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日本史上もっとも有名な女性リーダー・北条政子。夫の源頼朝や、弟の北条義時とともに、朝廷が中心の社会を変え、武士が先頭に立つ鎌倉時代をつくっていきました。
彼女がなぜ、頼朝たちと「新しい時代をつくりたい」と思うに至ったのか。そして、女性の権力がそこまで強くなかった時代に、なぜ「武士をまとめるリーダー」として活躍できたのか——。3回の小説連載で解き明かしていきます。今回は第3回です。
☆連載第1回・第2回はコチラから
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人々がより豊かに暮らせる、「新しい時代」を作っていくことを決意した、政子(まさこ)と頼朝(よりとも)。
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やがて、朝廷(ちょうてい)が国を治める平安(へいあん)時代が終わりをむかえ、武士が中心の鎌倉幕府(かまくらばくふ)がひらかれました。
しかし、それから約30年後、幕府の存続(そんぞく)をゆるがす大事件が起こります。ピンチを救ったのは、頼朝の思いを胸に立ち上がった、政子でした。
❋
ザァッ……ザ、ザァッ……。
海って、すごいのね。
この鎌倉(かまくら)の海は、遠い世界のどの海にも、つながっているそうですよ。
子どものころから、私が見ていた、伊豆(いず)の海にも、もちろん。
あのボロ神社から、頼朝が見ていた、あの海にも、ね。
この鎌倉の海に、私、心で話しかけるの。
そうすると、頼朝にも、とどくような気がするから。
こうして頼朝に話しかけると、今でも、頭がスッキリするの。
おかしいかしらね。
もうあの人、とっくに、あの世に行ってしまったのにね。
きっと、あの世の海にも、鎌倉の海は、つながっているからなのでしょう。
「御台所(みだいどころ)! 大変ですよぉ!」
あら、まあ。
さえちゃんが、大げさに困った顔をして、砂浜をかけてきた。
「御台所って呼ぶの、ホントやめてほしい……。政子って呼んでって、何度も言ってるでしょ」
御台所っていうのは、頼朝が将軍(しょうぐん)になってからの、私の呼び名。
称号(しょうごう)、みたいなものかしら。
頼朝が、急な落馬(らくば)事故で亡くなってから、私、尼(あま)になったの。
そうして、もうだれとも結婚せずに、長いこと過ごしています。
長かった髪の毛も、今は大人っぽいかんじに、短く切りそろえてあるんですよ。
「朝廷(ちょうてい)から、武士たちに命令が下されたそうです。義時様(よしときさま)を、おそって殺せって!」
「まっ……」
さすがの私も、おどろいたわ。
これでも、だいぶ、ものごとに動じなくなったつもりでいたのにね。
「……でも、そんなとんでもない命令、きく人いるのかしら」
義時は、今、鎌倉幕府(ばくふ)の執権(しっけん)として、まだ子どもの将軍様を助けています。
頼朝がこの鎌倉で作った、武士が中心の新しい社会を、守っているのです。
もちろん、京都にある朝廷は、それを良く思ってはいない。
でも、だからって、義時を殺せって、武士に命令するなんて。
きっと、関東の武士の中で、仲間割れを引き起こそうとしているんだわ。
こんな命令を聞いたら、だれだって、どうしたらいいかと不安になるもの。
とくに、頼朝を直接知らない若い武士などは、とまどっているはず。
なんとかしなくちゃ……。
と、考えながら、私は、海岸からの道を行く。
頼朝が建てた、海をながめる大きな神社に向かう。
――頼朝だったら、こんなとき、どうする?
考えながら、私は、横道の階段をゆっくりと上がり、本殿(ほんでん)へ向かう。
そこで目を閉じ、神様に手を合わせた。
礼をしてふりかえると、大きな階段の下に、鎌倉の町が広がっている。
頼朝と、武士たちと、里の人みんなで、せっせと作り上げた町。
その向こうには、海――。
北条(ほうじょう)の里の、ボロ神社のそばから、頼朝がながめた海と、同じ海。
あの、まぶしそうな優しい目で、あの人はみんなを見回し……。
……そして、なんて言うかしら。
――政子様は、ここで、なにを考えるのですか。
あの人の声が、聞こえてきた。
私の考え?
いつでも、頼朝は、私の考えを聞いてきた。
そっか、今もおんなじ……。
私は、私として、頼朝といっしょに考えたことを、大切な家族に、話すんだ。
私は、目を閉じ、もういちど神様に手を合わせた。
覚悟、決めた。
階段を下り、北条の家へと向かう。
がやがや……どよどよ……。
たっくさんの武士が、前庭(まえにわ)に、もう集まってた。
武士たちの、目、声、会話。
みんなの不安が、よくわかる。ほうっておいてはいけない。
1人、また1人と、私に気付いて目を向ける。
みんな、不安そう。
私も、そう。私も、いっしょ。
私は深く、息を吸う。
そして部屋のはしに進み出ると、前庭のみんなに語りかけた。
「みんな、心をひとつにして聞いて。
一度しか言わないから。
ご存じの方も、そうでない方もいると思うけど――。
――私、亡き将軍、頼朝の妻、政子です」
し……ん。
みんなの声が静まった。
昼下がりの、やかましいカラスの声だけが、あたりにひびきわたる。
私は、話し続ける。
「頼朝が、東国(とうごく)の武士をまとめて、幕府を作ろうって言ったときのこと、よく覚えています。
勇気ある、東国武士のみなさん。
私たちは戦いに勝利し、鎌倉幕府を作りました。
今からほんの、ほーんの、三十年くらい前のことですね。
私には、ついこのあいだのことのように、思われるのです。
できたての幕府に集い、知恵を出し合い、武士の社会を築き上げた、あのころ。
『御恩(ごおん)と奉公(ほうこう)』の社会を作りたい、って心に決めましたね。
あれから位(くらい)が上がった武士も、領地(りょうち)を手にして豊かになれた武士も、いるでしょう?
今こそ頼朝に、ありがとう……、って、感謝の心を伝えませんか。
この鎌倉の山よりも高く、海よりも深い、武士の感謝の心――。
――私は、信じています。
ところが今日、武士の社会をゆるがす、ふとどきな命令が、西国(さいごく)からとどきました。
私の弟、義時を殺せという、朝廷からの命令です!
その命令は、つまり、鎌倉幕府を敵とせよ、という意味でしょう。
みなさんのもとにも、すでに、とどいているようですね。
武士の名誉(めいよ)を大切にするならば、もちろん、そんな命令をきいてはなりません。
…………でもね……。
朝廷の力は強い。
その力は今なお、私たちの頭上(ずじょう)をおおっています。
だから、その力に対抗することは、簡単ではありません。
朝廷側につこうというなら、それでもかまわない。
ただし、それならここで、はっきり申し出てください。
鎌倉幕府をはなれ、京都の朝廷の味方になる、と」
私は、武士たちの顔を、ぐるりと見わたした。
みんなの視線が、私にそそがれている。
その口をとじて、じっと、私の声を待っている。
「………………だれもいないの?
……本当に?
……朝廷の側につこうという者は、いないの?
ありがとう……。
……家族の心は、こんなときにこそ、わかるものですね。
いま、私たち東国武士は、ほんとうの家族になりました。
一家で心を一つにすれば、必ず、このピンチを乗り切れる。
京都からは、すでに、こちらに向けて兵が出発した、といううわさも聞きます。
ぐずぐずしてはいられません。
いま立ち上がらなければ、もう、先はないのです。
御恩と奉公の心でつながった、私の家族たち!
将軍頼朝の残したもの――鎌倉幕府を、私とともに、守ってください。
今こそ、京都に攻め上りましょう。
そして、東国武士を苦しめる朝廷を、倒すのです!」
わあっ……!
泣いている武士もいる。
笑顔の武士もいる。
その奥さんや、子どもたちまで、ここにいる。
ただみんな、心を一つに、声を上げていた。
頼朝のことを、思い出して。
そして、未来への希望を胸に、勇気を燃やして。
「政子様が、おれたちの将軍だ」
「尼の将軍様だ!」
「尼将軍、政子様!」
武士たちの声が、鎌倉の山々に、こだました。
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この幕府と朝廷の戦いは、のちに承久の乱(じょうきゅうのらん)と呼ばれるようになりました。
見事に朝廷の軍を破った幕府の力はますます強まり、武士がおさめる世の中は、それから六百年以上、続いたのです。
承久の乱での政子のスピーチは、『吾妻鏡(あずまかがみ)』という本のなかで伝えられていますよ。
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北条政子や源頼朝、鎌倉時代について気になったら下の本もぜひチェックしてね!