナノさんが新学期には会えるって言ってたから、今日が来るのを心待ちにしてたんだよ」
「ごめん。本当は昨日帰ってくるはずだったんだけど、事情があって今朝になってしまったんだ」
「事情?」
「父と、ケンカになってしまってね」
(あっ……)
ドキッとして、すぐに言葉を返せなかった。
瀧島君はそんな私を見て、眉をくもらせる。
「ウサギカフェの日のこと、本当にごめん。早く謝りたかったのに、スマホを取り上げられてしまって連絡ができなくて」
「うん、それも聞いたよ。瀧島君、元気そうでよかった。雪うさ動画も更新がなかったし、すごくさびしかったんだ」
言ってから、はっとする。
さびしかった、なんて。瀧島君にしたら、重い言葉かもしれない。
「うん。僕もだよ。如月さんに会えなくて、連絡も取れなくて、本当に苦しい冬休みだった」
そう言うと、瀧島君は苦い表情になった。
「如月さんに、話があるんだ。聞いてくれるかな」
「うん。もちろんだよ」
二人でならんで歩き出す。
瀧島君がとなりにいるうれしさをかみしめていると、彼はとつぜん思いがけないことを言った。
「僕はもともと、あっちの私立中学を受験する予定だったんだ」
「えっ、私立!?」
瀧島君を見て、思わず目をしばたたく。──ぜんぜん、知らなかった。
「ああ」とうなずくと、瀧島君は続けた。
「けど、僕が小六の秋のことだ。祖母が入院して、姉の進学先が月夜見市に近いサヨリ文化学院に決まったことで、母は秋に、姉は入学する時期に祖母の家に移ることになった。そこで、僕もいっしょに月夜見市に引っ越すことにしたんだ」
「そう……だったんだ……」
おどろいて、しばしぼう然とする。
瀧島君は本当は、月夜見中に来るはずじゃなかった。
中学で私が彼と再会できたのは、いろいろなことが重なった上でのことだったんだ。
「父も最初はしぶっていたけど、最後には承諾してくれた。けど、引っ越し直前に、母と如月さんの思い出話になってね。それを聞いた父が……『その子とは関わるな』と言ってきたんだ」
「えっ!?」
びくっとして、思わずその場に立ちすくむ。
強い言葉の衝撃で、唇が震えた。
「か、関わるな……って……どうして?」
瀧島君の表情が、暗くなる。
「父の頭にあったのは、ジャングルジムの事故のことだ」
ひゅっと、心臓をつかまれたような思いがした。
ジャングルジムの事故。それは、瀧島君と私が四歳のときのできごとだ。
弟のシュウがジャングルジムから落ちるというサキヨミを見た私は、それが実現しそうになったとき、シュウに向かって必死で手を伸ばした。
その結果、シュウは助けられたけれど、かわりにそばにいた瀧島君が落ちて怪我をしてしまったんだ。
「僕が怪我を負ったことがショックだったんだろう。如月さんと仲良くしていなければあんなことは起こらなかったはずだ、なんて言うんだ。あれは如月さんのせいじゃない、僕が自分の意思で行動した結果だって言い返したけど、父は聞こうとしなかった」
ショックで、体が冷たくなっていくのを感じた。
瀧島君のお父さんにとって、私は「危険人物」……ってこと?
「じゃあ、ウサギカフェの日も……?」
「僕を如月さんから引き離そうとしたんだ。冬休みの間、ずっと言われ続けたよ。付き合う人間はきちんと選べ、もっと自分のことを一番に考えろ、とね」
「そっ、それで……瀧島君は、どうしたの?」
「もちろんしたがう気はないから、聞き流したよ」
瀧島君は私の正面に立つと、震える私の目をまっすぐに見つめた。
「如月さん。父の言っていることは間違いだ。父がこんなことを言うのは、如月さんのことを知らないからだ。僕は何を言われようと、如月さんと離れるつもりはない」
(瀧島君……)
じいんと、胸の奥が熱くなった。すると、瀧島君がちょっと目を泳がせる。
「もちろん、如月さんが迷惑じゃなければ……だけど」
「えっ!? も、もちろん! ぜんぜん、迷惑なんかじゃないよ! うれしい!」
言ってから、かあっと顔が熱くなるのを感じる。
「……よかった。如月さん、今年も一年間、よろしくね」
「うん。こちらこそよろしく、瀧島君!」
そう言って、私たちはほほえみ合った。
けれど……。
私の胸の中には、大きな不安が残ったままだったんだ。