13 「おまえが必要なんだ!」
一か月前。
八月の半ばの、昼下がり。
あの日。わたしは居間のちゃぶ台に算数の教科書を広げて、夏休みの宿題と格闘していたんだ。
ママが海外に出かけて、そろそろ三週間。
植物学者だから、研究のために家をあけるのは、昔からよくあることだった。
長いときは、一か月や二か月むこうへ行きっぱなしというのもめずらしいことではなくて。
しかも、行き先が、ネットも通じない山奥とか先住民族の村とかだと、その期間ずっと、メールや電話はもちろん、手紙さえも届かない。
だからあのときも、ママから連絡がないことはとくに気にしてなかった。
小さいころから、そんな生活があたりまえだったし。すこしがまんすれば、ナゾの木彫り人形とかをお土産に、「ただいま~」って帰ってくるから。
ママが帰ってきたら、いつも、テストや勉強した教科書を見せるの。
赤点でもなんでも、ママは「つぎはいい結果が出るよ! 勉強がんばってえらいね!」って、おもいっきり抱きしめてくれる。
だから、今回は「夏休みの宿題終わらせたよ!」って言って、たくさんほめてもらうんだ!
そう思って、ニガテな算数のドリルを、一生けんめい解いていた。
──そのとき、鳴りひびいた電話のよび出し音。
あの音が、今でも耳にのこってる。
受話器をとったあと、みるみる顔色が青く変わったおばあちゃん。
「まどちゃん……落ちついて、聞いてくれる……?」
扇風機のなまぬるい風がそよぐなか、わたしはぼんやりと、ヒトゴトのようにおばあちゃんの話を聞いた。
──ママは、調査で入った森で未知のウイルスに感染し、亡くなった。
信じられなかった。
本当に、とつぜんのことだったんだ。
「うぅ……ぐすっ……」
河川敷で大泣きしてから、数分後。
さんざん泣きわめいて、つかれて。
目も頭もズキズキ痛くて。
わたしはひざにうずめていた顔を、そっとあげた。
(…………?)
さいしょに視界に入ったのは、あぐらをかく、足だった。
けっこう至近距離。
(えっ、なに?)
びっくりしてさらに上を見ると──。
ケイと目が合った。
いつものケイとはちがう表情。
怒ってるわけでも、不機嫌なわけでも、あきれてるわけでもない。
とても……心配そうな顔をしていた。
「…………」
じっと見ていると、ケイは、おろおろと目をおよがせる。
「あ……」
「…………」
「その……」
何度かわたしに話しかけようとしては、やめて下をむく。そのくりかえし。
もしかして、わたしが泣いてるあいだ、ずっとこうしてたのかな。
泣きわめく女子と同い年の男子、なんて、はたから見たらかなりゴカイされそうな光景なのに。
まわりの目も気にせず、心配そうに。
(……ケイがわるいんだもん。感謝なんてしない)
はれて重たい目をこすりながら、じっとケイをにらみつける。
ケイは眉間にしわをよせながら、ポリポリと頭をかく。
なんでだろう。
不思議と、心がすこし、スッキリしてる。
わたしはフゥと鼻から息をはいて、ぐるりとあたりを見まわした。
すると、近くに生えた一本の木が目にとまった。
「その木……」
無意識に、ぽつりとつぶやく。
「その木はね、スズカケの木っていうんだよ。花言葉は、『天才』。だからわたし、ずっと『ママの木だ!』って思ってた……」
話しながら、フッと思い出し笑い。
「だってね、すごいんだよ! ママの手作りプリン、分量も蒸す時間も超テキトーなのに、いつもおなじ味! ほかの料理は正直サイアクだったけど、プリンは天才的にうまかったの!」
ママってばドジだから、ボウルをひっくりかえしたり、タマゴを割るの失敗したり。
横でおばあちゃんが、あきれながら片づけをして。
キッチンは、ワーワー大騒ぎ!
それでも、完成したプリンはいつも完ぺきにおいしいの。
「……ほんと、すっごくおいしかったんだぁ」
なつかしくて、胸がつまって。
また、じわっと泣きそうになったら。
「──なるほどな」
ケイが、きりっとした表情に変わった。
バッと立ち上がったかと思うと、スズカケの木から数メートルはなれた場所で立ち止まる。
片目を閉じて、顔の前に三角定規をかまえて。
そのあと、地面に線を引きながら木の根元まで行くと……。
こんどは、幹に抱きついてる!?
(……な、なにしてるの?)
わたしがひどいこと言ったから、ショックで壊れちゃった!?
こわくなって、おそるおそるケイに近づいていく。
「あ、あの、ケイ……?」
「おおよその計算だが、この木は、プリン、約8000個でできているぞ」
ふりかえって、真顔で言うケイ。
わたしはあっけにとられて、ぽかーんと口をひらく。
「……へ?」
「全長約15mで、円周は約1m。体積はだいたい120万㎤」
……なに、どういうこと?
首をひねっていると、ケイは枝を拾い、地面に計算式を書きはじめる。
「この木がプリンのいれものだとしたら、いつも食べてる150mL入りのプリンが8000個分入る大きさだ。それだけあれば、一日10個食べても二年間はプリンにこまらないな」
えっ!?
一日10個で、二年分のプリン!?
そんなこと言われたら、スズカケの木が、でっかいプリンに見えてくる。
「わ~、それは最高だなぁ……」
「プリン一日10個を二年間なんて、気持ち悪くなりそうだけどな」
フッと苦笑いをうかべるケイ。
「そんなことないよ! プリンは、超すごいんだよ! 一口食べたらいやなことぜんぶ忘れて、幸せになれるんだもん!」
力をこめて言うと、ケイは「そうか」とちいさな声で言った。
「じゃあ……つくるか。その思い出のプリン」
おもわず、目をぱちくりさせる。
「つくるって……ママの、プリンを?」
ケイはこくりとうなずく。
「ムリだよ……ママ、本当にテキトーで。レシピとか、わかんないし……」
「もちろん一発で再現できるとは思ってない。算数とおなじだ。何度計算ミスしようが、最後に正解にたどりつければ、そのこたえにはマルがつく」
ケイの瞳はとても力強くて。
おもわず、ひきこまれる。
「たとえば百回プリンをつくったら、どうだ? それでも可能性は0%だと思うか?」
「それは……」
「まだやってもいないのに、ムリだと決めつけるな」
ケイが、スッと手をさしだした──そのとき。
わたしは、「えっ」と息をのんだ。
手のむこうが……透けて見える?
「ケイ、その手って……?」
わたしが言うと、ケイはまじまじと自分の手のひらをながめる。
うっすらと透明がかった手。
眉ひとつうごかさないのに……その目はかなしげだった。
「……なるほど。急に消えるというより、じょじょに体がうすくなるんだな」
──消える。
その言葉に、キンと心臓が凍りつく。
(そうだ……ケイたちはまだ完全な人間じゃないから、わたしが勉強しないと、消えちゃうんだ……!)
「うぅっ……」
また、鼻の奥が痛くなる。
こうやって今は近くにいるのに、ケイもほかのみんなも、いつか、消えちゃう。
だって、わたしは勉強をがんばってもずっとペケ。
なにをやってもどんくさくて、失敗ばっかで。
これから先ずっとテストでいい点をとりつづけるなんて、ムリに決まってる。
そして──いつか、本当にひとりぼっちになるんだ。
(ひとりぼっちは、いや……)
言いようのない不安で、胸が押しつぶされそうになる。
いやだ……ひとりぼっちは……。
「──さみしい」
ぽろりと、心の声がこぼれ落ちた。
ハッと息をのむ。
ずっと、言わないようにしてたのに。
ずっと、平気なふりしてきたのに。
でも…………。
「ほんとは……ずっと、さみしかった。おばあちゃんがいてくれたおかげで、なんとかやってこられたけど……でも、やっぱり、さみしいの。だれも、ママのかわりにはならないから……」
一度はずれたフタは、もうもどせない。
心の奥底にとじこめていた感情が、どっと波のように外へ押し出されていく。
ママは世界でひとりだけで。
ママにとっても、わたしは世界にひとりだけだった。
だれよりも心配してくれて、だれよりもよろこんでくれる、わたしだけのママ。
どんなに他のだれかが心配してくれても、ママのかわりにはならないの。
だって優ちゃんにも先生にも、それぞれに家族がいて、時間がきたら、べつべつの家に帰っていくんだから。
だから……本当はママに、もっと、一緒にいてほしかったんだ。
お仕事なんかしないで、ずっとそばにいてほしかった。
ワガママ言ってこまらせたくなかったからがまんしてたけど……一度くらい言えばよかったな。
あの日、わたしが「行かないで」って言えば、ウイルスに感染しなくてすんだかもしれない。
わたしがもっとワガママで、勉強もしない言うことも聞かない問題児だったら、ママはわたしのそばにいてくれたかもしれない。
──だったら、はじめから勉強なんて、がんばらなければよかった……。
「……わたし、なんでケイにこんな話したんだろ」
すごく不思議な感じ。
ずっとだれにも言えなかった気持ちなのに、ケイにはスラスラ話せたなんて。
まじまじとケイの顔を見ていると。
「まどか」
とつぜん、ケイがわたしの名前をよんだ。
名前でよばれたの……はじめてだ。
「まどかは今まで、ずっと、お母さんのためにがんばってきたんだよな」
その言葉に、ズキンと胸が痛くなる。
「……そうだよ。わたしはママにほめてもらいたくて、よろこんでもらえるのがうれしくて、勉強をがんばってた……」
でも、もう……。
つよく奥歯をかんで、下をむくと。
「そのがんばりをよろこんだのは、お母さんだけじゃないぞ」
えっ。
わたしはおどろいて顔を上げる。
「オレたちも……うれしかった。がんばって勉強してくれて、教科書を大事にしてくれて」
「うれしかった……?」
ケイたちが?
「ああ。でも、まどかはテストのたびに暗い顔をしてただろ。そんな顔を見るたび、オレが勉強を直接教えてやれればなって、いつも思ってた。がんばって成果が出たとき、まどかはきっと、いい顔で笑うだろうと思ったから」
どくん、と胸がふくらむ。
ケイがそんなふうにわたしのことを考えてくれてたなんて、思わなかった。
だって、いつもプリプリ怒ってて。「殺す気か!」って怒鳴って……。
でも、ケイはもっと前から──教科書の姿だったときから、ずっとわたしのこと、本気で心配してくれてたんだ……。
「オレはまどかに、満点をとらせてやりたい。ただ……それは一日や二日じゃムリだ。もうすこし、時間がほしい。ただ、この体の寿命は、オレの力ではどうにもできない……」
まっすぐにわたしを見つめる、ケイの瞳。
「オレには、おまえが必要なんだ!」
どきんっ
衝撃が、全身をかけめぐった。
同時に、ママの声が頭の中によみがえる。
あの日、教科書におまじないをかけてくれたあとの言葉……。
『いつか、あなたのことを必要だって言ってくれる人がかならずあらわれる。
そのとき、今がんばっている勉強が、きっと役に立つはずよ』
体の奥からじんわりとあたたかいものがあふれてきて、それが、全身にひろがっていく。
あのときは、どういう意味かよくわからなかった。
勉強はがんばるとしても、わたしには、とても役に立つものとは思えなかったから。
でも……。
ケイの顔を、じっと見つめる。
ぶっきらぼうで、不器用で、わたしのために怒ってくれる。
そんなふうに、わたしのことを全力で考えてくれる人がいるなら。
こんなにもわたしを、必要としてくれる人がいるなら……。
「ケイ」
わたしが名前をよぶと。
ケイはふいに、ハッと目をみひらいた。
「い、今のは、あれだぞ。寿命の、あれのことで、変な意味じゃないからな!」
へっ?
あ、まさか、「おまえが必要なんだ」っていう、アレ?
体がぼっと熱くなる。
「わ、わかってるよ!」
べつに変な意味でとってなかったのに、そう言われると、逆に意識しちゃうじゃん!
「…………」
「…………」
顔を真っ赤にするふたり。
な、なんかしゃべってよ! も~~~っ!
「あ、あの──」
「そこまでですよ、ケイ」
ケイがなにか言おうとしたとき、うしろから声がした。
「カンジくん!?」
ふりむくと、木のかげからカンジくんたち三人がぞろぞろと出てくる。
「ケイくん、ぬけがけ禁止だよ」
「レディーを口説くならもっとスマートにやれよな~。見てるこっちがはずかしいぜ」
ヒカルくんとレキくんの言葉に、カーッとますます体温があがる。
まさか……今の、聞かれてた!?
「い、いたならさっさと出てこい!」
「へっへーん。ちょうどいいとこでジャマするからいいんじゃーん」
「ケイくん、真っ赤だね。これは、はずかしいという感情から顔の血管が広がって、流れる血液量が増えることでおきる、『赤面』という現象で……」
「ええい、うるさいうるさい! まずは盗み聞きをあやまれ!」
ギャーギャーにぎやかに言い合う男子たち。
なんだか気がぬけて、ボーッと見てたら。
「へっ?」
ふいに、ケイがわたしの手をつかんで、ひっぱりあげた。
ふわっと、自然に立ち上がる足。
「ほら。帰るぞ」
どきん
胸のなかに、あたたかな音がひびく。
「帰る……一緒に……?」
「オレたちはまどかの教科書だ。とうぜん、帰る家は一緒にきまってる」
ケイはそっけなく言って、ひとりで歩きだした。
「帰りましょう、俺たちの家に」
「行こうぜ、まるちゃん」
「まるまる、手、つなご?」
笑顔で言う、カンジくんとレキくんとヒカルくん。
そっか……。
なんだか不思議な感じ。
家族じゃないけど。
人間でもないけど。
でも……この四人は、わたしと一緒に、おなじ家に帰ってくれるんだ!
「うん、帰ろう!」
わたしは、笑顔で歩きだした。
体が、羽が生えたみたいに軽くなった感じがする。
五人での、にぎやかな帰り道。
笑顔の帰り道は、ひさしぶりだった。
『時間割男子① わたしのテストは命がけ!』
第5回へつづく(12月22日公開予定)
書籍情報
最新18巻もチェック!
- 【定価】
- 858円(本体780円+税)
- 【発売日】
- 【サイズ】
- 新書判
- 【ISBN】
- 9784046323835