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ものがたり

【大ボリュームためしよみ】ソノリティ はじまりのうた #8


中学生5人のさわやかで甘ずっぱい青春を描く、『ソノリティ はじまりのうた』大ボリューム先行れんさいがスタート!
音楽や部活の物語、恋の物語が好きな人はチェックしてね♪


#8 呼び捨てかよ

 サッと逃げようと思えば逃げられたのに、意思とは反対に体はこちんとフリーズした。おのずと呼吸も止まっていた。でも早紀はドアがある左側を向くのではなく、ゆっくり右奥を振り返った。
 そこには壁と同化したような、音楽倉庫に続く扉がある。しばらくして、その白い扉がぎっと音を立てて開いた。さらに間をおいて、音心(そうる)がバツが悪そうに首をすくめながら出てきた。
 涼万(りょうま)の心臓がまたしてもぼっこんと動いた。そして今度は反射的に首を引っ込めて、壁に身を隠した。汗がどっと噴き出したのに、指先は冷たい。
「音心だったの? びっくりさせないでよ。倉庫に人がいるなんて思っていなかったから」
 中から早紀の声が聞こえる。
 音心って、呼び捨てかよ。水野、井川とそんなに仲いいわけ?
 なんだか胸がざらっとした。
「ごめん。使っていない古いティンパニーが倉庫の奥にあるって先輩から聞いたから、探してたんだ。そしたら、早紀の歌声が聞こえてきたからさ」
「やだ、聴かれてたんだ」
 早紀の照れるような声に、こそばゆい気分になった。どんな風に、はにかんでいるのだろうか。見たい。おでこのあたりが熱くなった。
「最後まで歌を聴いてから倉庫を出ようと思ったのに、気づかれちゃったみたいだね」
「なんか、気配感じたの」
「そっか、気配ね」
 音心はフッと笑ってから続けた。
「それにしても合唱コン、早紀は歌わないと本当にもったいないな。指揮者じゃね」
 壁を挟んで、涼万もまったく音心の言う通りだとひとりうなずいた。
「……そうかな」
  早紀の声がくもる。
「でもこのクラスで振れるのは、早紀くらいしかいないか。あいつらがもっと真面目に歌ってくれればな」
 投げやりな感じで音心が言った。岳いわく「ただのオタク」に見えた音心が、クラスメイトのことを「あいつら」よばわりしていることに、涼万は小さなショックを受けた。
「わたしの指揮がよくないんじゃないかな」
「そんなことないよ。えっ、まさかそれで指揮の練習? どんなにうまく振ったって、ムダな気がするけど。あいつら、どうせ音楽なんて分かってないっしょ」
 涼万の眉間がしぼられた。
 音楽が分かってるなんて、俺にはとうてい言えっこないけど、その言い方はあんまりじゃね。
  歌声をこっそり聴いていたときの清々しい気持ちが、一気に吹っ飛んだ。腹の奥からむかむかが肥大していく。早紀は音心の言葉をスルーして、
「あ、今日はありがと」
 と、話題を変えた。
「なんだっけ?」
「ピアノの即興演奏。音心、またピアノの腕上がったね」
「最近、ジャズに興味があるんだ」
「へぇ。確かに音心はジャズが向いているかも知れないね。あのとき、音心の即興にみんないっせいに注目したよ。だから……」
「だから?」
「うーん、うまく言えないけど、音楽が分かるとか分からないとかは、理屈じゃなくて……。いいものは誰の心にも届くんだよ」
「早紀はいい子だね」
 音心は少し間を置いて、
「いい子いい子」
 と、続けた。それはまるで、頭をなでながら言っているようなそんな間合いで、またしても勝手に映像が浮かんでしまった。胸がざわざわ騒ぎ出す。
 どんな物音も聞き逃すまいと、涼万は壁際に耳をさらに数センチ近づけた。教室の中をのぞいてみたい気持ちと、のぞいてはいけない気持ちが交錯しだす。
 そのとき、廊下の奥からひょいと人影が現われた。


※実際の書籍と内容が一部変更になることがあります。

#9へつづく(2022年4月6日 7時公開予定)

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著者:佐藤 いつ子

定価
1,650円(本体1,500円+税)
発売日
サイズ
四六判
ISBN
9784041124109

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