「わっ。当たっちゃった」
すぐ後ろの席から、桜の小さな悲鳴が聞こえた。
箱から引いたクジに☆マークがついてたら、お手伝い係に決定。わたしは自分のが白紙で、ホッとしたタイミングだった。
「当たった二人、だれですか~? 手を挙げてくださーい」
学級委員長の呼びかけに、みんなワイワイしながら教室を見回す。
「──オレ」
ボリュームは小さいのに、スッと通って響く、高めの声。窓ぎわの一番後ろの席からだ。
わたしは教壇の真ん前の席から振り向いて、思わず口を手で覆った。そして桜も凍りつく。
手を挙げたのは、なんとハチミツくんだった。
よ、よりにもよって、桜と彼が、セットでお手伝い係になっちゃったの……っ?
ハチミツくんはきれいでかわいい感じの顔立ちだし、背がクラスの男子のなかで一番ちっちゃくて、「前へならえ」の整列のときには、いつもわたしのとなりで腰に手を当ててる。
そんな見た目と「ハチミツ」のあだ名が、すごく合ってるんだけど……。
性格はハチミツっていうより、むしろハチのほう。クラスで完全に浮いてる──ってより、自分で浮くことを選んでるタイプなんだ。
桜はそうと知らずに彼に告白して、みごとに断られちゃった。もう半年以上経つけど、その時の失恋の傷は、まだ癒えてないみたい。
でもハチミツくん、告白してきた相手を、「他に好きな子がいる」とか「恋愛に興味がない」とかじゃなくって、「人間が嫌い」ってフッたっていうから、驚いちゃうよね。
始業式の頃は女子に騒がれてたけど、あまりにも取り付く島がなさすぎて、今はもう、だれもカラまなくなった。
仲間ハズレにしてるとかじゃなくて、ただ、本人がメーワクそうだから。
ふつうでいなきゃって必死なわたしには、彼が、わざとみんなから浮くような態度を取れちゃうのが、スゴイっていうか、どうしてそんな風にいられるんだろうって、ふしぎなんだ。
「どうしよう……」
桜は震えながら、自分のクジをくしゃっと畳む。
自分を木っ端みじんにフッた相手と、二人で丸一日一緒なんて、気マズすぎるよね。
わたしは二人を急いで見比べた。
ハチミツくんのほうは、みんなの視線をさけて、窓のほうに顔を背けてる。
「もう一人はだぁれ~?」
委員長の視線がクラスをめぐる。桜の顔色がみるみる白くなっていく。みんなも周囲をキョロキョロし始めた。教室の空気が硬くなる。
桜の泣き出しそうな瞳と、視線がぶつかった瞬間。
──りんねはホンットに〝天使〟だな。
ついさっきのアキの声が、耳によみがえった。
わたしはパッと、桜の手からクジを取る。
「わっ、わたしですっ」
手を挙げたものの、わたしの声は、ざわざわするみんなの声に埋もれちゃって、届いてない。
「り、りんねちゃんっ。いいよ、悪いよぉ!」
「ううん。わたしはたぶん、ハチミツくんに顔も覚えられてないもん。大丈夫だよ」
わたしは自分から男子に話しかけに行くほうじゃない。そのうえ相手はハチなハチミツくんだから、もうこのクラスも終わりに近いのに、ほぼ初対面状態。
だから好かれてもいないけど、たぶん、特に嫌われてるってこともないはず。
桜は「ほんとにいいのに……」って小さくつぶやいたけど、わたしは首を横にふった。
わたしが代わるだけで丸く収まるなら、迷う事ない。桜もみんなもホッとするなら、そのほうがいい。
クジを取りもどそうとする桜の手をよけて、今度こそ、めいっぱいに腕を伸ばした。
「わたし、藤原ですっ!」
「あ、りんねちゃんなの?」
さっきよりは声が通って、やっと気がついてもらえた。
委員長は、そっぽを向いたままのハチミツくんとわたしを、交互に眺める。
──そして、「まぁ、〝天使〟とペアなら大丈夫か」って、だれにともなくつぶやいた。
放課後はさっそく、文化体験会の説明会だ。
桜は「ありがとぉ~~」って涙目。アキは「あいつ、マジでムカつくから、なんかあったら言って」って。掃除の時間にまた無視されて、さらにアンチになっちゃったみたい。
そんな話をしてる間に、当の本人のハチミツくんが、教室からいなくなってた。
もしかして帰っちゃったのかなって思ったんだけど、説明会の教室に行ったら、すでに一人で座ってた。
実は意外とマジメ?
考えてみたら、掃除もサボらないでちゃんと来てはいるんだもんね。
「藤原さんも係なんだぁっ。よろしくねー。席は、クラスごとに座ってだって」
「あ、はいっ。よろしくお願いします……」
となりのクラスの女子に声をかけられて、わたしはぺこりと頭を下げる。
ハチミツくんは窓ぎわが好きみたいで、クラスの教室と同じ、一番奥の席を陣取ってる。
頬づえをついて、なにを見つめてるんだろう。
わたしは戸口に立ったまま、彼の視線の先を追って──、どきんっと心臓が跳ねた。
カラスだ。
窓の向こう、裏庭の枯れ木の枝に、カラスが一羽とまってる。ハチミツくんは、そのカラスと見つめ合ってるんだ。
……幼稚園生だった頃のわたしには、ふしぎな友達がいた。
〝おっきなトリさん〟とか〝カラスさん〟って呼んでた、人間の何倍も大きな、人の言葉を話すカラスだ。
でも今、外にとまってるカラスは、わたしのカラスさんとはちがうコだし、そもそも他の人は、カラスとおしゃべりなんて、おかしな事はしない。
わたしはブルルッと首を振り、連鎖して浮かび上がってくる想い出を、また胸の底まで沈めなおす。
その時だ。
八上くんがカラスを見つめたまま、唇の両端を持ち上げて、かすかに──笑った。
わたしはその場に立ち尽くし、急に優しくなった横顔に見入る。
あの人、あんな優しい顔もするんだ……。
もしかしてカラスが好きなのかな? 動物が好きっぽいのは知ってたけど、カラスもだったらうれしいな。カラスを好きなコって、あんまり聞いた事がないんだもん。
話しかけようと思ったこともなかったのに、急に親近感が湧いてきちゃった。
このチャンスに、勇気を出して話しかけてみようかな。
そう考えて、足を踏み出した時、
どんっ。
いきなり後ろから背中を押され、わたしは戸口から吹っ飛ばされた!
「あっ、藤原さんっ!? ごめん、ちっちゃくて気づかなかった」
「だ、大丈夫ですっ。こっちこそごめんなさい。あの、ちっちゃくて」
出入り口でボーッとしてたわたしが悪い。
ぶつかった男子は、「自分でちっちゃいって言っちゃった」と、笑いながら通り過ぎて行く。
そんなやりとりに、ハチミツくんがこっちをふり返った。彼とばちっと視線がぶつかる。
ちゃんと目が合ったのは、今が初めてかもしれない。
丸いおでこに、ちんまりした鼻と口。大きな目は、ちょっと驚いたふうに見開いてる。女子みたいにかわいい顔の作りだ。
ぱちぱち瞬きする仕草もかわいく見えて、ほんとにハチミツが似合いそう……! なんて、今さら感動しちゃった。
でも、彼は「同じクラスの女子が転びかけただけ」とわかって、また窓に首をもどしちゃう。
そのまま、それきり。
わたしはおっかなびっくり近づいた。
「あの……、ハ、」
危うく「ハチミツくん」って呼びそうになっちゃった。
「──ハ?」
振り向いた彼は、眉間にすんごいシワが寄ってるっ。
まさか、あのフザけた呼び方をするんじゃないだろうなって、「ハ」の一音だけで、全部伝わってきます!
わたしはギシッと凍りつくも、「仲良くしたいです」の印に、あわてて笑顔を作った。
そして、だれもこっちを気にしてないのを確認してから、となりの席に腰を下ろした。
「あの、変な事を聞いてごめんなさい……。もしかして、カラスが好きだったりしますか?」
同級生相手なのに、緊張すると、つい敬語になっちゃう。こういうトコも、浮いて見えちゃう原因なのかなって思うんだけど、なかなか直らないや。
そしてハチミツくんは、首を外に向けたまま、沈黙。
「さ、さっき、そこにとまってましたよね。あの、わたしも、カラスが好きなの」
小さい声で言葉をたしてみたけど、また無反応。し~~んって音が聞こえてきそうなくらい。
別に、カラスは好きじゃなかった?
カラスを見てる気がしたけど、雲の形を見てたとか、虫が横切ったとか、他にもたくさん可能性があったよね。そっちだったら、わたし、いきなりすっごい〝フシギちゃん〟な質問をしちゃった。
どうしよう、すっごく恥ずかしくなってきた……っ。
うっかり「わたしもカラスと友達なの」なんて言わなくてよかったけど、無意識の言葉尻から、いつふつうじゃないのがバレるかわかんない。
気をつけすぎるほど気をつけないとって、何度も自分に言い聞かせてるはずなのに。
わたしたちの気まずい空気に、周りの人たちがこっちをふり返り始めた。中途半端な笑顔のわたしは、ほっぺたがカーッと火照って、胸の底は冷えていく。
だけど、ちょうどよく先生が入ってきてくれた。
みんなの視線が教壇に集まって、わたしはホッと肩の力を抜く。
「皆さん、お手伝いありがとうございまーす」
先生はプリントを配りながら、さっそく説明を始めた。
文化体験会は、将来の職業の参考になるように、いろんな文化に触れましょうっていうイベントで、毎年、卒業生や保護者の中から、各方面のプロが来てくれるんだ。
お手伝い係は、その講師のお世話や、講座のサポートをするのがお仕事なんだって。
わたしは気まずい気持ちをごまかすように、配られたプリントをぺらぺらめくる。
講座の一覧表を見つけて、上から順番に指でなぞった。
弁護士、警察官、中学校の先生、ロボット工学者、マンガ家、それからデザイナー。
続きの「伝統工芸士(紙漉き体験)」っていう文字に、アッと息を呑んだ。
この紙漉き体験の伝統工芸士って、もしかして……っ!
「それじゃあ、お手伝い名簿を作るので、順番に名前を教えてください。まずは、一組さーん」
前のほうから「はーい」と返事があって、次は二組、三組と順番に立ち上がる。
どうしよう、後で講師の名前を質問できるかな。でもあの先生、今までしゃべった事ない人だし……。
「五組さーん」
「八上ミツ」
すっかりそっちに頭を持っていかれてたわたしは、耳に飛び込んできた「ヤガミ」の苗字に、どきっと肩が跳ねた。
その動きに驚いたのか、ハチミツくんもわたしを見て、眉をひそめる。
「五組さん、もう一人は?」
「あっ、はい! 藤原りんねです」
わたしはギクシャク立ち上がり、またギクシャク座りなおす。そんなわたしを、ハチミツくんがすっごく嫌そうな顔でにらんできた。
「……おまえ」
周りに聞こえないくらいの、小さな声。
「な、なんですか?」
「オレのこと好きなの?」
わたしは目が真ん丸になった。
「す、すっ、好きって?」
「おまえ、前から、オレのことをチラチラ見てただろ。そういうの、すげぇウザい」
何を言われたのか、わたしは一拍遅れて、やっと理解した。
──つまり、わたしがハチミツくんを好きだから、苗字に反応してるってカンちがいされちゃった!?
わかったとたんに、顔どころか耳や指先まで熱くなった。
「ちちちちがうっ。そういうのじゃない!」
声が大きくなっちゃった。
教室がシンッとなって、全身から冷や汗が噴き出した。ハチミツくんは顔をゆがめ、自分は無関係だとばかり、窓のほうを向いちゃう。
「すみません」
わたしはますますちっちゃくなる。
先生もみんなもクスクス笑って、また名簿のほうに話がもどった。
……ハチミツくん、わたしがヤガミっていう苗字に反応してたの、ずっと気がついてたの?
申し訳ないのと恥ずかしいのとで、頭がのぼせる。
わたしは恐る恐るとなりの様子をうかがった。
「あの、ホントに、そういうのじゃないんです」
「なら、どうしてだよ」
そっぽを向いたままだけど、返事してくれた。
「同じ苗字の人が、知り合いにいるの。漢字はちがくて、『弓矢』の『矢』に『神様』の『神』なんですけど」
「ただの知り合い?」
だったら苗字がカブっただけで、そんなにいちいち反応すんのは変だろ──って言いたいのかな。
彼の疑いの視線に、わたしは手もとのプリントに目を落とした。
「ただのじゃなくて、すごく、大事な人たちだから……」
アキたちが、わたしの「初恋のお兄ちゃん」だとカンちがいしてるのは、幼なじみの「矢神樹」ちゃん。
彼の家族、矢神さんちには、わたしが〝フシギちゃん〟って呼ばれる前から、ずっと「見えないはずのもの」の方面でお世話になってるんだ。
つい、「ヤガミ」っていう名前に反応しちゃうのは、わたしがみんなに隠してる、根っこの根っこのところだから、ほんとに、どうしようもなくて……。
「紙漉き体験の講師さんが、その、漢字ちがいの矢神さんかもしれないの。わたし、その人の家族に、すごくお世話になってるんです」
樹ちゃんのお兄さんが、最近東京に、書道用品の工房を開いたんだ。そのお兄さんはひふみ学園の卒業生だから、ここに書いてある講師は、たぶんきっと、彼のことだと思う。
プリントをさして、言い訳をそえるわたしを、ハチミツくんはじっと見つめてくる。
「……ウソじゃないんだ」
「えっ?」
彼は急に納得して、ついっと目をそらした。直前、口のあたりを見られてたような気がして、わたしは唇に指をあてる。
「けど、やめろよ。オレが呼ばれるたびに見てくんの」
「ハ、ハイッ、気をつけます。ごめんね。あの──、」
呼びかけようとして、言葉に迷った。ハチミツって呼ばれるのは嫌なんだよね。でもヤガミくんじゃ、わたしのほうが違和感がすごい。
「ミツくん?」
間を取って、下の名前で呼んでみた。
とたん、彼はそっぽ向いてた顔を、バッとこっちに向ける。その口がはくはく、酸素を求める魚みたいに開いたり閉じたりする。
あっ、失敗した。名前もダメだったみたい。
だけど撤回するまえに、先生の名簿作りも終わっちゃって。結局、ペアになった彼をなんて呼べばいいのか、聞くチャンスもなかったんだ。