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2 始業式は事件日和!?
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「光一、まだ怒ってるの? だから、ついつい投げちゃったんだってば」
後ろから、すみれが申し訳なさそうに苦笑いをする。両手に本がつまったバッグをさげた光一は、学校に向かって歩きながら、むっつりとした表情で返した。
二車線の広い道をまっすぐ、つきあたりを左に曲がって道路を渡ると、二人の通う三ツ谷(みつや)小学校がある。
道路沿いにあるマンションの向こうに、校舎が少しだけのぞいていた。
今日は、六年生になって最初の日。いわゆる始業式だ。
まだ時間が早いせいか、登校中の子どもはほとんどいない。
昨日まではしとしと雨が降っていたが、今日はぽかぽかとした春らしい天気。
たくさんの本をバッグにつめてきた光一は、額にじんわりと浮かんだ汗をぬぐった。
「ほら、こうして罪ほろぼしに、本を運ぶのだって手伝ってあげてるじゃん!」
「それくらいは当然だ。まったく、うちでタダ飯まで食べるなんてな」
結局、すみれは誘われるままに光一といっしょに朝食を食べた。
しかも、がっつりお代わり二杯も!
「未来のオリンピック金メダリストとしては、これくらいはね」
すみれは、みじんも反省していないのかぺろりと舌を出す。
たしかに、すみれは毎日、朝から近所をランニングした後、自宅の道場で組み合いのけいこをしている。自分の倍はありそうな大人ばかりが相手だから、あれくらい食べないともたないのかもしれない。
それにしたって、やっぱり食べす……。
いや、もう投げられるのはごめんだ。
「光一も、また柔道やろうよ。せっかく幼稚園のころはいっしょにやってたのに、小学校に入るなり、急にやめちゃってさ」
「いやだ、絶対やらない」
「なんで? 他の習いごとは、ちょこちょこやってるじゃん」
すみれは目を丸くしながら、首をかしげる。
光一も、柔道を始めたばかりのころは、それなりにハマって練習をしていた。いっしょに始めたすみれに負けたくないと、本を読んだり、大会を見に行ったりして、自分なりに研究もした。
数か月たったころ、光一は読破した柔道関連書、有名選手の手記などから、こう結論づけた。
どんなに練習しても、柔道ではすみれに勝てない、と。
すみれはスポーツ万能だけれど、柔道に関してはさらに突出した才能がある。しかも、すみれは本当に柔道が好きなのだ。毎日何時間でも、よろこんで練習する。
勝てるわけがない。
絶対に負ける勝負をするなんて、いくら相手が幼なじみでも、いや幼なじみだからこそ、嫌だ。
かといって、すみれに負けるのが嫌だからあきらめた、とは本人には言いにくい。
おれにだって、プライドくらいある。
「あたしの投げで受け身がカンペキにできるなんて、めっちゃレアなんだよ? センスあるって」
「おれが受け身だけ得意になったのは、すみれのせいだろ。それより、本ちゃんと持てよ。引きずってるぞ」
光一が注意すると、すみれは口をとがらせながら、しぶしぶ本がつまったバッグを抱えなおした。軽々持っているように見えるが、ざっと二十冊はある。
光一が持っている分を足せば、四十冊。
朝起こされたのはめいわくだったけど、すみれが来てくれて助かったな。
「この本、もしかして春休みの間に全部読んだの?」
「三日目には、もう読破してた。仕方ないから、あとは都立図書館に通ってた」
どうせ読まないだろうから、すみれにも自分の読みたい本を借りさせればよかった、と思ったのはヒミツだ。
「でも、別にいっぺんに持ってこなくてもよかったんじゃない?」
「……橋本(はしもと)先生が、春休み明けには新刊をたくさん準備しておくって言ってたから。借りてたのを返さないといけないだろ」
光一は顔を見られないように、少しだけすみれから目をそらす。
なぜかいつも、橋本先生の名前を出すのは、少しひやりとする。
橋本由美(ゆみ)先生は、二年前に赴任してきた三ツ谷小の学校司書。ボブヘアにロングスカートがトレードマークの、優しい先生だ。
先生たちの中で一番若く、話をしっかりと聞いてくれるから、図書館とは縁のない子どもからも頼りにされている。さながら、図書館の天使というかんじだ。
前の司書の先生は、図書館の本をほとんど読みつくした光一を持てあましていた。けれど、橋本先生は、光一にも気さくに声をかけ、おもしろい本をあれこれと、しかも的確に薦めてくれた。
一度読んだ本でも、先生に、「おもしろいよ」と薦められると、なんとなくもう一度読んでみようかなという気になってしまう。
……だからって、別にどうっていうわけじゃないけど。
「光一って、ホント好きだよね」
すみれの意味深な笑いに、光一はぎくりとした。
「……何が?」
「え? 本に決まってるじゃん。またこんなにたくさん読んでさ」
なんだ、そっちか。
考えを見抜かれたわけじゃないと知って、光一は内心で胸をなでおろす。すみれは光一を追いぬきながら、バッグにつまったぎゅうぎゅうの本をのぞきこんだ。
「えーっと、なになに。『とっておき未解決重大事件ファイル』、『交渉を絶対成功させる! コミュニケーションの秘訣』? こっちは、『未来にやってくる科学技術』。げ、英語の本も入ってる!」
すみれは、変なものでも見るような目で光一を振りかえる。
「何か文句でもあるのか」
「光一は、いっつもあたしのこと変わってるって言うけど、あたしは光一の方が変わってると思う……ま、〈世界一の天才少年〉らしくはあるけど」
すみれが言った不本意なあだ名に、光一はしぶい顔で眉をひそめた。
大人向けの百科事典を、幼稚園に入る前に読みおえた。それをたまたまテレビで紹介されたのが、きっかけだった気がする。
テストは常に満点。読んだ本はもう何十万冊かわからない。
〈世界一の天才少年〉。気がつくと、いつからかそう呼ばれるようになっていた。
でも、〈世界一の柔道少女〉に比べれば、断然地味なつもりだ。
「おれは別に変わり者じゃない。どこにでもいるふつうの小学生だ」
「じゃあ、最近読んで一番おもしろかった本は?」
「都立図書館で読んでた、中国の歴史書の『史記』。全部で百三十巻ある」
「春休みに出かけたところは?」
「博物館と美術館と、科学館を計三十か所。ジュニア数学オリンピックの合宿。じいさんの病院も、何日か見学させてもらった」
すみれは、うーんと変な顔でうなりながら、両手の人差し指と親指で長方形を作る。写真を撮るみたいに、その枠の中に光一をおさめた。
「……〈残念イケメン〉ってカンジ」
「何か言ったか?」
「べっつに。はー、その頭、あたしにもちょっと分けてくれれば、テストだっていつも満点になれるのに」
「その様子だと、どうせ春休みの宿題もやってないんだろ。先生が泣くぞ」
「ほら、光一が忙しかったみたいに、あたしもあっちこっち行っててさ」
「スキーかスノボの合宿に参加してたとか?」
「えっ、なんでわかったの!?」
「そんなの、その顔を見れば一目瞭然だ」
光一は、すみれの鼻先をちらっと横目で見た。
「春休みに入る修了式の時よりも日焼けしてるのに、目のまわりだけ焼けてない。そんな特殊な日焼けをするスポーツなんて限られてる」
「さっすが光一。じつは、スポーツクラブに行ってる友達に誘われて、カナダのスキー大会に出てきたんだ! だから、宿題忘れちゃったの、許してもらえないかな~。それか、光一がやったのを写させてもらうとか」
「読書感想文を?」
「それはやめとく……」
すみれは、はあっと憂鬱そうにため息をついた。
「あーあ、学校が今日まで休みになったりしないかな。宇宙人が攻めてきたり、学校のみんながゾンビになっちゃったり」
「宇宙人もゾンビもマズいだろ」
そうだよねえと言いながら、すみれがしょんぼりと肩を落とす。
いつも元気なすみれがへこんでると、なんだかこっちが落ちつかない。
……しょうがないな。
「ちょっと早めに学校に着くんだし、図書館で短い本を借りたらいいんじゃないか? そうすれば、放課後までに提出できるかもしれないぞ」
「えーっ!? せっかく早めに家を出たのに?」
「好都合だろ」
「違うんだって。あたしがいつもより早く家を出たのは、転校生が来るって聞いたからなの!」
「それに付き合わせようって、わざわざうちに迎えに来たのか?」
すみれは朝早くに起きるけれど、学校には柔道の練習をしてから来る。だから、登校中の光一を、いつも後から走って追いかけてくるのだ。
「だって、転校生だよ!? しかも、その女の子がすごいの。なんと、〈世界一の美少女小学生〉なんだって!」
すみれがぶんぶん腕を振ると、バッグの中で本がぎしぎしと苦しそうな音を立てた。
「なんでも、小学生美少女コンテストの世界大会で優勝した子らしいよ。近所のおばちゃんが、引っ越しの時に見かけたらしいんだけど、メチャクチャかわいかったって」
「すみれといい健太といい、うちの学校、変なやつが集まりすぎじゃないか?」
「光一にだけは言われたくないけど」
「そんなこと言ってると、宿題用の本を選ぶの手伝ってやらないぞ」
「何よ。光一のケチ!」
すみれは、光一に向かってべーっと舌を出すと、学校へ一目散に走りだす。
軽やかな動きで、学校前のマンションの角をひょいと曲がった。バッグの中で、また本がばさばさと音を立てる。
「すみれって! そんなにしたら本が曲がるだろ」
光一は、後を追うように駆けだす。
息を切らしながら角を曲がると、視界いっぱいに、すみれの後頭部が見えた。
あわててブレーキをかけるが、少し遅い。
ぶつかった衝撃で、すみれが背負っているリュックが、ぎしっと鳴った。
「いてっ。なんでこんなとこで、立ち止まって……って」
ぶつかられて文句を言ってくると思ったのに、すみれはらしくもなく、足を止めたまま、ぼうぜんと前を見つめている。光一も、その視線をたどって学校に目を向けた。
道路を挟んだ向かい、横断歩道の先にある正門に人だかりができている。スペースに入りきらなかったのか、人が車道にまではみだしそうになっていた。
それだけじゃない。
学校の敷地を囲う金網には、一定の間隔ごとに、ものものしく警察官が立ちならんでいる。
そして、正門にかかった黄色い封鎖用のテープには、見慣れない文字がでかでかと印刷されていた。
本や画像では見たことがある。
でも、本物は独特のキケンな香りを放っていた。
〈立入禁止〉
学校が、封鎖されてる──。
「朝聞いたサイレンは、夢じゃなかったのか」
「……もしかして、ホントに学校、休みになっちゃった?」
二人はぼうぜんと学校を見上げながら、ぽつりとつぶやいた。