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3 封鎖された学校
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「みなさん、下がってください!」
「ここは危険です、離れて!」
危険? 学校が?
警察官の厳しい声が、ざわざわとしたけん騒の向こうから聞こえてくる。
「……すみれ。これ、ちょっと持っててくれ」
光一は、自分が持っていたバッグをすみれの手に押しつけると、左右を確認してからさっと道路を渡った。
こんなの見たことない。
興奮で、胸がどきどきと鳴った。
正門の前の人だかりに駆けよって、中をのぞこうとする。けれど、やじ馬やマスコミたち大人がつめかけていて、奥の様子はまったく見えない。
だれかに聞くのが早いか。
光一は、人ごみに目を走らせる。電柱の前で井戸端会議に花を咲かせているおばさんたちに、そっと近よった。
「すみません。一体、何があったんですか?」
「あらっ、三ツ谷小の子? テレビ、見てなかったの?」
一番近くにいたスーツ姿のおばさんが、顔をのぞきこんできた。
テレビで中継するような事件ってことか!?
たしかに、道路の反対側には中継車が三台停まっている。上空には報道用のヘリも飛んでいた。
こくりとうなずく光一に、奥にいたきつい目のおばさんが顔をしかめる。
「早くおうちに帰りなさい。子どもが、こんなところにいちゃ危ないわよ」
……子どもだからって、ばかにできるのかよ。
エプロンにつっかけ。おばさんだって、急いで出てきた、ただのやじ馬のくせに。
光一は、むっとした顔で後ろに下がる。話を聞かせてくれそうなターゲットを探していると、荷物を大量に抱えたすみれが、足音荒く駆けよってきた。
「もう、人に荷物を押しつけていかないでよ。で、一体どうなってるの?」
「まだわからない。けど、かなりの大事件みたいだ。危ないから子どもは帰れってさ」
「大人は危なくないの?」
さすが幼なじみ。話がわかる。
「でも、うちの学校で事件? 全然そんな心当たりなんてないけど……あっ!!」
「声がでかい。で、どうかしたのか?」
「事件で学校が封鎖されてるってことは、今日はホントに休みってことじゃん!」
「それはまあ、って、そこが問題か!?」
「だって、家に帰って宿題できるじゃない」
すみれは言うが早いか、くるりとユーターンして学校に背を向けた。
「これで、新学期早々、先生に怒られずにすむし。帰ろう、光一」
いつもより早く登校させた、張本人のくせに。
横断歩道へ向かうすみれを、光一は急いで追いかける。
「待てよ。おれはもう少し、事件の詳細を──」
「むーっ! むぐぐう! むぐぐっ!」
「ん?」
なんだ、今の。こう、何かがつぶされるような……。
光一は足を止めて、人ごみに視線を戻した。
けれど、特におかしなところはない。
せいぜい、さらにやじ馬が増えて、人ごみが大きくなっているくらいだ。
「今、何か聞こえなかったか?」
「気のせいじゃない?」
「いや、でも」
「むぐ、むごぐぐっ!」
……やっぱり気のせいじゃない。
光一は、押しあい圧しあいする人たちに、じっと目を凝らす。
ふくよかなおばさんたちの間から、ひょっこりと子どもの腕が飛びだしていた。それは、何かを探すように空中でばたばたともがいている。
「むぐ、ごういぢ! ずびれ! だず、だずげて……」
「あれ、もしかして健太(けんた)じゃないか?」
光一がそう言うと、まるでうなずくかのように、人ごみから突きでた手がパタパタと手招きした。光一とすみれは、思わず顔を見あわせる。
「はー、しょうがないなあ」
すみれは人ごみに近よると、その腕を両手で、ぐいとつかむ。さっと腰を落として、投げとばすように人ごみから腕を引きぬいた。
「せえの、巴投げアレンジっ!」
「いだ、いだだだ!」
すみれに引っぱられた健太は、嘘のようにすぽんと人ごみから飛びでる。空中で一回転して、歩道のど真ん中に、ドシンとしりもちをついた。
「健太、だいじょうぶか?」
光一が手を引っぱって立たせると、健太はぐちゃぐちゃになった髪をかきながら、あははと気の抜けた笑い声を出した。
八木(やぎ)健太は、光一とすみれのクラスメイト。小二で引っ越してきてから、三人でよく遊んでいる。
何もないところで一日十回はつまずくという、一級品のにぶさだ。けれど、健太には二人にはない特技がある。それはみんなを笑わせることだ。
本物にしか聞こえないものまねに始まり、コント、一人漫才、落語、手品など、みんなを楽しませることならなんでも大好きなのだ。
その趣味が高じて、人を楽しませるエンターテイナーとして、芸人やマジシャンなど、いろいろな大会に出場している、〈世界一のエンターテイナー小学生〉だ。
けれど、日頃はかなりどんくさいので、本当は〈世界一のドジ小学生〉なのではないかと周囲ではささやかれている。
けれど、それはそれで、本人的にはオイシイと思っているらしい。
「はあ、助かった。やじ馬の人とか、マスコミの人につぶされて、ぺらっぺらな体になるところだったよ」
「ぺらっぺらねえ……」
「ああっ、ほら、腕がぺちゃんこになってるし!」
健太はひーっと顔を引きつらせながら、Tシャツの左袖をぱたぱたと振った。
だらりと垂れさがった袖から、ぺしゃんとつぶれた手がのぞいている。袖の動きに合わせるように、手はひらひらと揺れた。
げっ。
「ウソ!?」
すみれが、ぎょっと目を丸くする。光一は動揺を隠して、袖から出た手を、ずっと引きぬいた。
「って、これ、手の形をしたグミじゃないか」
「やっぱり、光一にはバレちゃうなあ」
健太は、あははっと笑いながら、後ろに隠していた左腕を、ずぼっと袖に通しなおした。
……動かすのがうますぎて、一瞬本当かと思ったぞ。
「あんなところで、何やってたんだ? もしかして、健太もやじ馬してたのか」
「って、そうだった! こんなことやってる場合じゃなくて! 二人とも事件のこと、知らないの!?」
「あたしたち、早くに家を出たからテレビを見てなくて。そんな大事件なの?」
すみれの質問に、健太がめずらしく暗い顔になる。ちらっと、光一の方を見上げた。
なんだ?
「もう、早く教えてよ。健太」
「わわわ、わかったよ……」
すみれにせっつかれて、健太は真面目な顔で口を開いた。
「じつは、学校で立てこもり事件が起きてるんだ」
「立てこもり事件!?」
光一とすみれは、口をそろえて声を上げる。
立てこもり事件なら、テレビ中継があるのも納得だ。
「犯人たちは、昨日の夜に学校に侵入したんだ。仕事が終わって帰るところだった先生が気づいて、警察に通報して、それからずっと封鎖されてるんだよ」
「それなら、さっさと中に入って、その犯人たちを倒しちゃったらいいんじゃない?」
「それが、そうもいかないんだ。中にいるのは、脱獄犯なんだよ。ほら、ここのところテレビでたくさんやってたじゃない? 拳銃を持って逃走したっていう……」
「三日前に、四人組で都内の刑務所から脱獄した、あの凶悪犯たちのことか」
光一は、最近見た新聞の記事を、記憶から引っぱりだす。
事件発生直後から、朝も昼も夜もマスコミはその話題でもちきりだった。
近年まれに見る、大脱獄事件。
それぞれ異名を持つような大物の凶悪犯が四人、連れだって刑務所を脱獄したのだ。しかも、彼らは脱獄するときに、刑務官から拳銃を奪って一発を発砲し、逃走していた。
しかし、二日たっても一向に彼らの足どりはつかめず、マスコミもだんだんと、その話題に触れなくなっていたけれど──。
学校に立てこもった脱獄犯。
警察に通報した先生。
そして、さっきの健太の態度──まさか。
さっと浮かんだ推理を、光一は抑えた声で言った。
「──もしかして、司書の橋本先生が人質にとられてるのか?」
「えええ、なんでわかったの!?」
「いくら拳銃を持っていても一丁だけなら、すみれが言うとおり、もう機動隊が突入して制圧しててもおかしくない。でも、学校は閉鎖されたままだ。だから、人質がとられてるってとこまでは予想がつく」
「でも、それだけじゃ人質がだれかは……」
「春休みが明ける前に、学校に子どもは来ない。警察に通報したのが先生だっていうのも加味すると、人質も先生である可能性が高まる。そして、健太がおれに言いにくそうにしてたから、おれに関連の深い橋本先生かと予想したんだ。新学期に合わせて、新刊貸し出しの準備をするって言ってたこととも、条件が合うから」
「健太、ホントなの?」
さすがのすみれも、さっと顔を青くする。
「その……残念だけど、光一の言うとおりなんだ」
健太は一歩後ろに下がりながら、力なくうなずいた。
光一の頭に、春休みに入る前、図書館で会ったときの先生の笑顔が浮かぶ。
新学期になったら、新しい本をたくさん準備しておくから。
楽しみにしててね、と。
もしかして、おれのせいで!?
黙りこくった光一に、健太が励ますようにまくしたてた。
「あっ、でもさ! こういう事件って警察の人がなんとか解決して、人質を無事に助けてくれるんじゃないかなあ。その、さっき言ってた機動隊とか、警察の人が交渉したりして」
「いや、その可能性は低い」
頭の中で、情報を整理する。
自分を落ちつかせるように、ふうと息を吐いて、光一は二人に向きなおった。
「橋本先生が無事に助かる可能性が低い理由は、三つある。一つ目は、立てこもり事件であること。たしかに警察の統計によると、立てこもり事件などの逮捕監禁罪の犯人検挙率は、他の犯罪に比べると高い」
「じゃあ、やっぱり──」
「けど、人質が無事である可能性は低い。過去の事例からすると、生存率は良くて30%。無傷となると、確率はもっと下がる。犯人たちは、人質を盾にすることだってあるからな」
「なにそれ!?」
すみれが、きっと目をつり上げる。
「二つ目は、立てこもり犯が拳銃を持っていること。突入するとすれば、銃撃戦は免れない」
健太が、ごくりとつばを飲みこむ。
「三つ目は、立てこもり犯が凶悪な脱獄犯であること。現在、日本では司法取引もできないから、人質解放で刑を軽くすることもない。つまり、犯人側には、警察の取引に応じる材料が何もないんだ。しかも、脱獄するようなやつらってことは、同情を引いてなんとかできる相手でもない」
説明している光一も、だんだんと気が重くなる。
気がつくと、すみれは光一からわずかに目をそらして、くちびるをかんでいた。
「人を殺傷できる武器を持った、複数の極悪犯に人質をとられる。最悪のパターンだ。この条件から導きだされる、先生が無傷で助かる可能性は──1%ってところだろう」
あんまり口にしたくないけれど、これが現実だ。
「健太。脱獄犯たちは、なんて言ってるんだ?」
「ええっと、人質を助けたかったら、ヘリコプターを用意しろって要求してるみたい。ほら、うちの学校ってちょっと前に、大改修してきれいにしたでしょ? だから、屋上にヘリもなんとか停められるからって」
「ヘリを用意した後は? 先生はどうなるの?」
「安全なところまで無事に逃げられたと判断したら、そこで人質を解放するって」
「そんなの、ダメに決まってるじゃん!」
すみれは、健太の肩をつかんで激しく揺さぶった。
「相手は脱獄犯なんだよ!? そんな約束したって、守るかどうかもわからないじゃない!」
「そそそ、そんなこと、ぼくに言われても~」
健太の目が、うずまきのようにぐるぐると回る。
「助けてよ~、光一! このまんまじゃ、ぼく……」
あごに手を当てて一人黙りこくる光一に、健太が揺さぶられながら手を伸ばした。
助けて、か。
健太の言葉が、光一の頭の中で反響した。
そうか。
「……案外、悪くないかもしれない」
「え?」
すみれがぴたりと手を止めると、健太はへろへろとその場に座りこむ。
光一は、すみれと健太の顔を見くらべて、静かにうなずいた。
「先生を助けないか? おれたちで」
「えええ!?」
すみれも健太も、驚きで目を丸くする。
光一は、二人に合図して人ごみから少し距離をとると、小声でささやいた。
「脱獄犯たちも、まさか子どもがやってくるとは思わないだろ。警察だけ警戒していればいいと思っている油断を突いて、おれたちで助けだすんだ」
「ででで、でも! だからってぼくたちで!?」
「世界一のスキルを持ってる、おれたちだからだ」
「……ぼ、ぼくは、やっぱり警察に任せたほうがいいんじゃないかなあって思うけど。犯人は、拳銃だって持ってるんだし……」
健太が、もごもごと口ごもる。
「だいじょうぶだってば、健太。拳銃で撃たれたら、当たる前によければいいじゃない」
「すみれ、さすがにそれは無理じゃないか?」
「そうかなあ?」
すみれはちょっと考えこんだものの、すぐ気持ちのいい笑顔になった。
「ま、あたしは賛成」
「え~! すみれ、正気!?」
「橋本先生には、あたしだっていっつもお世話になってるもん。その先生が危ないのに、黙って見てられないし。それに、そんな悪いやつらは、一発くらい投げとばしてやらないとね!」
すみれが、力強くこぶしをにぎる。健太はもう半泣きだ。
「そりゃあ、すみれはいいかもしれないけど~」
「じゃあ健太は、橋本先生がどうなってもいいわけ?」
「そそそ、そんなわけないだろ! ぼくだって、橋本先生のことは心配だよ。いつも、いろいろと相談にのってもらってるし!」
えっ、そんなの聞いてないぞ。
「いろいろって、何なんだよ。健太」
「それはっ、ぼくの深刻な悩みだよ! モテないとか、ときどき寒いギャグとばしちゃうとか」
「なに、その相談内容……」
あきれ顔のすみれが肩をすくめる。
なんだ、そんなことか。ちょっと焦って損した。
「とにかく、決まりだな」
「だいじょうぶだって! 〈世界一の天才少年〉の光一が、計画立ててくれるんだし。それに、最終的には、光一がなんとかしてくれるって」
って、全部おれに押しつけるのかよ。
光一は背後の校舎をちらりと振りかえる。
パトカーのランプで、白い校舎がちかちかと赤く染まっていた。
橋本先生、不安だろうな。
光一は、ぎゅっとにぎりしめていた拳をゆるめて、手を伸ばす。
すみれは、何も言わずにその上に手をのせる。もう片方の手で、硬直した健太の手をつかんで、ばちんと一番上に重ねた。
「橋本先生を……助けだすぞ!」
「了解!」
「だいじょうぶかなあ」
「ぐずぐず言ってたら、あたしがしょうちしないからっ!」
「え~~~!?」
「準備することはたくさんある。まずは、情報収集だ」
光一は何かに挑むように、重装備の警察官をじっと見つめるのだった。
第2回へつづく(4月17日公開予定)
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