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『いみちぇん!』続編!『いみちぇん!!廻』ためし読み連載 第3回

 オオカミの事も、消えた玲連の事も、そしていきなり現れた樹ちゃんの事も、怒濤の出来事すぎて、もう、なにがなんだかっ。

 樹ちゃんはわたしが追いかけてるのに気づいて、階段の手前で足を止めてくれた。

「玲連が消えたの、あのオオカミの仕業なんだよねっ? オオカミをやっつければ元に戻るっ?」

「うん、戻るよ」

 彼はにっこり笑ってうなずく。

「オオカミを消せば大丈夫。あいつはそんなに強くもなさそうだったから、心配はいらないよ」

 樹ちゃんは悪いものと戦ってきた一族の人だから、こういう事態には慣れっこなんだ。その頼もしさに、わたしは全身に走ってた電気みたいなビリビリの緊張が、ちょっとゆるんだ。

「樹ちゃんは、三重に帰ったんじゃなかったの?」

「帰ったよ。帰って、また来たの」

 樹ちゃんは、きっちりしめてたネクタイをゆるめながら、イタズラっぽく笑った。

「この制服、匠兄が中学生の時のなんだ。サイズがぴったりで驚いちゃった」

 昨日みたいに私服で校舎をウロウロしてたら目立つから、変装してきたのかな。

 オオカミが戻ってくるかもしれないって、心配して来てくれた? でも、だったら三重に帰る必要はなかったよね。

「ごめんね、りんねちゃん。くわしい話は後で。ぼくはオオカミを捕まえてくる」

 彼はわたしの質問が終わるのを待ってくれてたみたい。すぐに階段を下り始める。

「わたしも行く!」

「ううん、ここはぼくに任せて」

「でも、わたしの友達が大変なんだもんっ」

 断られてもついて行こうとしたわたしに、樹ちゃんはくるりと振り向いた。

「──りんねちゃんは、どうしたい?」

「え?」

 段を下りた彼と、同じ高さで視線がぶつかった。急に、真剣な顔だ。

「……五年前の事件や、もっと昔にあった事を、きみがどのくらい覚えてるのか、どういう風に理解してるのか、今までちゃんと聞いた事がなかったよね。でも──、」

 彼は、いつもの〝優しいお兄ちゃん〟じゃない、特殊な里からやって来た、特殊な修行をしてきた人の顔で、わたしを見つめる。

 わたしはたじろいで、スカートの布を両手でつかんだ。

「昨日の紙漉き体験で、真っ白な光が噴き出した時。あの場に、ありえないほど『強いもの』がいた。りんねちゃんも気づいてたよね」

「う、うん……」

「ぼくはさっきのオオカミよりも、そっちのほうが気になってるんだ。もしもあんなのが暴れ出したら、学校どころか、街が壊滅するレベルの災厄を引き起こす」

「……街が、か、壊滅?」

 頭に、ちぃくんやお母さんたちの顔が浮かんで、ゾッと首筋が冷たくなった。

「だから長に、これを持ち出す許可をもらってきたんだ。ぼくはそのために、いったん三重に帰ってきた」

 樹ちゃんは腰のポーチから、なにか取り出す。

 筆用の木筒だ。

 わたしは息を呑む。開けてもないのに、わたしには、中に入ってるものがなんだか、わかってしまう。

 その懐かしい気配に、胸をきゅうっと引き絞られる。

 裏山のお堂で保管してくれてた、わたしの宝物……!


「りんねちゃん。きみは、ミコトバヅカイになれるチカラを持ってる」


 目を見開いて、樹ちゃんを見上げた。

 わたしのお兄ちゃんのちーちゃんや、中等部の「姫」──モモお姉ちゃんが、そう呼ばれていた肩書き。

 今まで耳にする事はあっても、わたしに向けて、そう言われるのは初めてだ。

 わたしは呆けたように、樹ちゃんを見つめる。

「きみが〝悪いもの〟って呼んでるバケモノは──、ぼくら文房師は〝マガツ鬼〟と呼んでる。あれは、悪い言葉の邪気から生まれる、『鬼』なんだ」

 彼は語りながら、わたしが今、どれくらいの事を理解してるのか確かめるみたいに、じっと瞳を見つめてくる。

 ……マガツ鬼っていう言葉も、聞いたことある。わたしにその言葉を教えてくれたのは、カラスさんだ。

 人間が吐く、悪い言葉──禍々しい言葉は、黒い煙、「邪気」をまとう。

 その邪気から生まれるバケモノが、マガツ鬼。わたしが悪いものって呼んでる、あの動物の姿をした、ふしぎな生き物たちなんだ。

 樹ちゃんはわたしの目を見つめたまま、言葉を続ける。

「マガツ鬼は、『言葉の呪い』で人間をおびやかす。その鬼を、『言祝ぎ』のチカラで退治するのが、ミコトバヅカイだ。筆を武器に、言葉の術で、マガツ鬼を消し去る事ができるんだよ。それができるのは、ミコトバヅカイだけ。ぼくたち文房師は、ミコトバヅカイにお仕えする、家臣にすぎない」

「家臣……?」

「うん。りんねちゃんは前に、この御筆・千花を使って戦ってくれた事があるよね? きみの魂には、そういうお役目を果たせる、特別なチカラが備わってる」

 トクベツっていう言葉の響きに、さっきの玲連の、憎むような瞳を思い出す。

 わたしは、そんな言葉は、もうこれ以上もらいたくないのに。

 ──でもわたし、そのミコトバヅカイについて、まったく知らないワケではないんだ。


 太古って言うほどの、大昔。

 精霊たちとくらし、言葉のチカラを使う、神様みたいなふしぎな女の人がいた。

 その人は、チカラを利用しようとした人達に裏切られて、恋人を殺され、憎しみのあまり鬼に堕ちた。

 その古代の鬼が「言葉にかけた呪い」のせいで、人間が悪い言葉、禍ツ言葉を使うたび、悪いもの──禍ツ鬼が生まれ、禍ツ言葉の術で、人間を襲うようになっちゃったんだ。

 古代鬼を倒すため、彼女の娘が、一番初めのミコトバヅカイになった。

 ちーちゃんも、モモお姉ちゃんも、彼女の血を継ぐミコトバヅカイ。

 わたしが書道や漢字が好きなのは、この二人の影響だけど……。二人はまさに、特別な筆を使って言葉のチカラで鬼と戦う、ミコトバヅカイだったんだ。

 そしてちーちゃんは、強大な鬼をたおすために、自分の命を使い尽くして、……消えちゃった。

 カラスさんも、ちーちゃんのお役目に関わる仲間だったんだと思う。ちーちゃんがいなくなった日に、フッと消えてしまった。

 少しだけ残ったちーちゃんの魂は、わたしの弟のちぃくんと、そしてこの御筆・千花に宿ってる。

 樹ちゃんが三重から持ってきてくれた、その筆にだ。

 ……そして樹ちゃんが今言ってたとおり、わたしは五年前、千花を使った事がある。

 小学二年生の頃の話だ。

 わたしは古代鬼の魂のカケラに、体を乗っとられてしまって。千花で言葉の術を使い、大暴れした。

 みんながわたしに怯える、あの恐怖の顔は、ずっと頭にこびりついてる。

 だけどモモお姉ちゃんが、わたしの体から古代鬼のカケラを抜いてくれたんだ。でもそこで、彼女は力尽きちゃって。

 わたしは初めて自分の意志で千花を使い、鬼のカケラを浄化した。


 樹ちゃんが捧げ持つ千花を、凝視する。

 この筆は、あの事件以来、ずっと矢神さんちで守られてて、わたしはたまにしか会えなかった。

 ……ちぃくんと同じだけど同じじゃない、もう二度と会えない、わたしのお兄ちゃんの気配がする。

 わたしは無意識に足を踏み出し、その筆を手に取ろうとする。

 なのに樹ちゃんは腕を引き、わたしから筆を遠ざけた。

「りんねちゃんはこの千花を使って、マガツ鬼と戦える。オオカミを倒して友達を助けることも、ぼくが一人でやるより、ずっと早いと思う。文房師は、マガツ鬼に決定的な攻撃はできないんだ。ぼくら文房師は、ミコトバヅカイが戦うための武器を用意して、となりで支えるのが、本来のお役目だから」

 樹ちゃんは千花の筆筒に、視線を落とす。

「だけど」

 彼は言葉にするのを迷うみたいに、わたしから目をそらした。でも再び、意を決したようにわたしを見つめ直す。

「だけどその分、りんねちゃんは、──命を削られる」

「いのち」

 おうむ返しにくり返したわたしに、彼はうなずく。

「術は、心のチカラ、命をエネルギーに変えて発動する。だから、術を使ったぶんを、しっかり休んで回復させて、それまで術を使わないようにしてって、よっぽどうまくコントロールしないと、……今まで戦ってくれたミコトバヅカイたちみたいに、……寿命が短くなってしまうかもしれない。

 でも、いざマガツ鬼と戦いだしたら、チカラの残り具合をチェックしながら、ここまででストップ! なんて、できるかどうかもわからない」

 そこまで語って、樹ちゃんは哀しい顔で眉を下げた。

「ぼくは、りんねちゃんにはずっと平和で、幸せでいてほしい。本音では、この御筆は使ってほしくない。……それに、昨日の様子を見てて、りんねちゃん自身も、お役目はしたくないんだろうなって思ったんだ。ちがう?」

 樹ちゃんは小さく首を傾げてみせる。

 それはきっと、わたしが柏手を打たずに、邪気をたまったままにしてた事を言ってるんだよね?

 樹ちゃんの目は、優しい。わたしを責めてるわけじゃない。

 だけどわたしは、先生に宿題をやってこなかったのがバレた時みたいな気持ちになっちゃって、顔をうつむけた。

「で、でもね。樹ちゃんは、そのすごく『強いなにか』を見つけたら、戦うつもりでいるんでしょ? 樹ちゃん一人じゃ危ないよ。オオカミのほうだって……」

 文房師は決定的な攻撃はできないって、さっき教えてくれたばかりだ。

「大丈夫だよ。捕まえた後、邪気を食べられない所に閉じ込めておけば、そのうち、飢えて消滅するはずだから。ミコトバヅカイの直接攻撃よりは時間がかかるけど、なんとかできる」

「そのうち……」

「──りんねちゃん。ぼくが本当はお役目をやってもらいたくないのに、りんねちゃんに話をしたのはね。何も知らせないで、勝手にだまって選択肢を奪うのは、嫌だからなんだ。

 もしもりんねちゃんが御筆を取るなら、ぼくは文房師として、きみを守るパートナーになる。けど、りんねちゃんが『やらない』って決めたって、ぼくたちは今までどおり、大事な友達のままだよ。オオカミの事も、体験会の時の光の事も、全部、任せて。だからだれにも気をつかわないで、りんねちゃんの本心で答えてほしい。──もう一度聞くね?」

 樹ちゃんは表情をゆるめて、わたしを安心させるように、にっこりと笑った。

「りんねちゃんは、どうしたい?」

 わたしは──。

 言われた言葉を、胸の中でもう一度くり返して、スカートをにぎりこむ。

 モモお姉ちゃんや、つい数年前までミコトバヅカイをやってた人たちは、自分のお役目をしっかりやり遂げて、卒業した。みんなもう戦える体じゃないのも、わたしにはだれも説明してくれなかったけど、見ててわかってたよ。

 だから、今、筆を持って戦えるのは──、きっとわたしだけなんだよね?

 わたしは樹ちゃんを見つめる。そして、彼が両手で捧げ持つ、筆筒を。

 ふつうじゃない筆を持って、ふつうじゃないチカラを使って、ふつうにいるはずのない敵と戦う。

 もしもだれかに見られたら、変なウワサがあっという間に広まる。アキたち、仲良しだと思ってた人たちにまで、また「怖い」って言われるかもしれない。

 だけど、玲連には、今もわたしが見えないものを見てるの、とっくにバレてたんだもん。

 こんなトクベツは、望んでなかったけど……、どの道、もう今のままじゃ、いられないのかな……。

 モモお姉ちゃんみたいにみんなを助けることができたら、わたしが持てあましてたふつうじゃなさを、いい事に使える?

 もしもみんなにふつうじゃない事がバレても、いい事に使ってるなら、つまはじきにされない?

 樹ちゃんは特殊な里の人で、ふつうじゃなさはわたしと同じだけど、わたしは今まで「お役目」からは遠ざけられてた。でもこの筆を取れば、わたしも仲間にしてもらえるのかな。

 ……やって、って言われたら、わかったって即答するのに。樹ちゃんは優しいから、そう言わない。

 樹ちゃんは澄んだ瞳でわたしを見すえ、答えを出すのを待ってくれてる。

 ゴクリと喉が鳴る。その音がやけに大きく聞こえた。

 玲連はオオカミのマガツ鬼のせいで、床に落っこちて消えたままだ。その状態で、今、意識はあるのかな。怖がってないかな。早く助けてって、きっと思ってる。

 それに、樹ちゃんは心配しないでって言ってくれるけど、樹ちゃんだけじゃ、オオカミを捕まえるだけじゃなくて、「強いなにか」と戦うのも、ますます危ないはずだよ。

 わたしがやらなかったら、ホントは困るよね? だって、ほかにミコトバヅカイがいないんだから。

「……わたし、やる。お役目やる」

 最初は浅く、──次は、自分に言い聞かせるように、深くうなずいた。

 わたしの答えは、樹ちゃんの予想してないほうだったみたい。

 彼は瞳を大きくした。そしてだんだん悲しい目になっていく。わたしは答えを間違っちゃったのかなって、心臓が冷たく脈打つ。

「わかった」

 答えた声も、ふだんよりずっと硬い。

 樹ちゃんは階段をもどってきたと思ったら、わたしの前で、床にヒザをついた。

「どうしたの?」

 彼はそのまま深々と頭を下げる。

 まるで、童話に出てくる騎士が、お姫さまにするみたいな、恭しさで。

「……この命を賭してお守りする事を、文房師・矢神樹にお許しください」

「い、樹ちゃんっ?」

 仲良しのお兄ちゃんに頭を下げられて、わたしはどうしていいかわからず、アタフタしてしまう。

 命を賭して──って、この筆を手に取ったら、樹ちゃんに命がけで守ってもらう事になるの?

 そんなの、ぜんぜん実感がわかない。

 階段の下の方へ目を走らせた。早く追いかけないと、オオカミに逃げられちゃうよね。

 わたしは恐る恐る手を伸ばし、樹ちゃんが捧げ持つ筆筒に、指でふれた。

 彼はゆっくりと顔を上げる。

 踊り場の窓から射しこむ光が、そのまっすぐな瞳を強くきらめかせる。

 その瞳は、わたしだけを映してる。


「主さま」


 彼は、自分自身の魂に刻みつけるように、確かな声で、わたしをそう呼んだ。

 主さま……? わたしが、樹ちゃんのご主人さま?

 わたしには、文房師の世界の事は、よくわからないけれど──。

 彼の中で、「幼なじみの女の子」が、もっと別の、彼の魂を、彼の人生を丸ごと左右するような存在にぬり変わった。

 まっすぐに見つめてくる瞳に、それだけはわかった。

「あなたの御筆を、お取りください」

 うながされて中から出した筆は、ふだん使ってる書道用のより、ずっと重たい気がする。

 きっぱりとした真っ白な軸。柔らかな茶色い穂先。

 懐かしい気配に、体がぶるっと震えた。

 そしてビックリした。急に胸からときめきが溢れだして来たんだ。

 この筆を持っている自分が、すごく「正しい」気がする。筆だって、また会えたねって、喜んでるみたいに見える。

「千花、ひさしぶり……」

 わたしは思わず、唇の両端を持ち上げる。

 そんなわたしを、樹ちゃんはどこか悲しそうな顔で、床にヒザをついたまま見上げていた。


第4回へつづく(12月19日公開予定)


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書籍情報


作: あさば みゆき 絵: 市井 あさ

定価
1,430円(本体1,300円+税)
発売日
サイズ
四六判
ISBN
9784041147412

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