わたしたちは三十分ほど、その場でオオカミが消えるのを待って、教室にもどった。
玲連は教室の床に消えたから、たぶん、帰ってくるのも教室だよね? 邪気をかじられて気絶したみんなも、とっくに目が覚めてるはず。
大騒ぎが続いてたらどうしようって、恐る恐る近づいたんだけど、だれもいなかった。
照明も消され、カーテンも閉められて、真っ暗だ。
樹ちゃんによると、大量の邪気を浴びたり、自分が吐いた邪気をマガツ鬼に食べられたりすると、朦朧としちゃって記憶が抜ける事が多いんだそうだ。
だからみんな、「なんだかよくわかんないけど、倒れてた?」みたいな感じで、ボ~ッとしたまま解散したんじゃないかなぁって。
玲連の姿も見当たらないけど、カバンがないって事は、やっぱり先に帰ったんだ。
樹ちゃんはその後、わざわざわたしを家まで送ってくれた。なのに、「ご両親にあいさつしたいけど、今度ちゃんと菓子折りを用意して、匠兄と出直すね」って、上がっていかなかった。
あと何日東京にいるのか、聞きそこねちゃった。樹ちゃんは自分の中学をお休みしてるんだろうから、そんなに長くはいられない?
そして──、わたしは玄関の戸を開ける前に、深呼吸。
帰り道は、樹ちゃんにすっごく気をつかわせちゃってた。
大好きなお兄ちゃんの前で、「友達に偽善者だと陰口言われてる」なんて、バラされちゃって、……ほんと、泣きたいくらい恥ずかしかったけど。
わたしは肩からかけた筆ポーチを、ぎゅうっと握り込んだ。
わたしが落ちこんでると、ちぃくんが、すぐに気づいちゃう。ちゃんとしっかり、笑顔でいなきゃ。
今日のいろんな事は、夜お布団に入るまで、胸の底に沈めておく!
わたしはほっぺたを両手で挟んで持ち上げてから、戸を開けた。
「ただいま~っ」
玄関に入ったとたんに、夕ご飯のいい香りが漂ってくる。
「今日、ハンバーグだ」
「あたり~。りんね、おかえり」
「すぐごはんだよ」
キッチンのほうから、お母さんとお父さんの声。今日は二人とも、家でお仕事だって言ってた。
泥まみれのスカートを見られないよう、急いで着替えて、こっそり下洗いしてから洗濯ものカゴへ。
居間へ向かうと、中庭に面した縁側には──、やっぱり。
毛布にくるまって、ミノムシになってる弟を発見した。
今日は起きてるみたい。毛布のはしっこに頭がのぞいてて、『面白難解漢字辞典』を広げてる。わたしがモモお姉ちゃんからもらった愛読書、また部屋から持ってきちゃったんだ。
まだちぃくんには読めない字ばかりだと思うけど、こういうの、眺めてるだけで楽しいんだよね。
うちの本棚は、消えたお兄ちゃんが残した、中国や古典の漢字の本がいっぱいだ。わたしにはまだ難しすぎるけど、やっぱりページをめくるだけでワクワクするもん。
「ちぃくん、ただいま」
「おかえりぃ」
あくびまじりの「おかえり」に、まだヒリヒリしてた心が、ふっとゆるむ。
わたしはミノムシの毛布の中へ突入した。
「ちぃくん、あったか~いっ」
「ひゃあっ。りんね、手が冷たいよ」
「ぬくぬくだぁ」
やめてーとか、やめなーいとか、毛布の中でジャレあって、くふくふ笑う。
ちぃくんの柔らかいほっぺたから、体温だけじゃないあったかさが、骨までじんっと伝わってくる。
家族四人でそろってごはんを食べる時は、いつもちぃくんの幼稚園での話を聞くんだ。
でも今日のわたしは、上の空だ。
頭に浮かんでくるのは、怒濤の一日の事。最後にやっぱり、八上くんの言葉に行き着いちゃった。
……「偽善」って、なんだろ。
人のしてほしいようにばっかりしてるって、ダメなのかな。
だって、たとえば桜が八上くんとペアのままで、文化体験の教室がずーっと重たい空気なんて、みんな嫌だったよね?
今日やるって決めたお役目だって、樹ちゃんは「りんねちゃんはどうしたい?」って聞いてくれたけど、ミコトバヅカイがいない状況じゃ、わたしがやらないって断ってたら、樹ちゃんたちが危険だ。
そりゃ、わたしだって、ほとんど話した事ない、ぶっきらぼうな男子とペアで係は、ちょっと怖かったし、お役目だって……、命を削るかもなんて、親には伝えられない。
でも、桜もクラスのみんなも、樹ちゃんも、わたしにそうしてほしいんだろうなってわかっちゃったら、そうしたくなっちゃうよ。
〝裏でなに考えてるかわかんない〟っていうのだって。
わたしがいちいち、「ほんとは嫌なんだけど」「怖いんだけど」なんて前置きしたら、みんな遠慮する。
今日、玲連に「わたしは幽霊は見えない」って言い返したら、ものすごく怒ってた。やっぱり、期待してたのとちがう反応をされたら、嫌な気持ちになるものなんだよ。
だったら、みんな楽しく過ごせるように合わせたい。わたしだって、そのほうが安心してられる。
でも、……それが、偽善?
わたしはもそもそと、味のしないハンバーグを噛む。
親とちぃくんがおしゃべりしてるのを、ぼうっと眺める。
家族といる時は、そんなに意識しないでいられるけど、教室では、わたしだけふつうじゃない。
だから、みんなの輪の中に置いてもらうために、嫌な気持ちにはゼッタイさせたくないし、なにか役に立たなきゃ、喜んでもらわなきゃって、いつもどこか気持ちが焦ってる。
〝フシギちゃん〟じゃなくて、〝天使〟って言われるようになって、やっと毎日がうまく行き始めたんだよ。その居場所を守るためには、ちゃんと〝天使〟でいなきゃ……って。
そこまで考えて、わたしはギクリとした。
おはしからハンバーグが落っこちて、茶色いソースが跳ねる。
──そっか。わたし、そういうつもりだったんだ。
みんなが期待してくれる事を、そのまま叶える〝天使〟でいれば、友達でいてくれる──って、まるで自分の居場所の代金みたいに、みんなの気持ちをくんでた?
ならそんなの、親切に見えて、実は全部、自分のためだ。
……そんなコ、ほんとは何を考えてるかわかんなくって、気持ち悪いよね。
八上くんの冷ややかな瞳が、頭に思い浮かぶ。
あの人は、わたしのそんなとこまで、見透かしてたんだ。八上くんだけじゃないよ。陰口言われてるって事は、玲連たちや、もしかしたらクラスの他のみんなにも、気づかれちゃってる……?
口の中のものを呑み込もうとしたら、ギュッと喉が痛んだ。
どうしよう、めちゃくちゃ恥ずかしい。それに明日、みんなに会うのも怖い。
「りんね、ご本読もう」
ごはんの後、ちぃくんと二人で毛布にくるまって、絵本を開いた。
ちぃくんは、外遊びより、静かに過ごすのが好きみたい。家にいる間は、わたしと本を読んだり、書道セットでお絵かきして遊んでて、ちーちゃんの魂を感じる。
だけど、この前、夏祭りに遊びに行ったら、近所のお友達とかけっこして、ほんとにふつうのコみたいにキャッキャと笑ってたんだ。
わたしは……、それがうれしくて、ちょっぴり寂しかった。
ちぃくんは、ちーちゃんとそのままイコールじゃない。
いよいよふつうじゃないのは、自分だけになっちゃうんだ……って。
弟が大好きなのに、ちぃくんに、無意識にちーちゃんを求めちゃう自分にも、罪悪感だ。
樹ちゃんは、元々そういうお役目の家に生まれて育ってるから、ふつうじゃないのがふつうで、しかも今は一緒にいてくれても、今回の騒ぎが終わったら、また三重に帰っちゃう。
八上くんは同じだと思ったのに、彼は、わたしの事が嫌いなんだもんね……。
……すごく、ひとりぼっちだ。
だれかわたしと同じで、仲良くしてくれる人がいてくれたらいいのに。
──なんて、ほら。さっきは八上くんがずっと一人で大変だっただろうななんて同情しておいて、もう彼以外のだれかが、わたしのそばにいてくれたらいいのにって、自分の事を考え始めてる。
わたし、こんな偽善者で、ミコトバヅカイができるのかな。
わたしは偽善者で、自分が樹ちゃんに好かれていたいから、ふつうになれないのなら、せめてそっち側に入れてもらいたくて、千花を取ったんだ。
樹ちゃんにもそのうち、「りんねちゃんってそんなだったっけ」って、呆れられちゃうかもしれない……。
「──どうしたの?」
ほっぺたのくっつくような位置から、ちぃくんがきょとんと首を傾げた。
考えながら読み聞かせしてたら、止まっちゃってたみたい。
「ううん、なんでもないよぉ」
続きを読み始めたけど、ちぃくんは本じゃなくて、わたしの横顔をジッと見つめてる。
彼が何か言おうとしたタイミングで、電話の呼び出し音が鳴り響いた。
わたしは毛布からぬけ出して、急いで受話器を取りに行く。
「はいっ、藤原です」
『もしもし、こんばんは。今村です。夜分にすみません。りんねちゃんですよね?』
玲連のお父さんだ。
わたしは思わず、耳から受話器を離して、「えっ」とつぶやいた。
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つづきは
『いみちぇん!!廻 一.藤原りんね、主になります!』
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書籍情報
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- 【発売日】
- 【サイズ】
- 四六判
- 【ISBN】
- 9784041147412