タクミの口から、〈もういいよ! 草介とは絶交だ!〉という言葉がいまにもとびだしそうだった。
鼻息を荒くしているタクミと草介の背後から、とつぜん、「ハーイ! ボーイズ!」という声がとんできた。
ふりかえると、そこに立っていたのはひとりの金髪の少年だった。
「ビリーだ! 〈暗号刑事〉の……」とちいさく声をあげたのは草介。
「……んなわけないだろ」とタクミは草介のわき腹をひじでツンとこづく。
少年の背丈はタクミとおなじくらい。館内着姿で、首にはタオルを巻いている。おそらく、海外からの観光客だろう。少年は満面の笑みを浮かべながら、タクミたちに近づいてきた。
「オウ! きみたち、ケンカしてたね? ダメダメ、なかよくしなきゃ」
少年は目をぱちくりさせているタクミと草介の手をとって、勝手にふたりに握手をさせた。
「これでオーケーね。なかなおり」と少年は満足そうに大きくうなずく。
「あの? きみ、だれ?」とタクミ。
「ボク、名前はトーマス。アメリカからきました。十一歳です。忍者が好き、マンガも大好き」
トーマスと名のる少年は、イントネーションこそ独特だが、なかなか日本語がうまかった。タクミたちも学校で英語を多少習ってはいるけれど、こんなふうにものおじしないで、よその国の人とコミュニケーションをとることはできないだろう。タクミは感心しながら、トーマスの右手をにぎった。
「オレはタクミ。きみとおなじ年だ。よろしく」
「ぼくは草介」と草介もトーマスと握手をかわす。「ぼくもマンガが大好き。よろしくね」
「オウ! 〈あんこデカ〉ですね!」とトーマスはテーブルのうえに開いてあった雑誌にとびついた。「〈あんこデカ〉、ボク大好き!」
「ほんと?」
「はい! 全巻持ってるよ。日本語、マンガとアニメでおぼえました」
「なるほどねえ。トーマス、日本語すごくうまいよ。ベリーグッド」と草介が右手の親指を立ててみせる。
「アリガトー!」
「あ、でも」とタクミが雑誌を指さして言った。「〈あんこデカ〉じゃなくて〈あんごうデカ〉が正しいんだよ」
「〈あんごう、デカ〉ですね? 〈あんごうデカ〉であってる?」
「そうそう」
「日本語、ひとつ学びました。アリガトゴザイマース」
トーマスは陽気にガッツポーズをとっている。
とにかく底ぬけにあかるい少年だった。タクミも草介もさっきの口ゲンカのことなどすっかり忘れて、それぞれの家族や学校の話、マンガやアニメトークでしばらく盛りあがった。
トーマスは日本が大好きで、来日は四回目。今回もパパとの日本旅行を楽しみにしていたのだが、仕事の都合でパパだけ急きょ二日遅れの出発になってしまったという。それでトーマスひとりで飛行機にのって、日本にきたのだそうだ。滞在期間は十日間。東京のほか京都、大阪などにも立ちよる予定で、東京の宿泊さきはパパが予約した浅草のカプセルホテル。このスーパー銭湯はトーマスのお気にいりのスポットで、空港に着いてからすぐにここへ直行した、という。
「銭湯、気持ちよかったです。露天風呂、サイコー」
「すごいなあ」とタクミがトーマスの肩をバンとたたく。「ひとりで外国にくるなんて、勇気あるよ」
「日本はいい人たくさん。とても安全安心です。それにトモダチ、ふたりもできたから、サミシクナイ」
「トモダチ?」
「そう。タクミと草介。ちがうの?」
トーマスが深い緑色の瞳でタクミたちをのぞきこむ。
「いや、トモダチだよ」「もちろん、トモダチだ!」
タクミと草介があわてたようにうなずくと、トーマスは白い歯を見せてうれしそうに笑った。
とそこへ、「はあー。ゆったりしたー」とうちわをパタパタあおぎながら、タクミたちのそばへよってきたのは、水野風香だ。いつもは髪を三つ編みにしているが、いまは髪どめでアップにまとめていて、ふだんよりもちょっと大人っぽく見える。
風香は最近この町に越してきた子で、屋形船の網元の娘だ。まえに起きた詐欺事件解決のときになんとなく結成された〈からくり探偵団〉の一員だと言っていいだろう。その後、タクミと草介、そして風香がメンバーの〈からくり探偵団〉はなにをするわけでもなく、探偵活動もしていない。ただ、それをきっかけに、三人はよくつるんで遊んだりするようになった、というだけだ。
今日、風香もタクミたちといっしょにこの銭湯へやってきたのだが、女風呂と男風呂にわかれてから、そのまま風香は宴会場にこなかった。どうやら、ゆったりと湯につかって長風呂を楽しんでいたらしい。
「おじさんの手品、もう終わっちゃった?」
おじさんというのは、タクミの父さん・真坂ヨージローのことだ。
「とっくに終わったよ」とタクミはつっけんどんに答えながら、心のうちではほっとしていた。
……風香が長風呂でよかった。父さんのあのみっともない姿を見られなくてすんだんだものな。
「そう、ちょっとざんねん。……ああ、いいお湯でした。しあわせだわー」風香はピンク色になったほっぺたに手をあてて、椅子にすとんと腰かける。「あれ、この子は?」
風香はトーマスの存在にやっと気づいたらしく、目をしばたたかせている。
「ああ、彼はトーマス。アメリカからひとりできたんだって。いま知りあったばっかりだけど、トモダチになった」
「そうそう。ボク、トモダチね」とトーマスが自分を指さす。
「へえ! ハーイ、マイネームイズ、フウカ・ミズノ。ナイストゥーミーチュウ! ええと、トーマス、漢字はわかる?」
「すこしだけ」
「わたしの名前はね、風が香るって書いて、風香」
「オウ、風香、いい名前です。とてもカワイイ。それに英語もじょうずです」
「うふふ。ありがと! 屋形船のお客さん、半分くらい外国の人だからね。英語、上達してきたのかも」
照れながらも、風香はうれしそうにはしゃいでいる。
それから、こんどは四人で日本の食べ物などについてしゃべっていると、とつぜん、トーマスが「アッ!」とさけんで、テーブルのしたにもぐりこんだ。
「どしたの?」
タクミたちがけげんそうに、したをのぞきこむ。すると、トーマスが自分の口のまえにひとさし指を立て、「シーッ」と小声でささやいた。
「いま、アヤシイ男がいましたか……?」
「アヤシイ?」
「そうです。空港に着いてから、ずっとボクのあとをつけてます。背の高い、黒い背広を着た人。サングラスまでかけてて、とてもアヤシイ」
アヤシイ人につけられている……?
人さらい? はたまた子どもをねらった強盗か?
トーマスは出会ったばかりだが、トモダチはトモダチだ。下町っ子としては、彼を助けるよりほかはない!
「オレ、ようすを見てくる」とタクミがすばやく立ちあがった。「風香と草介は、トーマスが見つからないように、盾になってて!」
「うん!」「わかった!」
タクミは休憩コーナーをでて、あたりを見まわした。すると……。
いた! アヤシイ男はすぐに見つかった。銭湯の館内だというのに、黒い背広に黒いネクタイ。サングラスもかけたまま。まるで「私はスパイです」と言っているようないでたちだ。背は高くがっしりしていて、ラグビー選手みたいに肩幅が広い。短く刈った髪はこげ茶色だが、顔立ちからして、外国の人らしかった。
男はきょろきょろと目をくばりつつ、出入り口付近を大股で歩きまわっている……。トーマスをさがしているのにちがいなかった。
どうしてトーマスが追われているのか、男が何者なのか、まったくわからなかったけれど、とりあえずあの男に見つからないように、トーマスを外へつれださなきゃ……。
タクミは男の背をひとにらみすると、くるりときびすをかえして小走りに草介たちのもとへもどっていった。
ためし読みはここまで。『からくり探偵団 懐中時計の暗号を解け!』は3月26日発売予定です♪お楽しみに~☆