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【スペシャル連載】第3回 「人に語ることだけが、向き合うことではない」――東日本大震災をかんがえる本『世界はとつぜん変わってしまう?』


これまで「あたりまえ」だと思っていた毎日は、ある日とつぜんなくなってしまうかもしれない? それはたとえば、災害によってかもしれませんし、別の理由によってかもしれません。
十一年前にここ・日本で起こったとても大きな地震、東日本大震災を知ることで、あなたも「世界がとつぜん変わってしまう」かもしれないことについて、ちょっとかんがえてみませんか?

第1期は、小学5年生で東日本大震災を経験した雁部那由多さんに、当時の状況、その体験を様々な人に語る「語り部」活動、大学での研究活動について質問をした内容を一部抜粋の形で紹介します。
つらい体験を語ることと語らないことについて、さっそく話をきいてみましょう。


 

Q.語るということは、だれにとっても大切なことですか?

A.人によってかたちはちがう。語る人、語らない人、記憶があいまいな人、とりあえず今は記憶にフタをして、忘れたふりをしている人……人は一人ひとり違うので、いろいろな人がいてあたりまえ。
 震災の記憶を伝えることを選んだ人も、その方法はさまざま。不特定多数の人に語るのではなく、家族にだけ語ることを選ぶ人もいる……。
 じゃあ、その人はなぜその伝え方を選んだんだろう。いろいろな人にそういう話も聞いてみたいし、研究してまとめてみたいと思っているよ。

Q.語らない人もいますよね?

A.もちろん。誰もが語れば楽になるわけではないし、語ることが正解なわけじゃないから。ぼくは語ることを選んだので、ときどき取材をされることがある。記者の方に『語らない人は、まだ震災と向きあえていないということなのですか?』と聞かれることがあるけれど『そういうことではありません』と答えている。
 そもそも『震災と向き合う』っていうのはどういうことなのか、ぼくにもよくわからない部分もある。『あの人は向き合えているけれどあの人は向き合えていない』なんて、誰にもわからない。だって、自分が向き合えているのかだってよくわからないのだし。

この回答をしてくれたのは…

雁部那由多さん
2022年2月現在、東北学院大学の3年生。東日本大震災がきたときは、小学校5年生でした。
宮城県の沿岸部に住んでいた雁部さんは、地震が起こった当日、津波を経験しています。
震災直後はだれにも話せなかった震災当日の話を、現在は様々な人に語る『語り部』として活動しています。


明日は震災から10年がたったころ(2021年)の現地の様子についてさらに話を伺います。

本の中ではさらにくわしく

雁部さんが経験した東日本大震災とはどんな災害だったのか、その後行っている「語り部」の活動とはどういうものなのか、くわしくは『世界はとつぜん変わってしまう?』第一章で取り上げています。
 


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