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10 信じる理由
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高校生だろうか、長いストレートの黒髪が印象的なその人は、光一を黙って見つめている。
涼やかな目元が和馬とそっくりだ。
「……美雪(みゆき)姉さん」
なぜか、さっきまで意地になってドアを閉めようとしていた和馬が、すっかりたじろいでいた。
「すごい美人! もしかして、和馬のお姉さん?」
「ふふ、ありがとう。和馬のお友達よね。こんなところにいないで、中にあがったら?」
美雪は、おしとやかな動きで玄関に降りたつと、にっこりとすみれにほほ笑みかけた。
「違うんだ、姉さん。オレたちは別に友達じゃなくて──」
「そう、あたしたち仲のいい友達なんです! 和馬くんの正体が忍びだって知ってるくらい」
「あら、そうなの」
すみれの言葉に、美雪はすっと目を細める。
これは、チャンスだ!
交渉術、その二。『人を説得するときは、まず相手の味方から』。
和馬の説得が難しいなら、まずは和馬の姉さんから説得する。
理由はわからないけど、美雪さんが来てから和馬が逃げ腰になってる気がするし。
光一は、すみれの横に並んで、美雪に向かいあった。
「じつは、和馬くんにお願いがあって来たんです。今、三ツ谷小で大変な事件が起きてるじゃないですか」
「脱獄犯が立てこもってる事件のこと? 先生が人質になっているし、心配よね」
「そうなんです。だから、おれたちで先生を助けだそうって、計画していて。それで、和馬くんに協力を頼んだんですけど、断られてしまって」
よし、ここで残念そうに肩を落として……。
光一が、下を向こうとした瞬間、耳元で、ひゅっと小さな音がした。
驚いて顔を上げると、いつの間にか、美雪の手元には荒縄がしっかりとにぎられている。
一体、セーラー服のどこから出したんだ!?
美雪のほほ笑みは、さっきまでのおだやかなものとはうってかわって、有無を言わさぬ迫力を備えていた。
……なんか和馬より、風早警部と似た威圧感があるな。
「それ、本当なの? 和馬」
「いや、その……」
和馬が、じりじりと後ずさる。突然、ぱっと方向転換をして外へと駆けだした。
「あっ、逃げた」
「待ちなさいっ!」
美雪が右手を振りおろすと、縄がヘビのようにしなやかに動く。和馬の足に、見事にからみついた。
和馬は、前転跳びで転倒を免れたものの、着地した瞬間、ずるずると美雪に足を引っぱられていく。すみれが感心して、頭上で拍手を送った。
「すごい!」
「毎日訓練すれば、できるようになるわよ。本当は和馬の方が強いんだけど、わたしは和馬が小さいころからずっと見ているから、なんとなく動きが読めるのよね」
そう言いながら、美雪は涼しい顔で縄を巻きとっていく。
えげつない……。
「和馬は、うちの流派の中ではトップクラスの腕前で、忍びの大会でも毎年優勝しているの。〈世界一の忍び小学生〉って言ってもいいくらい、実力は折り紙付きなんだけど……あら」
美雪が、縄を巻きおわる。けれど、いつの間に脱出したのか、和馬は美雪から少し離れた位置に立っていた。
あれから抜けだせるなんて、和馬の腕は本物みたいだな。
「いい機会だわ。和馬、みんなに協力してきなさいよ」
「嫌だ。忍びの技術は、個人的な理由で使っていいものじゃない」
「それなら、実地訓練、ってことにしたら? お父さんとお母さんは、わたしがうまいこと、ごまかしておいてあげるから」
美雪はセーラー服の襟に縄をしまいながら言った。
あれは、そんなところから出てきたのか!?
「無理だ。オレは、徳川のことをほとんど知らない。悪いやつじゃないとは思うが、すぐには信用できない」
「当然だな」
光一はウエストポーチから、さっき図書館で書きこみを入れた図面を取りだす。和馬に向かって、静かに差しだした。
「この中に、おれたちが考えた作戦が全部書いてある。これを読んで、判断してくれ。あまりに無茶でひどい作戦だと思ったら、風早警部に話して止めに来てもかまわない」
光一は、和馬に向かって一歩踏みだす。
「でも、もしいけると思ったら、協力してほしいんだ。どうするかは風早が決めてくれ」
「徳川くん、それでいいの……?」
クリスが不安そうに光一を見上げる。けれど、その視線をあえて無視して、光一は、じっと和馬だけを見つめた。
全然いいわけない。
でも、これは賭けだ。これくらいの誠意を見せないと、きっと和馬は動かない。
交渉術、その三。『相手のために、最大限の誠意を見せること』。
これでなんとか、説得できればいいけど。
和馬は光一から視線をそらして、ついと横を向いた。
「オレだって、橋本先生も……それに父さんも心配だ。だからって、父さんのために先生の救出に行けば、もし失敗したときにめいわくがかかる」
「だからこそ、これを読んで判断してほしいんだ」
光一は、和馬の手に見取り図を押しつける。和馬は、閉じたままの図面をじっと見つめた。
「協力するって言ったあとに、裏で父さんに連絡するかもしれないぞ」
「おれは、風早がそういうことをするやつだとは思わない」
「そんなこと、ただの直感で──」
「ちょっと、みんな見て!」
クリスが、手に持っていたスマホを指さす。光一は、横からのぞきこんで、すばやく画面の文字を目で追った。
『脱獄犯立てこもり事件、今夜にも機動隊突入か?
三ツ谷小学校で起こっている立てこもり事件について、警察は早期解決を目指し、早くも機動隊を突入させる準備を始めているようだ。』
「脱獄犯が提示した交渉期限は明朝。その前に、警察は機動隊を突入させる見込み、って……」
「まずいな。先に機動隊に突入されたら、作戦全てが無駄になる」
機動隊が突入すると、人質の橋本先生が盾にされたり、銃撃戦に巻きこまれたりして、危険になってしまう。だから、その前に橋本先生を助けださないといけないのに。
こうしちゃいられない。
光一は、さっと和馬に背を向けると、地面にへばりついたままの健太に近づいた。
「風早、おれたちは今日の夜に作戦を決行する。もし協力してくれるなら、学校近くの公園に来てくれ」
「徳川は、なんでそんなにオレを信じるんだ」
「……健太から、幼稚園のころの話を聞いたときに、そう思ったんだ」
「へ? ぼく?」
光一は、健太の手をつかんで、力強く引きあげる。
「前に、風早は、困ってる人を助けたんだろ? それだけって思うかもしれないけど、悪いやつじゃないって、仲間にしたいと思ったんだ」
もう玄関を振りかえらずに、光一は敷地から道路に出る。ふと足元を見おろすと、夕日で影が長く伸びはじめていた。