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【スペシャル連載】第2回 「自分の家族にも、当時は震災の話ができなかった」――東日本大震災をかんがえる本『世界はとつぜん変わってしまう?』


これまで「あたりまえ」だと思っていた毎日は、ある日とつぜんなくなってしまうかもしれない? それはたとえば、災害によってかもしれませんし、別の理由によってかもしれません。
十一年前にここ・日本で起こったとても大きな地震、東日本大震災を知ることで、あなたも「世界がとつぜん変わってしまう」かもしれないことについて、ちょっとかんがえてみませんか?

第1期は、小学5年生で東日本大震災を経験した雁部那由多さんに、当時の状況、その体験を様々な人に語る「語り部」活動、大学での研究活動について質問をした内容を一部抜粋の形で紹介します。
なぜこうした活動をするようになったのでしょうか? さっそく聞いてみましょう。


 

Q.自分の家族にも、当時震災の話ができなかったっていうことに、ちょっとびっくりしました。

A.ずっと(話が)できないままで、話したのは震災から4年がたった高校1年生の夏。ものすごく勇気がいることだったな。
 昇降口から、目の前で流されていく人を見たこと、その人のことが気になって、校舎を抜け出して遺体を発見したことなどを、家族に話したよ。

Q.ご家族の反応はどうでしたか?

A.ぼくが話し終わると、黙って聞いてくれていたお父さんが、ゆっくり口を開いた。あの日、お父さんは当時の教頭先生と一緒に最後の避難誘導をやっていたんだって。
 津波が押しよせる中で、ぼくとお父さんはそれぞれちがう場所で、大曲小学校に走って避難してくる人を見た。お互いに震災から4年たつまで、その話を家族にはしていなかったんだ。

Q.そのときの気持ちはどうでしたか?

A.家族に話をできて、すっきりした。当時、お父さんは本当に忙しそうで、ぼくは何も話せなかったし、お父さんになにか尋ねることもできなかった。自分が話せないこともつらかったし、大人がぼくに何も話してくれないことも、寂しく思っていた。なので、高校生になってようやくお父さんの話を聞けたことは、とても良かったと思っている。

この回答をしてくれたのは…

雁部那由多さん
2022年2月現在、東北学院大学の3年生。東日本大震災がきたときは、小学校5年生でした。
宮城県の沿岸部に住んでいた雁部さんは、地震が起こった当日、津波を経験しています。
震災直後はだれにも話せなかった震災当日の話を、現在は様々な人に語る『語り部』として活動しています。


明日はつらい体験を語ること・語らないことについてさらに話を伺います。

本の中ではさらにくわしく

雁部さんが経験した東日本大震災とはどんな災害だったのか、その後行っている「語り部」の活動とはどういうものなのか、くわしくは『世界はとつぜん変わってしまう?』第一章で取り上げています。
 


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