15 赤点の原因はこれだ!
「まずはとにかく、算数をどうにかしないとな」
プリンを食べ終わったあと、居間のちゃぶ台ではじまった作戦会議。
ケイ以外の男子たちも、すすんで協力を申し出てくれたの。
「科目はひとつひとつバラバラに見えて、おたがいに関係し合っていますからね」
「僕たちの知識が役に立つかも」
「四科目の力があわされば、こわいもんなんかないぜ~!」
すっごく、心強い言葉。
三人は、「勉強法を見直す必要がある」ってケイを説得してくれて、ケイも「プリント地獄はもうしない」って約束してくれたんだ。
「まどかは、計算ミスが多すぎるんだ。どうしたらなくなるのか……」
眉間にしわをよせて、腕組みをするケイ。
それは、わたしもずっとなやんでたこと。
そそっかしい性格だからか、しょっちゅう計算ミスをしちゃうの。
ケイはむずかしい顔でわたしの算数ノートをめくりながら、ふいに「ん?」と声をあげた。
「……待てよ。まどか、ちょっと、九九の九の段言ってみろ」
「え?」
急な言葉にびっくりしてると、「はやく」と急かされる。
えーっと。
「9×1=9、9×2=16、9×3=21……」
「「「「こ、これだ……っ!!」」」」
四人がおそろしいオバケでも見たような目で、固まってる。
え? あれ? もしや……どこかまちがってた……?
「なぜオレは気づかなかったんだ……! 小数だなんだと言う前に、根本の九九や足し算からやり直さねばならなかったということに……」
もはや怒りを通り越して、青ざめてるケイの顔。
ひぃ! また怒られる~~っ!
身をちぢめてブルブルふるえていると。
ふいに、ケイがフゥと息をついた。
「……しかたない。九の段の裏ワザを教えてやる」
えっ、裏ワザ?
びっくりして、パッと顔を上げる。
いつも「覚えろ!」「とにかく解け!」が口癖だったケイから、そんな言葉が出るなんて。
(……ケイも、すこしは歩みよろうとしてくれてるんだ)
そう思ったら、やる気が出てきて。
わたしは背筋を伸ばし、ケイを見る。
「教えて、裏ワザ!」
ケイは、「よし」とうなずいた。
「両手のひらを広げて、左の指から順に、九にかける数のところで指をおるんだ」
指……? わたしは首をかしげつつ、両手を目の前に広げてみる。
ほかの男子たち三人も、不思議そうに自分の手のひらを広げた。
「たとえば、さっきまちがえた『9×3』は、左手の、左から三番目の指をおる。その指を境にして左側の指の数が十の位、右側の指の数が、一の位になる」
えっ、どういうこと?
自分の指をおって、ためしてみる。
左手の中指を境に、左側は、親指とひとさし指で、2本。
右側は、ぜんぶで7本……。
「にじゅう、なな……?」
これって、9×3の正しいこたえと、一緒……?
信じられなくて、「えぇ~っ?」と声が出る。
すぐに、ほかの計算もためしてみた。
9×1 左側0本、右側が9本=9
9×4 左側3本、右側が6本=36
9×7 左側6本、右側が3本=63
「ほ、ほんとだ!?」
「さらに、九九の九の段は、こたえの十の位と一の位の数字を足すと、かならず『9』になる。これを覚えておけば、こたえが合っているか確認することもできる。さっきまどかが言った『9×3=21』だと、『2+1=3』だ。『9』にならないから、まちがってるってわかるだろ?」
えっと、待って待って……。
十の位と一の位の数字を足すんでしょ?
0+9=9
3+6=9
6+3=9
「えぇぇ~~~~っ!? ほ、ほんとだ! なんで!?」
わたしは目をぱちくりさせながら、自分の指を何度もおってみた。
何度ためしてみても、ちゃんと計算のこたえが出る。
不思議だなぁ。なんでだろう?
なんで、こんな不思議なことがおこるんだろう……?
「なんでだろう? と思えるのは、勉強の才能がある証拠だ」
ケイが言った。
「勉強の、才能……?」
「ちゃんと『なんで?』って口にできるやつは、伸びる。オレが保証する」
ケイの言い方は、そっけなかった。
だけど……わたしにとってその言葉は、なにものにもかえられない、ほめ言葉だった。
今まで、どんなにがんばって勉強してみても、うまくいかなくて。
逆に親友の優ちゃんはなんでもできるから、つい、くらべちゃって。どんどん自信がなくなって……いつしか、「どうせわたしにはムリ」って、心のどこかで思ってた。
でも。あのケイが言うなら。
──もしかしたら、わたし、できるかもしれない。
体の奥から、ふつふつとやる気がわきあがってくるような、不思議な感覚がする。
「確認の問題だ。手のひらで数える方法をつかわずに、鉛筆一本でこれを解いてみろ」
ケイが、ノートに計算問題を書いた。
0.6×0.9
げっ、小数……。
ニガテ分野に、つい、身がまえちゃう。
鉛筆をわたされて、考えこむ。
「小数は基本的にただのかけ算とおなじと思えばいい。まずは小数点を考えずに計算し、あとから点を打つ」
まずは、小数点を考えずに計算、ってことは。
6×9をすればいいんだ。
九の段の裏ワザをつかいたい……けど、手はつかっちゃダメなんだっけ……。
うーん、うーんと頭を悩ませる。
頭のなかに手のイメージをしてみるけど、こんがらがってうまく数えられない。
(……あ、そうだ。ケイはさっき、『鉛筆一本でこれを解いてみろ』って言ったよね。じゃあ……鉛筆で手のひらの絵を描くのは、ダメじゃないはず!)
わたしは紙のすみっこに、指を十本書いた。
そして左から六番目の指を黒く塗って、左側の数と右側の数をかぞえる……!
「54……かな?」
念のため、合ってるか確認。
5+4=9だから……よし、大丈夫そう!
「計算をしたあとに、小数点を打つんだったよね」
「小数点を打つ位置はわかるか?」
「えっ、ちょ、ちょっとあやしいかも……」
正直に言うと、ケイは怒りもあきれもせず、真面目にこたえてくれた。
「まず、かける数とかけられる数の小数点以下に、ぜんぶでいくつ数字があるか数えるんだ」
えーっと、0.6と0.9だから、小数点以下にある数は……。
「『6』と『9』の2つ、かな?」
ケイがうなずく。
「その数は、こたえとなる数の小数点以下に、いくつ数字があるかをしめしている。さっき普通の計算で出したこたえの数字に、右下から山なりの線を『2』度引いてみろ。その場所に、点を打つ」
ケイに言われたとおり、計算で出した54の右下から、山なりの線を2度引いた。
ここに点を打つってことは……。
54の左側に、ひとつ空白のスペースができちゃうな。
こたえが、「.54」のはずないし……。
「あっ、わかった! この空白には『0』が入るんだ! だから、こたえは0.54!」
「「「「正解!」」」」
四人の男子が、声をそろえた。
ぶわーっと、感動がこみあげてくる。
ヒントはもらったけど、ニガテな算数の、それも小数の計算問題で、ちゃんと正解を出せた!
「やったあ! みんな、ありがとう!」
うれしくて、はしゃいじゃうよ!
算数でこんな気持ちになったの、はじめてかも!
本当に、ずっと、ニガテだったから……。
「あのさ、ケイ」
わたしは、ケイの顔をまっすぐに見る。
「算数……だいっきらいなんて言って、ごめんね」
ケイは一瞬、おどろいたように目を見ひらく。
でもすぐに、フイとそっぽをむいた。
「あやまるくらいならはじめから言うな」
「ごめん」
「いや……べつに、もういい」
ぶっきらぼうに言って、ポリポリ頭をかく横顔。
ヒカルくんが言ってた、「ケイくんは怒ってるように見えてそんなに怒ってない」って、本当なのかも。
短気で、横暴で、いじわるで、細かくて。
でも、わたしが泣いたときは、だまって、ただそばにいてくれた。
今も、自分のやり方を変えて、歩みよろうとしてくれてる。
わたし、ひどいこと、いっぱい言っちゃったのに……。
「算数は……やっぱり、今も好きにはなれないけど。ていうか、ニガテだから、急に得意にはならないけど……でもね、ケイが消えちゃうのはいやだって、本気で思ってるから」
うっすらと透けているケイの手。
寿命だとか、消えちゃうとか、半信半疑でいたけど。
こんな姿を見ちゃったら、もう、逃げるわけにはいかない。
──ケイを助けられるのは、わたししかいないんだ!
体の横で、こぶしをぐっとにぎりしめる。
「ケイだけじゃないよ。カンジくんもヒカルくんもレキくんも……みんなと、これからも一緒にいたい。だから……明日のテスト、全力でがんばるよ!」
四人の顔を、ひとりずつ、しっかりと見る。
全身に、熱いモノがじわじわと広がっていく。
(わたし……やっぱり、勉強は、やめない)
みんなと一緒にいたいから。
だから、もうちょっと……がんばってみることにしたよ。
──ねぇ、ママ。
その夜。
わたしは、不思議な夢を見た。
いつもの妄想の世界。
森の仲間たちとお茶会をする、いつものテーブルに──ママが座っていた。
「まどか」
ママは、とてもやさしい声でわたしの名前をよんだ。
でも、返事をしようとしても声が出なくて、体もうごかない。
「ママね、神様に、『まどかが自分の力でたくましく生きていける子になれますように』ってお願いしたのよ。神様が命をあたえてくれた四人の男の子……彼らは、きっと、あなたの力になってくれる」
ママの声を聞いていると、あたたかい毛布にくるまれてるみたいで、すごく安心した。
ほんのすこし前までは、ママの夢を見るたびに大泣きして目覚めてたけど、今日は不思議と、落ちついた気持ちでママのことを見ていられる。
もしかすると、ケイたちが来てくれたから……なのかな。
「これから先、大変なことも、つらいこともあるかもしれない。だけど、まどかなら大丈夫。だって──『花丸円は花丸100点』だもの」
ママはわたしを見て、ふっとほほえんだ。
どくんっ
呼吸が止まる。
(──ママ)
心のなかでよびかける。
あの手のひらが恋しくて、触れたくて。
駆けよろうとするけど……足が、ぴくりともうごかない。
「そばにはいられないけど、ママはずっと、まどかを見守ってるよ……」
ママの声が、急に遠くなる。
視界が白くぼやけて、その姿も見えなくなっていく。
(ママ! いかないで!)
心のなかで必死にさけんだけど、ママの気配はスウッと遠くなって。
──それきり、なにも見えなくなった。