その夜、まどかは妙(みょう)に寝(ね)苦しく、なかなか眠(ねむ)れなかった。
ベッドに入り、目をつぶっても、なぜか頭だけが冴(さ)えていたのだ。
(明日学校だから、早く寝なくちゃいけないのに……)
まどかはそう思えば思うほど、眠れなくなっていってしまった。
まどかは今何時なのか時計を確認しようと、ふと、目を開けた。
そのとき、
きゃああああああ!!
という女の子の叫(さけ)び声が、部屋の外から聞こえてきた。
「なに⁇」
まどかは驚(おどろ)き、あわててベッドから起き上がった。
時計を見ると、深夜の2時を過ぎている。
耳をすましてみる。しかし家はシンと静まり返っていて、女の子の声はもう聞こえなかった。
「今の何だったの……⁇」
まどかは怖いと思いながらもドアを開け、廊下を見てみた。
だけど、廊下には誰(だれ)もおらず、真っ暗だった。
まどかは廊下に備え付けられていた防犯用の懐中(かいちゅう)電灯を手に取ると、周りを照らしてみる。
(誰もいない……)
まどかはあちこち照らしてみたものの、異変はなかった。
(いつの間にかウトウトして、寝ぼけていたのかな⁇)
まどかは廊下にひとり立って、首をかしげていた。
翌朝。
まどかが部屋から出ると、ゆりかが廊下に立っていた。
いつもと同じように赤いワンピースを着て、クマのヌイグルミを大切そうに抱き締めている。
(もしかして、昨日の声はゆりかだったのかな?)
まどかはゆりかに聞いてみることにした。
「ねえ、ゆりか。あなた昨日の夜中、叫んだりした?」
まどかがたずねると、ゆりかは首を横に大きくふった。
「叫んでないよ。ずっと寝てたもん」
「そっか……」
叫び声は幼い女の子の声だったような気がした。
この家にはゆりか以外、幼い女の子はいない。
1階に下りたまどかは、朝食を食べていた父親と母親にもたずねてみたが、やはり彼らも叫んでなどおらず、そもそもそんな声を聞いてもいなかった。
「それだけ大きな叫び声だったら、お父さんたちも目を覚ましたはずだよ」
「そうね。まどかが寝ぼけていたのよ。新しい学校に通うようになって疲(つか)れていたんじゃないかしら?」
「やっぱりそうなのかな……」
まどかは納得できなかったものの、とりあえず自分が寝ぼけていただけだと思うことにした。
しかし、数日後。
まどかは再び、不思議な体験をしてしまう––。
その日、学校から帰ってきたまどかは、いつものように2階の自分の部屋に鞄(かばん)を置いてから、リビングでおやつを食べようと思った。
「あれっ?」
鞄を置きに行くために階段を上がろうとすると、階段の手前に何かが落ちていた。
まどかは何かと思い、じっと見つめてみる。
するとそれは、赤いクレヨンだった。
クレヨンはかなり使われていて、半分ぐらいの長さになっている。
「どうしてこんなところに?」
まどかが何気なくそのクレヨンを手に取ると、ちょうどゆりかが2階の廊下から下をのぞいているのが見えた。
「ねえ、ゆりか。このクレヨン、ゆりかの?」
まどかが見上げながらたずねると、ゆりかは首を大きく横にふった。
「ゆりかのじゃないよ」
「そうだよね。絵とか描(か)かないもんね」
念のため、まどかは台所で夕食を作っていた母親にも聞いてみたが、やはり知らないと言われた。
仕事中でまだ帰ってきていない父親もクレヨンなど使わない。
「だとしたら、誰のクレヨンなの……?」
そのとき、まどかは亜衣が言っていたあの話を思い出した。
『ある日、その家に引っ越してきた家族が、家の中で赤いクレヨンを見つけたんだって––』
「それってもしかして!」
まどかは急に怖くなって、あわててそのクレヨンをリビングのゴミ箱に投げ捨てた。
ピンポーン。
インターフォンが鳴り、母親が「はーい」と言いながら玄関(げんかん)へ向かう。
そしてすぐに、まどかのもとへと戻ってきた。
「まどか、お友達が来たわよ」
「友達? 桃香ちゃんかな? それとも亜衣ちゃん?」
「いいえ、男の子よ。赤いフードを被った」
「えっ?」
誰だろう?
そもそも、男の子とはまだそこまで仲良くないので家に来るとは思えない。
「それに、赤いフードって確か……」
今度は桃香が言っていたあの話を思い出した。
『フードを被った男の子らしいんだけど、目も鼻も口もないんだって––』
「顔のない子供!」
まどかは思わず部屋のドアから顔を半分だけ出して、玄関のほうを見た。
するとそこには、母親が言った通り、赤いフードを被った男の子が立っていた。
だけど、男の子には目も鼻も口もある。
「まどか、どうかしたの?」
まどかの様子を変に思った母親が後ろからたずねる。
「えっ、ううん、べ、別に何でもないよ……」
まどかは思わず苦笑いを浮かべた。
(そうだよね。顔のない子供なんているわけないよね……)
もし、目も鼻も口もなかったら、母親が普通(ふつう)に戻(もど)ってくるわけがない。
何より、顔のない子供はただの都市伝説の噂話なのだ。
まどかは自分が怖がり過ぎていたことを反省し、その男の子に会うことにした。
「あの、私がまどかだけど、あなたは?」
男の子は、白い肌(はだ)に、大きな澄(す)んだ目とシュッと通った鼻筋、そして薄(うす)く綺麗(きれい)な唇(くちびる)をしていた。
歳(とし)はまどかより少し上のようだ。
フードを被って顔を隠(かく)しているが、びっくりするぐらいかっこいい。
そんな男の子がまどかのほうを見ている。
「名前なんてどうでもいい。キミに忠告しに来たんだ」
「忠告?」
まどかはなぜ忠告などされるのか意味が分からなかった。
しかし男の子はそんなまどかをよそに、話を続ける。
「この家は、赤いクレヨンに呪われた家かもしれない––」
「えっ?」
まどかは思わずハッとした。
「どうして赤いクレヨンのことを知ってるの⁇」
まどかがクレヨンを見つけたのは、つい10分ほど前のことである。
それなのに、男の子はそのことを知っている。
まどかが困惑(こんわく)していると、男の子はその大きな目でじっと見つめた。
「分かるんだ。このままでは、キミやキミの家族が不幸な目に遭(あ)う––」
それを聞き、まどかは思わずゾッとした。
すると、リビングでその話を聞いていた母親が2人のもとへやってきた。
「ちょっと、何を言ってるの! まどか、この子はあなたの友達じゃないの?」
「ううん、知らない……」
「じゃあ、帰って!」
母親は男の子がまどかを怖がらせていると思い、怒(おこ)っていたのだ。
「僕(ぼく)は真実を言ってるだけだ」
男の子はまったく動じず、母親にそう言う。
「いいから出ていきなさい! ほらっ、早く!」
そんな男の子に母親は怒鳴(どな)り、家の外へと追い出した。
「まったく。多分、近所のイタズラ好きの男の子なんでしょうね」
母親が怒る気持ちもよく分かる。
引っ越してきたばかりの家を呪われた家などと言われたら、誰だって怒りたくなるだろう。
まどかは、男の子に詳しい話を聞きたいと思ったが、それはもうムリそうだった。
(だけど、どうしてあの男の子は赤いクレヨンのことを知ってたんだろう⁇)
まどかはそれが不思議で仕方なかった。
赤いクレヨンのことは、ゆりかと母親しか知らないのだ。
そのとき、まどかはあることに気付いた。
(もしかして、赤いクレヨンを置いたのはあの男の子なのかも?)
母親は男の子のことをイタズラ好きだと言っていた。
だとしたら、男の子が家の中にクレヨンを置いて、まどかたちを驚かそうとしていた可能性もあるのだ。
(そうか、ただのイタズラなんだ!)
まどかはホッとし、自分の部屋へ戻ることにした。
「お姉ちゃん……」
階段を上がると、廊下にゆりかが立っていた。
「呪われた家ってなに? なんか、すごく怖い……」
どうやら、ゆりかは2階から話を聞いていたらしい。
不安そうな顔で、クマのヌイグルミを強く抱き締めている。
「大丈夫。あれは全部、あの男の子のイタズラだから」
まどかはゆりかの頭を優しくなでた。
「ほんとに?」
「うん、だからゆりかは何も心配しなくていいよ」
まどかがそう言うと、ゆりかは「分かった」と返事をし、笑顔になった。
それを見て、まどかも笑みを浮かべた。