16 あと一歩の勇気
「あかねくん、かえでさん!」
つぎの日の放課後。教室でかえでと藤司と3人で話しているところに、左野先生がそばへきた。
「クラブ活動の件だけど、そろそろ2人の希望をきいてもいいかな?」
「はい! オレは、サッカークラブがいいです」
「あかねくん、体育でも大活躍だもんね。かえでさんはどうする?」
「え、えっと、わたしは……おえかきクラブがいいかなって」
「秋倉さんが所属してるし、かえでさんは絵が上手だもんね。2人とも、特技が活かせてすごくいいと思う」
左野先生はメモをとりながら、にこやかに告げる。
「藤司は、来年もサッカークラブ、つづけるだろ? チームメイトだな!」
声をかけると、藤司は「お……おう」と笑いかえしてきた。
そうだよね、よかった。
そこに、
「元気でいいねえ」
ふと、おだやかで、低くしわがれた声がひびく。
視線を移したとたん、左野先生はピシッと姿勢を正した。
「こ、校長先生! わざわざ教室までいらしてくださったんですね」
「転校生と、まだ一度も話せていなかったのが気がかりでね。こんにちは、あかねくん、かえでさん」
「「こんにちは」」
うちらはそろってペコリと頭を下げる。
背は少し低くて白髪が目立つ、おばあちゃんと同じくらいの年齢の男性だ。
朝会で、台の上で話しているところは何度か見ているけど、こうして直接言葉をかわすのは初めてだった。
「左野先生からきいていた通りの優秀な生徒がきてくれて、とてもうれしいよ。あかねくんのゴール、わたしも見てみたいな、豪快なんだろうね。かえでさんも、かわいらしい絵を描くそうじゃないか。ぜひコンテストに絵を出してみてね」
かえでがひかえめにうなずくと、校長先生の視線が、さらに藤司にむく。
「柴沢くんも、ひさしぶりだね。やはりわたしの言うとおり、サッカークラブにしておいてよかっただろう? あかねくんも入部するようだしね」
「は、はい……」
藤司は言いよどみ、少しいごこちが悪そうに目を泳がせる。
……どうしたんだろ。
「それじゃあ、わたしはそろそろ失礼するよ。左野先生、じゃまして悪かったね」
「いいえ、ありがとうございました」
校長先生が教室を去っていくと、左野先生はひとりごとのようにつぶやく。
「校長先生、生徒ひとりひとりに目をかけてらっしゃって、すごいなあ。僕も見習わないと」
たしかに、校長先生がわざわざ、うちらのために教室まできたのは、ビックリした。
うちは左野先生にきこえないように、声をひそめる。
「なあ藤司、校長先生と、なにかあったのか?」
「いや……別にたいしたことじゃないよ」
「そ、そうか」
気になるけど……藤司がそう言うなら、これ以上追及はできない。
「それより、そろそろ下校時間だぜ。途中までいっしょに帰らないか?」
「わるい。オレもかえでも、ちょっと用があるんだ」
うちがそう答えると、かえでも、ゆっくりとうなずいた。
そう。これから、うちらにとって、大事な用事があるんだ──。
◆
「辻堂先生─!」
「あら、あかねちゃん、かえでくん。いらっしゃい」
うちらが保健室のドアを開けると、辻堂先生はやさしく迎えいれてくれる。
先生に呼びかけられて、うちは少し、こそばゆくなる。
うちのことを女子として扱うのは、この学校では辻堂先生だけだ。
以前ならイヤだったけど、今は少しほっとする。
保健室には、ほかにだれもいなかった。
「先生、相談にのってもらっていいですか?」
「もちろんよ、どうぞすわって」
辻堂先生は、しっかりとうなずく。
それから、念のためドアのところまでいって、あたりを見まわして、鍵をかけてくれた。
うちらのヒミツを知った辻堂先生は、本当にだれにもヒミツを言わずに、ただ協力してくれた。
唯一、うちらが信頼できるおとなだ。
うちは、ときどき、トイレを借りることもあった。
「それで……2人そろってどうしたの?」
ならんですわったうちとかえでの顔を見くらべて、先生が表情をあらためる。
うちは、せなかをピンとのばした。
となりで、かえでも同じように先生を見つめている。
うちはドキドキしながら、口を開く。
「うちとかえでは……このまま性別をとりかえていていいのか、迷ってるんです」
「先生は、ぼくたちのしてること、悪いことだって思いますか……?」
「そうねえ。先生は、大事なのはそこじゃないと思う。悪いか悪くないかなんて、どうでもいいことよ──なんて、教師の言うことじゃないわね」
あごに指をそえて話す辻堂先生は、自分の言葉に苦笑した。
「じゃあ、先生は、うちらがずっとこのままでも怒らない?」
「ええ、もちろん。怒る権利なんて、だれにもないわよ。だから、あかねちゃんとかえでくんが、ずっと今のままでいたいって思うなら、先生は喜んでサポートをつづけるわ。……でも、ちがうのでしょう?」
辻堂先生のするどい問いに、うちらは静かにうなずいた。
かえでが、いつも気を張り詰めていること。
うちが、太陽を傷つけてしまったこと……。
「はい。『とりかえ』をしても、なにも問題がないってわけじゃなかったし……」
「結局、自分らしくいられないんです。でも、じゃあどうすればいいか、わからなくて……」
かえでも、両手をにぎりながら、不安そうに答える。
「そうね。じゃあまず、あなたたちが、自分らしく話をしてみたい人に、まっすぐにむきあってみるのはどうかしら」
「えっ……」
「あなたたちらしくいるために、『あかねくん』と『かえでちゃん』になることは、本当に必要なの?」
うちは、ハッと息をのむ。
先生の言葉が、ある人の顔を思いうかべさせた。
茶髪に猫目で、すっごく気が合う子。
だけど、もう二度と話すことはできないかもしれない……太陽だ。
太陽と接するとき、うちは自分の性別のことなんかぜんぜん考えずに、気持ちのまま、おしゃべりができた。
そっか。だから太陽といっしょにいると、楽しいんだ。
太陽の前では、ウソいつわりのない、うちそのものでいられるから。
でも、だからこそ……。
「もし、本当のことを話して、受けいれてもらえなかったら……」
「そうね。きっとそのときは、とても傷つくわね。もしかしたら、伝えなければよかったと思うような結果になるかもしれない。それでも……よ。あなたたちが自分のことを理解してほしい、相手を信じているという気持ちを、『伝える』ことが大切なんじゃないかしら」
「「……」」
「それに……もし、傷つく結果になったとしても、あなたたちには、それぞれ、最強の味方がいるでしょう」
うちとかえでは、迷わず、おたがいの顔を見あわせる。
その様子を見た辻堂先生は、ほほえんだ。
「2人でなら、きっと勇気を出せるわ。一歩踏みだしてみたら、次に進む道が見つかるかもしれないわよ」
うちは床においていたランドセルをかつぎ、とびらに手をかける。
「先生、ありがとうございます。うち、いってきます!」
「ええ、いってらっしゃい」
先生は、ひらひらと手をふって、うちを送りだしてくれた。
17 太陽に会いたい
うちはランドセルを揺らしながら、全力で、あのグラウンドのほうへむかう。
──太陽に、会いたい。
ずっと連絡はとれないし、太陽の家なんて知らないし、手がかりは、これまでの会話だけ。
あのグラウンドがギリギリ学区外ってことは、太陽が通っているのは、あざみ小学校のはず。
もうほとんど下校しているだろうけど、とにかく、学校にいってみよう。
いなかったら、一番近い病院にいってみる。
それでもダメだったら、学校の近所の家の表札を、1軒ずつ見てまわればいい。
太陽の『明里』って苗字、めずらしいからね。
絶対、見つけだしてみせる。
あざみ小学校の学区に入ると、下校中の生徒の姿があった。
「太陽────! 太陽、いる────っ?」
まだまだ暑いこの中で、体の弱い太陽が、みんなといっしょに帰るはずがないのに。
でも、なにもせずにはいられず、うちはさけびつづける。
ジロジロと見られたって、はずかしくなかった。
みんなの進行方向に逆らいながら小走りしていると、ポツリとこんな声がきこえてきた。
「太陽って、もしかして明里のこと?」
よっしゃ、きたあ!
すかさずうちは急停止して、声の主のもとへとびつく。
「そうっ、明里太陽っ! きみ、どこにいるか知ってる!?」
「さ、さあ、まだ学校にいるんじゃね? アイツ休んでばっかりだから、学校にきた日は放課後に残って、補習とか受けてるっぽいし」
よしっ、有力情報ゲット!
太陽が帰っちゃう前に、いかないと!
「教えてくれてありがと! ホントに助かった!」
お礼を言って、うちはふたたびダッシュした。
◆
あざみ小学校の正門にたどりついたうちは、そわそわと様子をうかがっていた。
門の前には、ちょっとこわそうな先生が立っていて、うかつに中に入れないの。
わすれものをとりにきた生徒のフリをすれば、かわせるような気もするけど……もしあの先生が、全校生徒の顔と名前を覚えていたら、アウトだ。
うーん、どこかから中に入れないかなあ。
フェンスにそって歩いていると、ふと、1か所穴があいているのに気づく。
かなり小さいけど、うちならギリギリ通れるかも。
太陽の下校を待ちぶせするっていう手もあるけど……いつになるかわからないし、きっと、お父さんかお母さんが車でお迎えにきて、長話はできないはず。
……ここまできたら、やるしかないか。
うちは決心すると、先にランドセルをおしこんで、どうにか内側に入れる。
人気がないのを確認して、うちも穴をくぐりぬけた。
よし。あとは堂々と、ここの生徒のつもりで歩こう。
うちは全身についた土をはらうと、校舎のほうへむかう。
下駄箱で太陽のくつを探すと、4年2組だということがわかった。
うう、うわばきがないのが心もとない。
先生とすれちがったときに、なにか言われたらどうしよ。
でも、運よくだれともすれちがわずに、4年2組の教室へたどり着いた。
話し声はきこえないけど、人の気配がある。
だれだろう。おねがい、太陽でありますように……!
そっとうしろのとびらを開けて、中をのぞきこむ。
プリントにとりくむ、そのうしろ姿は──。
「太陽だっ……」
うれしくてうれしくて、つい、口に出してしまう。
静かな教室にひびきわたるには、十分な声量だった。
「えっ…………あかね?」
ふりむいた太陽の目が、まんまるになる。
「ど、どうしてあかねがここに!?」
「あの……太陽にどうしても会いたくて、こっそり……」
「しのびこんだの?」
「うん、フェンスの穴から……」
「マジか。やるなあ、あかね」
「ナ、ナイショにしてくれるよね? ねっ?」
思わず必死になって言うと、
「うん、もちろん」
太陽は口もとに手をあてて、クスリと笑う。
ひさしぶりに太陽の笑った顔が見られたことに、うちはホッと胸をなでおろす。
「あー、よかった。……ねえ、そっちにいっていい?」
うちはそっと、太陽の席に近づいた。
うちと太陽の間に、微妙な空気が流れる。
「……太陽、話したいことがあるの」
「……うん」
「まずは、謝りたい。この前はイヤな思いをさせて、本当にごめんなさい」
「俺は謝罪より、どういうことなのかが知りたいよ、あかね」
「わかった」
うちはランドセルからスマホをとり出して、電源を入れ、1枚の写真を太陽に見せた。
転校初日にとった、かえでとのツーショットだ。
スカートをはいた、うちとそっくりなかえでの存在に、太陽はまばたきする。
「すごい、そっくり! そっか、これがあかねの友だちが言ってた、ふたごの妹?」
「うん──って、言いたいところなんだけど、実は、弟なの」
「えっ、これが弟!?」
今度は目を白黒させて、写真を何回も見なおす。
「そう、ふたごの弟で、うちはふたごのお姉ちゃん。うちが女子だっていうのは本当のことだよ」
「えっと……じゃあ、このあいだの友だちはどうして……?」
「弟──かえでが女子で、うちが男子だっていうことにしてるんだ。……うちら、学校で、ウソをついているの」
ハッキリと言葉にすると、あらためて胸が痛んだ。
「そうだったんだね……」
予想外の告白だったんだろう。
太陽は動揺した様子で、あいづちをうったきり、しばらくだまりこんだ。
それから、ふたたび視線をうちにむけなおす。
「どうしてあかねたちが性別をとりかえているのか……よかったら、俺に教えてほしい」
太陽の真剣なまなざしに、うちの口は自然と開いた。
「うん。うちとかえでは、ずっと前から──」
もう、ウソはつかない。すべて、言葉にするんだ。
うちが気づかなかっただけで、10歳になる前からずっと、「女の子らしく」なることを望まれていたこと。
「男の子らしさ」を求められていたかえでが、どんどん笑顔と言葉を失っていったこと……。
誕生日会の日に、みんなにハッキリと言われたときに感じた、激しい胸の痛み──。
うちの話をきき終えると、太陽は神妙な顔つきでつぶやく。
「そっか。大変な思いをしてきたんだね……」
「うん。……ねえ太陽、うちの話、信じてくれる?」
「もちろんさ」
うちがおそるおそるたずねると、太陽はすぐにうなずいた。
そんなに簡単に信じちゃって、いいの?
だってうちは、うちが女子だってすぐに気づいてくれた太陽のこと、うらぎったんだよ。
「うちらは2人して、みんなをだましてる。ひどいって、思わない?」
声がふるえる。
うちの不安を見透かすように、太陽はおだやかに口を開く。
「悪い心で人をだましている人は、一生けん命、こんなところまで謝りにこないよ」
そう言って、うちの服に残っていた砂ぼこりをはらってくれる。
「それにね……あかね、もしかして、まだ俺が送ったメッセージ、見てない?」
「えっ?」
あわててアプリを確認すると、太陽からメッセージが届いていた。
あかね、この前はカッとなっちゃってごめん。
落ちついて考えられていたら、あかねは人をだまして喜ぶような子じゃないって、
すぐにわかったのに。
あの友だちがああ言ったのには、なにか理由があるんだよね。
俺はあかねのこと、信じてる。
心臓が、ブワッと熱くなった。
太陽は、うちが事情を話す前から、うちのこと、信じてくれてたんだ。
うれしくてうれしくて、涙がこぼれそうになる。
「太陽……ありがと」
うちがほほえみかけると、太陽は照れくさそうに頭をかいた。
「あかねがこれからも男子のままでいるのかは、俺にはわからないけど。俺はあかねがどっちを選んでも、ずっと友だちでいたい」
「うん、うちも。だって、太陽みたいな友だちが、ずっとほしかったんだもん」
言いながら、ぶあつい雲のすき間から光がさしたみたいに、ぱあっと視界がひらけた気がした。
──あなたたちらしくいるために、『あかねくん』と『かえでちゃん』になることは、本当に必要なの?
うちの中で、辻堂先生の問いがもう一度きこえた。
うちは、かえで以外に、本当の自分を認めてくれる人なんかいないって思ってた。
でも……そんなことはなかった。
太陽みたいに、そのままのうちを好きになってくれる人だって、いるんだ!
だったら……。
短く切りそろえた髪に、そっとふれる。
「太陽。うちは──」
コツ、コツ、コツ……
うちの話をさえぎるように、廊下で足音がひびく。
「まずい、先生が俺の補習プリントの進みぐあい、たしかめにきたのかも」
「ええっ!?」
ど、どうしよう。
うちがしのびこんだことがバレたら、いっしょにいる太陽まで怒られちゃうかも!
みるみる近づいてくる足音にあわてていると、太陽は立ちあがって、うちの腕をぐいと引っぱる。
「あかね、こっちにきて、しゃがんで」
「えっ、う、うんっ」
言われるままに身をかがめると、太陽はうちと自分を、教卓の下におしこめた。
太陽の鼓動と、うちの鼓動とが、重なってきこえる。
すぐに、ガラリとドアが開かれた。
「明里くん、どこかわからないところは──って、あら?」
太陽の姿が見当たらないことに、気づいたようだ。
「荷物はそのままだし、お手洗いにでもいったのかしら」
先生は不思議そうにつぶやくと、ふたたび足音を立てながら、教室をあとにした。
「ふう、なんとかなったみたいだね」
「だね。ああ、緊張したあ。ありがと、太陽」
「どういたしまして」
「ていうか、太陽は、わざわざかくれる必要なかったんじゃない?」
「あっ……た、たしかに。俺、そうとうあせってたみたい」
目と鼻の先の距離にいる太陽は、はずかしそうにほおをかいた。
「またひとつ、2人だけのヒミツができちゃったね」
「そうだね」
うちと太陽は顔を見合わせて、クスリと笑った。
教卓の下は暑くるしいけど、心の中は、おどろくほどすがすがしかった。
第6回へつづく(5月14公開予定)
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